えりりさんの場合 (腹腔鏡手術)
2007.00.00
 私は20代後半です。
 生理痛は今思えば年々ひどくなっていたのかもしれません。
 ただ、薬を飲めば痛みは治まるし、歳も若くなくなってきたし‥なんて思っていました。

 もともと3年程前に右側の下腹部にぽこっしたものがあるのが妙に気になり近所の産婦人科を受診していました。
 そこでは右の卵巣に水がたまっているが、良性だし3センチなので大丈夫とのこと。
 その後、1年に1回~2回ほどは受診していましたが、少しずつ卵巣は大きくなってはいましたが毎回同じことを言われていました。
 一度だけ紹介状を書いてもらいましたが、腰痛などがつらければこれは思い切って手術したほうがいいですよ。というだけでしたので、それだけのことで手術をすることは考えられなくあまり気にもとめず毎日を過ごしていました。

 しかし、今年の8月の生理が少しいつもと違ったのです。生理の数日前からものすごくお腹が痛く、生理中よりも生理が終わったあとのほうが、痛く鈍痛がひびいていました。
 そこで、いつもの産婦人科に行き同じことを言われました。ただ今回はこの痛みは普通ではないと感じていたし、なんだか嫌な予感もしました。
 でも、右の卵巣の水を抜くだけだろうと思い新たに書いてもらった紹介状を持って総合病院に行きました。

8月15日
 紹介状を持って、総合病院の産婦人科に受診しました。
 紹介状と右の卵巣のエコーの写真を先生にみてもらいました。
 これが私の主治医との出会いです。
 私の話をひととおり聞いたあとすぐに内診しました。
 内診してすぐに先生は「生理痛ひどい?」と聞きました。私は嫌~な予感がしましたが、「まあ一日目は薬を飲みますけど‥」と答えると、先生はあっさり「内膜症だね。」と言いました。
 内診が終わり、子宮内膜症という病名、完治しない病気、右の卵巣は水ではなく血液‥癒着もしているなど頭が真っ白になるようなことを言われました。
 内膜症を確定するのは、MRIだということでMRIと採血の予約をしました。
 家に帰って放心状態のままネットで調べまくりました。調べては涙、涙‥。
 食事もろくにできず、その日から母と一緒に寝てもらいました。

8月20日
 MRIと採血のため病院に行きました。
 MRIは初めてでしたがあの音と空間で気が滅入りそうになりました。
 このときも毎日落ち込み、会社の通勤中の車の中で行き帰りとも泣きながら運転しました。
 仕事中も家でもなんだかんだよく泣いていました。

8月25日
 セカンドオピニオンを求めて別の病院を受診しました。
 そこの病院は不妊治療にとても力を入れている病院でした。卵巣嚢腫も実績がありネットで見る限りいい病院にも思いました。
 内膜症と診断され、MRIを撮ったことを伝え内診したところ、左右癒着があること、右の卵巣の嚢腫があることなどがわかりました。
 私自身「えっ右じゃなくて左も!?」などと思い、とても混乱し「両卵巣ともなんて」‥と落ち込みました。
 手術はした方がいいが予約が3月になるので、それまでは生理を止める注射を半年することを言われました。
「3月かぁ半年過ぎだし、こんな体のまま年を越すのも嫌だなぁ」と思いましたが手術の予約と注射の説明を受けて帰宅しました。
 帰宅してからは、どちらの卵巣が悪いのかよくわからないことと、この病院でもいいことは言われなかったので落ち込みまた泣いていました。
 生理は来週中には来るからいよいよ注射が始まるなぁと漠然とした覚悟を決めたのは覚えています。

8月27日
 総合病院でMRIと血液検査の結果を聞きに母と病院へ行きました。
 内診の結果とは違い、どうやら左に血液の卵巣嚢腫だと言うことを言われました。右は水だけどたぶんなんともないとも言われました。
 ただ、MRIで見る限り先生も「左の卵巣が右よりに寄ってる感じがする‥だからこっちが左でこっちが右で‥」と首を傾げながら、たぶんたぶんと何度も言っていました。
 私は3つの病院に行って3人の先生が言ってることが違うのでまた混乱しました。
このとき私は先生に「病気がわかってものすごいショックで私なりにいろいろ調べていくつか質問があります。答えてもらえますか?」泣きながら聞き、先生は私の質問に答えてくれました。
 私が聞いた質問は、卵巣がんの可能性、筋腫の有無、腺筋症の有無、血液検査の結果などです。
 先生は「手術はした方がいいけど、半年注射をしてから手術をするか、手術をしてから注射をするかは私の判断に任せる」と言いました。
 私は迷いましたが、左の卵巣が破裂する可能性がゼロでないことから手術を先にすることに決めました。
 しかも25日に行った病院は半年待ちでしたがこの病院では1ケ月後9月27日にできるということでした。
 手術を決めて診察が終わるときには言いようのない安堵感で包まれて今までとは違う涙を流していました。
 完治しない病気だけど、なんだか元に戻れる気がして病気が発覚後初めてホッとして安心しました。
 夜、熟睡できるようになったのもこの日からです。
 次の日には25日に受診した病院に電話をして手術のキャンセルをしました。もちろん注射も打ちに行きませんでした。

9月5日
 手術前の検査をするため病院に行きました。
 血液はエイズ検査を含め、5本採血しました。他に胸部のレントゲン、尿検査、心電図、肺活量などを調べました。
 このときはいろいろ検査をしているときに「なんで私だけが‥」とか悲観的にまだとらえてた部分があり何度か涙ぐんでいました。
 検査は終わって外来で内診した結果、先生は「MRIの結果と同じだ。左は卵巣嚢腫、右は今は水もない」とのこと。
 何年も右の卵巣の水が気になって病院に行っていたのに右は水もない‥なんてとまたまた混乱し複雑な気持ちになりました。

9月12日
 手術前のお話ということで病院に行きました‥が、家族も同席しないといけないということで詳しい話はしてもらえませんでした。
 しかし、一通りして欲しいと伝えたところ左の卵巣を摘出する可能性がゼロではないこと、予定では腹腔鏡手術だけども開腹に切り替わる可能性もあることなどなど。簡単に説明してくれました。
 私がまたいくつか質問して「不妊症になりやすいんですよね‥」と言うと先生は「できるだけ早く妊娠すること」と何度も言いました。
 恋人も婚約者もいない今の私には到底無理なことで、どうすることもできないやるせない気持ちでいっぱいになりまた落ち込んでしまいました。

9月19日
 母と改めて手術の説明を受けました。なんでも家族が同席しないと後々何かあったときに「言った、言わない」言い争いになるとのことでした。
 手術は2時間~2時間半で麻酔を含めると4時間。麻酔は全身麻酔で27日の午後からの予定。次の日から水も飲めるし、昼過ぎからは歩くこと。
 手術は左に5ミリ、下腹に3センチ、おへその中に1センチ切る予定だけど開腹の可能性もあること。卵巣、卵管はもちろん残す予定だけど絶対ではないことなどなど。
 とにかくお腹を開けてみないとわからないし、全てのことを絶対と言い切ることができないことを感じました。
 手術の内容は、左の卵巣から溜まった血を抜いてその部分の袋を切り取り、癒着や病巣をレーザーで焼く。
 そして少しでも再発の癒着を遅らせるために体内にシートを貼る。それからこれは私の希望で卵管が通ってるか通水検査をお願いしました。
 5日の検査の結果、これといった病気はないのでいつでも手術はできると言われました。
 このときも、なんだか自分のことではないみたいだし、こんなことになった自分がかわいそうで泣いてしまいました。
 帰りに看護婦さんから入院の説明を受けて、先生に診断書を書いてもらい帰りました。

9月26日【入院 / 手術前日】
 看護婦さんから病棟の説明を受けて、病室を案内されました。
 病室はエレベータからすぐでしたが、トイレがとても遠く術後を考えると心配になりましたが、これは歩行の訓練になるからいいのかもと思いました。
 お昼ごはんを食べてしばらくすると手術室の看護婦さんが”手術についてのご説明”という冊子を持って説明をしてくれました。
 冊子を見ると、脊髄に麻酔を打つなど怖いことが書かれており、なんども「痛いですか?」と聞いていました。
 その後、麻酔科の先生も来てなおも脊髄の麻酔のことも聞いて「怖い」などと言い、少々困らせてしまいました。
 半分ぐらいの人は病室で肩に打つ注射で意識がなくなると言われ、私もそのタイプだといいなぁと思いました。
 主治医の先生は2度ほど顔を出してくれて明日の手術が12時半になったことを伝えてくれました。
 19時ぐらいに剃毛してシャワーを浴びました。
 この日はぐっすり眠りたかったので先生にお願いして睡眠誘導剤をもらいました。
 しかし、夜中に同じ病室に急患が運ばれてきてしまい、その騒動で結局あまり眠れず朝を迎えました。

9月27日【手術当日】
 夜中の12時から絶食でしたが、水は朝6時までだったので起きてすぐにひとくち水を飲みました。
 前日、下剤をもらい飲んでいたので朝トイレに行きましたが、そこまでお腹は痛くはありませんでした。
10時すぎ
 浣腸をしました。下剤と違いとてもお腹が痛くなりました。看護婦さんから5分は我慢するように言われましたが1分ぐらいでギブアップ。
 お腹も痛くてトイレにしばらくこもっていましたが、ちゃんと出たか確認するので出たらトイレから看護婦さんを呼ぶように言われていましたので、呼び出しボタンを押して便器を見て確認してもらいました。こんなことする病院は珍しいと思います。
10時半
 手術着に着替えいよいよだなぁと妙な緊張が高まりました。
 そして点滴を開始しました。採血もそうですが、私の腕は血管がわかりづらいので看護婦さんも悪戦苦闘して別の看護婦さんが3回目にしてやっと針が入りました。
 点滴の針は普通の針を違って少し太いのでできれば1回で入って欲しいものです。
11時半
 肩に注射をしました。この注射は、気持ちを落ち着かせたり、麻酔や手術に必要なものだそうです。
 この注射は移動用のストレッチャーのようなベットに横になって注射されました。
 看護婦さんに「チクッとします」と言われたとおり普通の注射より痛く母に「痛~い。痛かったぁ」と言いました。
 この「痛かったぁ」と言ったのが手術前の最後の記憶になりました。
 この後は手術が終わり病室に戻ってくるまで記憶がありませんでした。
 私は記憶がありませんが、母と看護婦さんに頑張ってと見送られ、私もうなづいていたそうです。

 今思い返すと断片的にいくつかの記憶がありますが、それが手術室の中なのかもわからないとても曖昧な記憶です。
 手術室に入るときに窓を見たこと、先生に頬をたたかれ「終わったよ!」と言われたこと、看護婦さんの手をぎゅうっと握りしめたことなどです。

16時半
 気が付いたときには全身管だらけで、その苦しさで目が覚めました。覚めたと言っても意識は朦朧としていました。
 父が「よく頑張った。よく頑張った。」と連呼していました。このときに母に「今何時?」とかすれ声で聞いたところ「16じ半だよ」という返事でした。
 その後、時間はわかりませんが先生(主治医でもあり執刀医でもあります)が見に来てくれて「管が苦しい‥」と訴えると「20時になったら取ってあげる」と言われました。母からは腹腔鏡で手術が成功して全ての臓器が温存されたことも聞きました。

19時半すぎ~夜中
 20時までは我慢しようと思いましたが、我慢ができず20時前にナースコールで看護婦さんを呼び鼻の管を抜いてもらいました。
 鼻には胃まで通じてる管、口には酸素、右腕には点滴、左の二の腕には血圧、左の指に脈、両脚に血栓防止のためエアーマッサージ機、そして尿管。
 鼻の管は抜くときにとても変な感じがして気持ち悪かったです。酸素はもう少しと言われましたが、酸素も左腕の血圧や脈も足のマッサージ機も22時ぐらいには外してもらいました。
 背中には脊髄からいれた薬が手術後も入っており、これが痛み止めでお腹はあまり痛くありませんでした。ただこの痛み止めが吐き気をもよおしました。
 夜中は吐くものがないにもかかわらず、たまに吐き気に襲われ胃液や唾液を吐いていました。口が気持ち悪くなると、うがいをさせてもらっていました。
 術後すぐはすこし寒気がありましたがこの頃は寒気はありませんでしたが、気分は悪かったので氷枕をもらいました。これはよく効き吐き気も落ち着き少し楽になりました。
 手術当日ということで、術後は1時間おきに看護婦さんが様子を見に来てくれました。

明け方
 おそらく4時ぐらいだと思いますが、氷枕が効かなくなり吐き気がピークに達しました。
 寝ているとどうしても気持ち悪く、傷も心配でしたが、寝ているのが嫌で嫌で自力で起き上がりました。
 これはとても痛かったです。おそらく3センチ切った下腹が一番痛かったのだと思います。
 起き上がった瞬間は、全身麻酔のせいで頭がぐるんぐるんとして、吐き気が襲い私が「オエッ」としていると看護婦さんが受け皿をくれました。
 この時おそらく胃液を出したと思いますが、これで吐き気はおさまりました。
 看護婦さんに寝ていると吐き気がするので起きていたいと伝えるをベットをすこし上げてもらいました。
 そしてうとうとして朝を迎えました。

9月28日【術後1日目】
 朝起きてすぐに水を飲みました。人口呼吸器のせいで喉がとても痛く、水を飲んだあとのど飴を舐めました。
 これがどうも胃に刺激を与えたらしくこの後しばらく胃がとても痛みました。
 午前中に一度主治医が様子を見に来てくれました。その後回診があり傷口のシートを変えていました。
 透明なシートを貼られましたが結局これは抜糸まで貼ったままで消毒は一度もしませんでした。
 麻酔科の先生も来てくれて脊髄に注射を打ったときの話を聞きましたが、全然痛がってなかったとのこと。
 そして手術は1時間45分だったことも教えてもらいました。
 お昼に5分粥が出ましが、お粥がもともと苦手なのでおかずや味噌汁を少しだけ食べました。
 夜ご飯は7分粥でしたが、お粥もおかずも食べませんでした。
 昼過ぎがらは尿管を外してもらい少しずつ病棟を歩いていました。
 しかし尿意が戻らず、寝るまでに結局2回、内診室で尿管をまたつけて尿を出してもらいました。

9月29日【術後2日目】
 自分で排尿したかったので朝起きてすぐに自販機でコーヒーを買いに行き一気に飲み干しました。
 看護婦さんから出た尿を計るように言われましたが、計ろうとすると強迫観念にかられ全く出ませんでした。
 この日の昼近くになっても結局、尿意がもどらず先生は脊髄の痛み止めを外すと言いました。
 痛み止めなので外したくないと言うと、もし痛みが出たら飲み薬を出すと言われ、 背中の薬は外されました。この日もちょこちょこ病棟を歩いていました。
 少しずつ尿は出るようになりましたが出終わると膀胱がしぼむように痛かったです。
 この痛みはだんだん回数ごとに和らぎましたが退院するまで続きました。
 計った尿を用紙に自分で記録するのですが、私は計らずに用紙にはだいたいこれぐらいだろうと適当に書いていました。
 傷口の痛みはたいしてないものの、ベットが狭いからなのか肩こりがひどくなり電子レンジ用の湯たんぽやシップなどをもらいました。
 この肩こりは2~3日続きとても辛かったです。

9月29日【術後3日目】
 この日の夜にようやく点滴が外れました。結局12本打ちました。
 これで右手も開放されてすごくうれしかったです。
 この頃、回診の先生があまりにも私が睡眠不足のためまた誘導剤を出してくれました。
 まわりのいびきがすごく毎日ほとんど寝てなかったので助かりました。量を調整しながら退院まで飲んで眠りについていました。

10月1日【術後4日目】
 この日に主治医の先生から手術の話をしてもらいました。
 内膜症としては軽度で癒着は左の嚢腫の部分の1ケ所だけで、他には癒着はなく、子宮のまわりにも病巣もほとんどなかったこと、癒着の部分には体内に溶けるシートを張ったこと、左の卵巣はほとんど残ったこと、右の卵巣は異常がなかったことを聞きました。
 私は、軽度と聞き「正直このタイミングに手術に踏み切ってよかったのかと考えてしまいました」と言いましたが、先生は「左の卵巣をほとんど残せたのでこの時期でよかったと思う。もちろんこれぐらいだと手術はぜずにという人も多いけど。」と、言ってました。それから今後の治療は予定では注射を半年間打ってさらに病巣を叩くとのことでしたが、 先生はひとまず様子見で行こうとのこと。私が打ちたいのであれば打てばいいけど打たなくてもいいとのこと。
 私もできれば打ちたくはなかったので一安心しました。

10月2日【術後5日目】
 前日に階段を登り降りしたせいで足が筋肉痛になりました。入院してからたいして動いてなかったので体力が落ちていることを実感しました。
 この日からなるべくエレベーターは使わず、階段を使い売店に行くようになりました。

10月3日【術後6日目】
 無事に抜糸が終わり、明日の退院が決まりました。傷口は目立つといか目立たないというかこんなもんかなぁという感じでした。
 私はホッチキスのようなもので止めてあると思っていたので術後に黒い糸を見たときに正直「えっ縫ったの‥傷が目立つかも」と思っていました。
 抜糸はたいして痛みもなくその後はガーゼを貼られました。

10月4日【術後7日目】
 主治医に傷口を見てもらい「帰ろう」とのお言葉を頂き無事退院しました。
 自宅に帰って荷物を整理していると少しだるくなり体力が落ちていることを痛感しました。

 その後、10日程自宅静養して10月15日から職場復帰しました。

 余談になりますが‥これは手術中にわかったことですが私の子宮が奇形だったのです。
 卵管の検査では右は通っていませんでした。(左は通っていました。)
 右に副角子宮があるそうです。手術中に最初は気にならなかったそうですが手術を進めていくうちに「あれ?」と先生は思ったそうです。
 ですので、普通の人より子宮の中が狭いかもしれませんし、流産、早産、逆子、帝王切開の可能性があるそうです。
 内膜症でなのにさらに子宮奇形まで見つかり術後はなんとも言えない複雑な気持ちになりました。
 今もその気持ちは正直続いています。先生にも内膜症よりもショックとも伝えました。
 内膜症は完治しないけど奇形はもっとどうすることもできないのです。
 将来妊娠しても素直に喜ぶことはできないと思います。ちゃんと産んでこの手に抱くまでは心から喜ぶことはできないと思います。
 だけど、先生は妊娠はできると言ってくれたのでいつかの未来を信じて希望を捨てずにいたいとは思っています。
2007.00.00 00:00 | 固定リンク | 体験談
Momoさんの場合 (腹腔鏡手術)
2006.00.00
 Momo 24歳です。
 19歳くらいから、微妙に生理痛が出始め、手術1年くらい前にはかなりの激痛を伴うものでした。また、生理時の排便痛・性交痛もありました。
 結婚して3年、1度妊娠したのもの初期流産。その後1年ほどできないし生理痛も酷くなるばかりなので決心して婦人科へ。

 2ケ月かけ、不妊の検査・その他検査をしたところ「臨床ではあるが子宮内膜症・癒着あり」と言われました。名前を聞いたことあるだけの病気のため、その日からネットや医学書で調べまくり^^;
 主治医の先生といろいろ相談の結果、チョコレートのう腫は2cmと小さな物でしたが、癒着が酷そうな感じだったため手術決意。(10月中)

 通っていた病院は、手術設備のない個人病院のため、主治医も出張で手術に参加でき、信頼のおける先生(病院)を紹介していただきました。
 とりあえず、生理を1ケ月は止めてからという事で、05.12.1に腹腔鏡手術予定。
 しかし誤算が…貧血が酷すぎて「手術できません」と…(泣)
 12月から正月をはさみ、貧血治療(飲み薬)に。

 そして06.1.12に再決定。(貧血が治まった?ため)

◇1.11 入院。(4人部屋)
  14時→入院オリエンテーション
  体温・血圧測定
  抗生剤のアレルギーテスト(かなり痛かった;;)
  ガスを取る飲み薬(ガスコン)
  15時→入浴
  16時→外来診察
  18時→夕食 下剤服用(プルセニド錠)
  21時→消灯 睡眠薬(マイスリー)服用

 この日は、体は何ともないためヒマでした(笑)

◇1.12 手術当日
  6時→起床 下剤が効いてきて、4回トイレへ…
  9時半→4回もいったのに、とどめの浣腸(泣)
  10時→点滴開始(ラクテックともう1個何かメモ忘れ)
  13時→筋肉注射を打ち手術室へ(すでに半寝で緊張感・恐怖感なし)
       麻酔もいつかかったのか分かりませんでした^^;;
  16時過ぎ 手術後のため個室(ナースステーション横)へ

 この日は、夜中までほとんど記憶なし。
 だんな・母いわく、ずっと「痛い」と言っていたようです。
 今思えば、傷は痛くなかったように思います。
 とにかく腰が痛くてx2 痛いの前に「腰」をつけていなかったため2度も痛み止めの注射をしてもらいました…意味なしでした。

◇1.13 朝から歩く予定が、麻酔の効きすぎか、痛み止めのせいかボーーーーーーっとしすぎていたため(笑)朝の回診も気づかずつけていたはずの心電図・血栓防止のポンプ・血圧計等もすでに外されていました。

 そしてやっと昼に初めて歩き、元の病室に戻りました。その後、尿の管も外してもらいました。

 午後は、とにかく歩いてました。
 微熱はあったものの、麻酔による頭痛や吐き気などの副作用は全くありませんでした。
 異様に元気でした^^;

◇1.14・15 特に何もなく、傷も痛まず順調に回復。
 15日に、持続していた点滴もはずれ、薬の投薬終了。
 このころにはヒマすぎて院内をウロチョロしてました。

◇1.16 あまりにも身軽になり、入院も退屈(笑)になったため19日退院予定を、先生に「帰りたい~!!!」とごねたら、夕方の外来診察でOKがでて17日に無事退院。

 退院後、以外にも体は大丈夫で、普通の生活に戻れました。
 手術結果は、強固なものではないけど、癒着が3ケ所ほど、チョコレートは、左右卵巣に。ブルーベリー斑も大量にあり、さらに、子宮筋腫もみつかり、取り除いてもらいました。

 予想以上にあちこちに飛んでいたため、あと3ケ月生理を止めその後、経過観察になります。
 傷は当初3ケ所の予定でしたが、酷かったため4カ所になりました。(すべて1cmほど)

 最初は、怖くてしかたがなかったけど、結果からしたら手術してよかったと思います。
 自分の病状もはっきりわかり、これからのことも考えて治療できるし、妊娠にも希望が持てました。
 手術後の痛みは個人差がありますが、私は軽い方でした。
 手術に不安や恐怖を持っている方のはげみになればいいなと思います。
2006.00.00 00:00 | 固定リンク | 体験談
めぐみさんの場合 (腹腔鏡手術/出産後発見)
2004.00.00
 1997年出産。
 超安産だった割に産後の肥立ちが悪く、出血が止まらない。
 3か月程通院した後、いきなり内診台の上で押さえ付けられ、子宮内に溜まった血を掻き出される。
 あまりの痛みに失神。
 しかも中に出来ていたポリープも、何の説明もなく勝手に切除されていた。
 二度と産婦人科には行きたくないと決心するも、性交痛、下腹部痛が続くので、2003年2月に思い切って受診。
 両側卵巣腫瘍と診断される。

 ところがこの病院では、腹腔鏡手術が出来ない、数々のドクハラに遭ったこと等から、転院を決意。
 ネットで調べた病院に行ってみると、とても丁寧で好感が持てた。

 3月下旬よりスプレキュアの注射開始。
 注射は痛いがスタッフの感じが良いので、病院に行くのが毎回楽しみなくらい。

 そして8月1日、1クール終了。

◆8月2日。
 右下腹部痛が酷い。

◆8月3日。
 右下腹部痛+乳房の痛みで起きていられない。

◆8月4日。
 入院当日(手術前日)。

 あまりに痛いので、受診。
 内診されるが凄く痛い。
 採血してすぐにMRI検査。
 前の病院と比べ、締め付けないし音も静かな上、ヘッドフォンもしていたので、苦痛はなかった(前の病院ではヘッドフォン無しで造影剤も使用した為、検査後、目眩と吐き気で大変な目に。機械によって随分違うことを実感)。

 フィルムを見ながら医師と相談するが、痛みも引かないし放っておいても治らない、と言うことで、手術を決意。
 早速術前検査(止血検査、心電図、肺活量測定、レントゲン)を行う。
 その後一緒に来ていた夫と共に、医師の説明を聞く。

 夫は入院準備の為、一旦帰宅。
 私は痛みが酷いので病棟へ。
 麻酔のこと、家族のこと等聞かれながら、病衣に着替え。
 手術部位の除毛、おへその掃除、抗生物質のアレルギーテスト(私には痛かった!)を行う。

 その後の入院オリエンテーションが終わり、一人で病室にいると痛みが増してきて、ナースコールするべきか悶々と悩む。
 様子を見に来た看護師に痛み止めの座薬を入れてもらって、ようやく落ち着いた(その後翌朝まで痛みは無し)。

 夫と実家の母が来てくれた。
 入院準備をしてきた筈なのに、足りない物だらけ。
 段々イライラしてきた。

 痛みを取ってもらおうと気軽な気持ちで病院に行っただけなのに…本当は今頃、今日発売のジャ○プコミックスを読んでる筈だったのに…入院必要物品は揃ってないわ、何故か私の仕事用鞄を持ってくるわ、「ためしてガッ○ン」の本を持ってくるわ…大体入院の差し入れと言ったら漫画に決まっている(私の偏見)やろ!と、ここまで思いが至ったところで怒り爆発。
「ジャ○プ買って来てーっ!」
 と叫んで、夫を近くのコンビニまで走らせた。

 夕食は常食。
 夕食後、明日の手術執刀医が挨拶と説明に来る。
 腹腔鏡手術予定だが、開腹になる可能性もあることを、今一度説明される。

 9時以降、絶飲食。
 夜は悶々として眠れない。
 薬もらえば良かった、と後悔。
 一晩中、窓の外を眺めていた。

◆8月5日。
 入院2日目(手術当日)。

 朝一で浣腸。
 最近ご飯を食べていないので、あまり出なくて不安になる。

 術衣に着替えていると、夫と実母が到着。
「ちゃんと湯飲み持ってきたよv」
 と言って夫が差し出した物は、茶碗蒸しの器だった…。
 蓋付きの物を、と気を利かせたつもりらしいが、手術前に笑い殺す気かっ!!

 その後、右手首から留置針(太くて痛い)を入れて点滴(ラクテック500ml、ポタコールR500ml、生理食塩水100ml)。
 その間、執刀医、オペ看、看護師長と続々と挨拶に来られ、術前であることを実感する。

 ポタコールRを付けたまま、いよいよ手術室へ。
 ストレッチャーに乗り裸になると不安感が増すが、すぐに励ましの言葉と共に電気毛布が掛けられ、ちょっと落ち着けた。
 血圧計、心電図、点滴等を付けていると、CDのリクエストを聞かれたので、B'zを指名。
「子供がB'zのファンですよ」
 と言う院長と談笑しながら、硬膜外麻酔の管を入れられる。
 思ったより痛くない。
 その後マスクを口に。
「ちょっと咳が出ますよ」
 と言われて数回咳き込んだら、強制的に眠らされる感覚に襲われた。

「これが摘出した物です」
 と言う執刀医の声に、意識が覚醒。
 いきなり
「見せて~!」
 と絶叫した私に、周りも驚いた様子。
 必死に首を伸ばして覗き込むが、まだ目の前がちらついてぼんやりとしか見えなかった。

 その後また意識が飛んで、気が付いたら病室だった。
 心電図、血圧計、バルスオキシメーター、酸素吸入を付けられている。
 点滴はラクテック500ml。
 吐き気がして苦しい。
 込み上げてくるとお腹の創に響いて大変痛い。
 点滴の途中から、直接吐き気止めを入れてもらうと暫くはマシになるのだが、結局一晩で5回もどした。
 胃液で真っ茶色。

 身体の向きを変えたいが、痛くてうまく出来ない。
 一晩中眠れなくて、点滴(止血剤500ml、ポタコールR500ml)が落ちるのを見ていた。
 速度が遅くてイライラした。
 看護師さんが1~2時間毎に見に来てくれる。
 熱が37度後半あり、アイスノン、氷枕を交互に使用。

◆8月6日。
 入院3日目(術後1日目)。

 朝、心電図、血圧計、酸素吸入、点滴が取れる。
 徐々に人間に戻るようで嬉しい。
 明け方からお腹が張って、ガスが出た事を報告すると、「それは早い」と言われた。
 採血(貧血検査)、血圧、体温測定。
 微熱があるのでアイスノンを使用。
 お粥等の朝食が出たが、食欲が無く、牛乳だけ飲んだ。
 座ると尿管が痛い。

 院長来室。
「腹腔鏡と言われて遠くから来てくれているのに、開腹手術になったらどうしようか、とプレッシャーでしたよ。上手くいって本当に良かった」
 と満面の笑顔で言われ、初めて手術の成功を実感した。

 午前中に尿管を外し、弾性ストッキングも脱ぐ。
「傷も小さいし、外しましょう」
 と、明日外す予定だった硬膜外麻酔も取れた。
 恐る恐るトイレに行くと、少しお腹に響く感じがする。
 手術の為か、出血していた。

 午後になって肩が痛くなってきた。
 手術時にお腹に入れたガスが上がってきて痛むらしいのだが、とにかく痛い。
 腕を回してちょっと体操すると楽になるが、それも数分しか保たないので、ずっと腕を回し続けていた。

◆8月7日。
 入院4日目(術後2日目)。

 昨夜は入院して初めてぐっすり眠れた。
 主治医に
「歩くように、便を出すように」
 と言われる。
 トイレ時に、お腹の創に響くことを伝えると、薬が処方された。
 出した方が楽になるらしい。

 散歩がてら売店へ行き、雑誌を買う。
 手元には相変わらず「ためして○ッテン」本しかない。
 遠い病院に入院した私が悪いのだが、皆忙しいので手術日以降、誰も来ない。
 急なことだった為、友人も知らない。
 退屈で毎日売店へ行ったが、あまり種類がないのがこの病院の唯一残念なところだった。

 午後からビデオを見ながら、手術の説明をしてもらった。

・病名:両側卵巣嚢腫 右卵巣嚢腫茎捻転
・摘出:左右卵巣嚢腫
・子宮内膜症の癒着は殆ど見られなかった。
・生理痛の原因と思われる、左仙骨子宮靱帯を一部切断。
・卵管通水検査では、右卵管の通過性が確認出来たが、左卵管は閉塞している可能性がある。 等。

 ビデオは思っていたよりもグロテスクではなかったので、
「是非欲しい!」
 と申し出ると、快諾してもらえた。

◆8月8日。
 入院5日目(術後3日目)。

 昨日の薬(アローゼン)のお陰で、あまり腹圧をかけなくても便通があり、朝からスッキリする。
 朝食前に抜鉤。
 ニッパーみたいなものでパチンパチンと外していく。
 見た目ほど痛くはない。
 傷口を固定するシートが貼られた。
 傷跡を綺麗にする為のもので、2週間程度で自然に剥がれるらしい。
 因みに私は根性で1か月間貼り続け、今、傷跡はそんなに目立ちません。

 シャワーの許可が出たので、朝食後、早速シャワー室へ。
 夏場で髪の毛がベタベタだったのがスッキリ。
 徐々に戻っていくのが本当に嬉しい。

 退院日も話し合いの結果、2日後に決まった。
 相変わらず食欲がない。
 無理して食べていたら、胃が痛くなってもどしてしまった。
 看護師さんに相談して、半分の量にしてもらった。

◆8月9日。
 入院6日目(術後4日目)。

 医師、看護師共にあまり来なくなった。
 良くなってきているのだから当たり前だけれど、構ってもらえなくてちょっと寂しい。

 午後、退院診察。
 内診で器具が入ると少し痛いが、問題無し。
 明日の退院が正式に決まる。

◆8月10日。
 退院日。

 午前中に退院。
 ナースセンターに挨拶に行くと、
「ちゃんとご飯食べてね!」
 と口々に言われる。
 実際、かなり体重は減少していた。
 スタッフの方々にとてもとても良くして頂いたので、退院するのが寂しかった。

◆8月20日。
 退院後、初の外来。
 状態が良いので入浴許可も出た。

◆9月3日。
 1か月検診。

 異常無いので普通の生活に戻って良し。
 生理は早くて10月くらい。
 生理開始より、基礎体温表を付ける。
 再発の可能性があるので、経過観察は必要、等言われる。

◆9月24日。
 早くて10月、と言われていた生理が来た。
 最初は少ない人が多いと聞いていたが、初日からかなり量も多いし、下腹部が痛い。

◆12月3日。
 年明けに、といわれていた検診。
 生理が早く来たので、基礎体温のデータもあるし、排卵痛がするので診てもらう。

 卵巣の状態は良いが、筋腫は変わらず。
 その上今度は腺筋症の疑いがあるらしい。
 性交痛があってSEX出来ないことを伝えると、これ以上のことは病院では無理とのこと。
 子供が欲しいなら、と人工授精を勧められた。
 何だかショック。

 取り敢えず検診も一旦終了。
 もし異常があれば、また受診することになる。

■現在(2004年6月)
 夫婦で話し合った結果、不妊治療は受けないことにしました。
 身体は手術前より良いと思います。
 しかし、排卵時・生理時に右卵巣辺りが痛むので、また近いうちに受診する予定です。
2004.00.00 00:00 | 固定リンク | 体験談
みはるさんの場合 (予備知識なしで緊急手術)
2003.00.04
★2003年9月21日(日)の昼は過ぎていました。
 あちこちに買い物に行っていて車で走っていたのですが、急に腹痛があり、駐車場に車を止めてしばらく休憩し一眠りしたものの痛みが取れず、夕方になって何とか家まで帰りました。
 遊び歩いているから病気になるんだと父親に怒られながら、父親の運転で救急病院まで乗せて行ってもらいました。
 その2ヶ月くらい前にも急な腹痛のため同じ病院に行き、便秘と診断されたので、今回もそうだろうと家族の誰もが思っていました。

 前回は1時間以上待たされましたが、幸いにも患者が少なかったので、今回は10分位で呼ばれ、早く帰れると家族の誰もが思ったものの、内科の診察で「生理はいつきましたか?」と聞かれました。
 その後に、
「急にお腹が痛くなるなんて事は内科ではほとんどないから、産婦人科ではないかと思いまして…」
 と言われ、エコーをする事に。

 その結果、卵巣が腫れているとの事で産婦人科に連絡。
 たまたま産婦人科の先生がいたので診察をし、卵巣茎捻転の疑い、チョコレート嚢腫、と診断され、
「2時間後に手術します。卵巣茎捻転を起こしていた場合は、卵巣を取ります」
 と言われました。

「卵巣は2つあるから、1つ取っても、もう1つ残っているので、子供が全く出来ないわけではないですから…」と言われたものの、ものすごくショックでした。
 小さい頃から子供が好きで、保母の資格を持っているくらいで。
 実際には子供が好きなだけではできる仕事でないので、仕事をした経験はないものの…。
 お医者さんがいなくなった後、一粒の涙がこぼれました。
 看護婦さんの一人に見られてしまいました。恥ずかしかったです。

 手術に関しては、痛みをとってくれるのなら何してもかまわない状態でしたので、何の抵抗もなかったです。
 まな板の上の鯉とは、この事だと思いました。
 両親もさすがにびっくりしていました。

 その後、検査のため車椅子で移動し、点滴も始まって、着々と手術に向けての準備が始まりました。
 父親が、私が献血をしていると言ったらしく、担当医より、いつ頃だったのか確認を受けました。
 1年以内なら血液が残っているから、もしもの時は他人の血液を輸血するより、自分の血液のほうが体に負担をかけないと説明を受けましたが、私自身、献血の方は最近していませんでした。
 この時に、献血はしておいた方が良かったと、後悔しました。

 その後、軽く麻酔を点滴に入れられ、意識が朦朧としている中、手術の承諾書と、念のために輸血の承諾書に署名しました。
 その後、あまりの痛さに鎮痛剤を打って下さいと看護婦さんにお願いし、担当医より許可が下り、痛み止めの注射をしてもらいました。

 時間になり、手術用のベッドに看護婦さんや麻酔科の男の先生などの助けで何とか移動し、全身麻酔のマスクをかけられ、息が出来ない!と思った所までは記憶にあるものの、その後は人の声がして、目が覚めたら手術が終わって、病室のベッドの上でした。
 酸素マスクをはめていました。
 その日、母親に借りた一万円は使わなかったので、返すから財布から抜いて欲しい事、当時、職業訓練校に行っていたので、休む連絡をして欲しい事、バッグに明日の昼ごはん用のパンが入っているので食べてね、など伝えると、そのまま寝てしまいました。

 その後の夜中3時、看護婦さんの見回りで目が覚めました。
 眠りが浅いせいか、30分ごとの見回りのたび、目が覚めていました。
 看護婦さんは気の毒そうにしていましたが、私としては、看護婦さんが見回りに来るのが楽しみになっていました。
 酸素マスクがうっとうしかったので取って欲しいと言ったのですが、
「体の負担を軽くするために、7時まではして下さい」と言われたので、そういう役目をしているなら、しておかければ…と思い直しました。
 時間が来て酸素マスクが取れた時は、こんな体験はそうそう出来るものではないんだから…と、 名残惜しかったです。

★次の日、母親に「手術の終わった後に言った事を覚えている?」と聞かれ、思い出せないでいると、母親は呆れていました…。
 母親に聞いて思い出しましたけど、人間って気にしている事が、こういう時に言葉として出るんだな…と思いました。

 緊急入院と言う事で急患の病棟に入っていたので、産婦人科の病棟が空き次第、病室を移動しますとの事。
「今は空いていないので、それまではここにいて下さい」と言われました。
 でも1時間もしないうちに、病室が空きましたので移動しますと、ベッドごと移動…。
 キャスターが付いていて、ベッドに荷物やカルテも乗せられ、私と一緒に寝ていました(笑)。

 4人部屋で、すでに2人の方が入っていました。
 部屋はすごく綺麗で、トイレと洗面所がついていました。
 ロッカーもありましたが、使いませんでした。
 テレビ、冷蔵庫も1人1台。1日いくらか、料金が取られていました。

 ご飯は夕食からで、朝・昼はご飯が出ませんでした。
 点滴は1日中。
 トイレも、初めはそのまま用が足せるようにお腹に管が入っていましたが、昼過ぎから歩いて行って下さいと言われました。
 動く事で腸が活動して、おならが出るので。
 しばらくは、トイレとベッドの往復でした。

 夕食は五部粥が出ましたけど、お粥の大嫌いな私は、お粥を食べた事で逆に食欲がなくなり、ほとんど残していました。(作ってくれた人、本当にごめんなさい。)
 手術して出血があるのは当然という事で、鉄分の補給のために点滴を止めて、鉄分の薬を注射されました。確か2、3日あったと思います。
 手の甲に点滴をしていてかなり腫れてて、ものすごく痛かったです。
 看護婦さんにその後何回か「痛いんですけど…」と言ったのですが、血管にきちんと入っているので、手を動かさないからだ…という事で、多少動かして下さい、と言われました。
 担当医も夕方に様子を見に来てくれました。
 テレビは暇で見ていたものの、お笑いの番組は笑うとお腹が痛くて、見るのを遠慮してました。
咳も出来なくて…。

★入院3日目。
 朝食・昼食は全粥に変わりましたが、もちろん、ほとんど食べられませんでした…。
 夕食は、久しぶりのご飯という事で、3分の2くらい食べました。
 ご飯がおいしい事…。

 同じ部屋の人とも仲良くなりました。
 1人は、原因不明の貧血、栄養失調。
 婦人科と内科のどちらからしく…。
 見た目、栄養失調には見えなかったです。
 もう1人は、妊娠4ヶ月の人で、出血があり、絶対安静との事。
 産科の病室が空いてなくて、婦人科病棟に。
 子供がお見舞いに来ると、すごく賑やかになっていました。

 朝からようやく病室を出て、携帯が使える待合室で、携帯のチェック。
 メル友や、友達からのメールが溜まっていて、入院していて、メールが出来なかった事のお詫びの返事を送っていました。

 病室から出て、病院内を散歩。
 生まれたばかりの赤ちゃんを見ていました。
 暇さえあれば、赤ちゃんを見に行っていました。
 親には、病室にいない時は必ずここにいる、と言われました。

 祭日と言う事で、メールを見て、友達がお見舞いに来てくれました。
 ケンタッキーフライドチキンを持って。
 入院前には食べたいと思っていたけど、さすがに食べられなくて、親に取りに来てもらいました。
 友達に「この間、他の友達のお見舞いに行った時に、持っていったら喜ばれたから持ってきたんだけど…。ごめんね」と謝られて、返って申し訳なかったです。
 友達はその後、自宅に帰ってから母親に、「花にすれば良かったのに…」と言われたそうです。
 とは言うものの、友達と話をしてすごく楽しかったです。
 友達とは良いもんだと、ありがたさを感じました。

 食欲は、旺盛。ほとんど残さずに食べていました。
 とは言うものの、お腹が痛くて歩き回っていました。
 運動すれば、腸が活動するのを信じて。
 ガスも便も全く出ないので、看護婦さんに言って座薬を入れてもらいました。
 30分位でトイレに行って、痛みも取れました。
 普通、下剤を飲んで腸を空っぽにしてから手術するはずが、緊急手術のため、そのまま手術をした事が原因だったみたいです。
 その後は、順調にトイレに行ってました。(汚い話ですみません。)

 点滴は取れたのですが、手がかなり腫れていて…。
 手の甲からひじの近くまで腫れてました。
 点滴は化膿止めで、30分位のものがありました。
 すごく楽でしたけど、看護婦さんに「こんなに腫れて、なんで言わなかったの?」と言われました。「痛いでしょうに…」と。
 言ったんですけど…この人に言えばよかった…と、後悔。

 病状を担当医から、両親に説明。
 本人には後日説明する、という事だったようです。
「宇多田ひかると同じ病気なんだっ」と、母親から聞き、そうなんだ!と。
 とは言うものの、「宇多田ひかるも病気していたの?」って言う感じでした。

★4日目。
 点滴も終わって、退院が近くなってきたのを感じました。
 担当医も来て、「明日、抜糸の予定ですから」と。
 こんなに早く抜糸しても大丈夫なの?と不安に思った私でした。

 1人、明日手術と言う人が入ってきて、ベッドがすべて埋まりました。
 他は特に変わった事なし。
 体調も問題ありませんでした。

★5日目。
 予定通り、抜糸。
 念願だったお風呂も、許可が出ました。
 ただ、傷口を保護する透明のテープをしなくてはならないので、お風呂に入る前には看護婦さんに言って下さい、との事。
 同じ病室のお腹に赤ちゃんのいる人が、お風呂の予約を私の分までして下さいました。

 その日の夕方、退院の許可が出たものの、急に言われても…という事で、次の日の昼ごはん後に退院と言う事になりました。

 産科の部屋が空いたので、1人、病室の移動があり、2人になったのもつかの間、すぐに2人、入ってきました。
 1人は、私と別の人と話しているのがうるさかったらしく、旦那さんと2人でカーテンを閉めてしまい、その後、いつの間にかいなくなってしまいました。
 他の部屋に移ったのか…。何の挨拶もなかったので分かりません。
 もう1人の人は私より年下の人で、検査入院みたいでした。
 その他は、変わりなし。

★6日目。退院の日。
 赤ちゃんの見納めと言わんばかりに、入り浸っていました。
 そのせいか、「どれがお子さんですか?」と、患者さんに間違われてしまいました(笑)。お腹が出ていないので。

 話は逸れますが、看護実習で赤ちゃんの世話をしていた看護学生、赤ちゃんを扱う手がちょっと危なっかしかったです。

 主治医から、病状についての説明と今後の治療についての説明がありました。
 卵巣は無事でした、との事。ホッとしました。
 今後の治療としては、注射で生理を止めるというもので、次の生理が始まってから注射をするとの事でした。
 ただ、副作用として更年期障害の症状が出るので、本人次第、また、普通は半年間ですが、私の場合は3ヶ月でいいとの事。あまり長くすると、骨粗鬆症になる恐れがあるので。
 宇多田ひかるさんは、治療を途中で辞めてしまいましたけど、どうしますか?と聞かれました。
 即答できず、次の通院まで考えさせて下さいと、その場での答えは出しませんでした。

 午後2時過ぎ、無事に退院。
 同じ病室の人に挨拶。
 「最初はベッドに寝て、私より重症だったのに…」と言われました。
 産科に移った人にも挨拶。
 最初に3人いた人とは、メールアドレスを交換しました。
 家に帰ってからは自宅療養で、のんびりとしていました。

★10月1日、病院へ通院。
 治療はとりあえずして、あまりに酷ければやめる、と言う事で決まりました。
 生理はまだ来ていなかったものの、内診の結果、明日・明後日にも生理が来るとの事で、注射しました。
 睡眠薬と鎮痛剤をもらいました。

 その後、休んでいた職業訓練校に行き、診断書と欠席届を提出。
 パソコン講習の方は出席日数が足らないので、修了書の方は出せません、との事。
 残りの販売士の方は頑張って下さい、と言われました。
 教科書は教室の方にあるので、授業が終わってから取りに行くつもりで、授業が終わるのを待ちました。
 同じクラスの友達から、大丈夫?と心配して頂いて、嬉しかったです。忘れられていたらどうしようと思っていたので。
 学校には、男性の生徒さんもいたので、盲腸という事になっていました。
 その後、仲のいい友達には本当の病名を言いました。
 学校には、10月3日より復帰する事も伝えました。

 しばらくは、ワンピースやスカートでの通学になりました。
 バスの乗り降りが結構大変で、降りる時に動きが遅いので、降りるの?と、運転手さんに言われた事もありました。
 歩くのが遅く、友達に待ってと言う事もしばしば。
 それでもいつしか、自然に普段の生活に戻って行きました。

★10月29日、2度目の通院。
 注射をしました。
 点滴をした手首が痛い事を伝えました。
 湿布を貼って様子を見て下さいとの事。
 近況報告もしました。
 副作用は思ったほど酷くなく、次の予約を取って帰りました。
 学校の休みの日にという事で、次の診察は11月28日になりました。
 薬はこの間と同じものをもらって帰りました。

★11月10日、酷い腰痛。
 学校の友達に良いマッサージのお店を紹介してもらい、マッサージをしてきました。
 この時に、肩こりも酷いのでマッサージをしてもらったら、注射の痕もうっかりマッサージしてもらい…1時間後に出血。
 次の日、病院に連絡、様子を見ましょうとの事。
 もしかしたら、カプセル(注射により投薬されている薬)が壊れている恐れも…と言われ、血の気が少し引きました。

★11月28日、3度目の通院。
 注射をして頭痛が酷く、夜寝られない事も多い事を報告。
 今日で注射は終わり。
 あと、この間の事は不正出血だろうとの事。
 多分、しばらくは生理は来ないと言われました。
 次の診察は、2月3日を予約。
 薬をもらって帰りました。

★1月8日、痛み止めがなくなったので、予約なしに薬だけもらいに行きました。
 東京に旅行に行く予定があったので、念のために…。
 旅行中は何事もなく、無事に家に帰りました。
 旅行先では近所に総合病院があったので、何かあったときはその病院を頼る事ができると、安心しました。

★2月3日、4度目の通院。
 お腹が痛い事がある(酷くはないけど)など、近況報告。
 生理前なのかもしれないという事で、薬をもらいました。
「なんで痛み止めがいるの?」と聞かれて、肩こりからの頭痛がと、以前より言っていた事を伝えると、「そうだったね」と言われました。
 血液検査をして、結果が悪ければ電話しますとの事。
 次の予約は4月19日にしました。
 生理が2度ほど来たあとの様子をみたい、というお話でした。

★2月24日、注射後、初めての生理が来ました。
 量は少なめで、さらさらとした感じ。
 4日間位で終わりました。

 そして現在に至ります。

 病気の事については全然知識がなく、名前を聞いた事位しかなくて、どうやって調べようと考えていたところ、本屋で営業をやっている友達が、女性の医学辞典の販売があって、私にどうか、と勧めてくれました。
 それだけでは足らなくて、もうちょっと詳しく知りたいと思い、インターネットで、「子宮内膜症」、「掲示板」で検索した所、ここに辿り着きました。
 私だけじゃない事が分かって、頑張って病気に立ち向かう事ができました。
 励ましの言葉もいただき、とても嬉しくて、ネットをすると必ず見るようになってます。
 龍管理人さんに体験記を頼まれたとき、私みたいに、全然知識がなかった人に役立てればいいなと思い、引き受けました。
 読みにくい点とかあるとは思いますが、その辺は、お許し下さい。
2003.00.04 00:00 | 固定リンク | 体験談
さくやさんの場合 (開腹手術)
2003.00.03
 手術を行ったのは、今から3年半前の2000年の2月、24歳の時でした。

 異変が始まったのは手術の5日前です。
 会社での会議中に気が付きました。
 やたらと耳が聞こえづらいのです。
 これでは仕事にも差し支えると思って、早退して耳鼻科に行きました。
 でも、特にこれといった異常もなく、突発性難聴と診断されました。
 薬ももらいましたが、あまり効果はありませんでした。
 この突発性難聴は術後も2、3ヶ月間に渡って続きましたが、始まった時と同じく唐突に終わりました。

 原因は今でも不明です。
 が、その後腸に細菌が入り込んで下痢と嘔吐に心底苦しんだときに1度発現しました。
 どうやら、私にとっての危険信号だったらしいです。
 ただ本当に治療が必要な部分を知らせることには全く役にたっていない方法で危険を知らせるのは、体の持ち主と同じでひねくれてるからなのかでしょうか…(苦笑)

 そして、下腹部の痛みは土曜日の夕方、買い物中から始まりました。
 ただ、それ程激しい痛みでもなく、丁度生理の予定日が近かったので生理痛かと思ったのですが、それとも違うような痛みで、
「今まで経験したことない嫌な感じのする痛みだな」
 くらいにしかその時には思いませんでした。
 買い物から帰って、食事はとったものの痛みは引かず、着替えて布団に横になっていました。
 たまにうとうとしていたのですが、ますます痛みは増すばかり。
 トイレへいっても激しい排尿痛までありました。

 これはもうどうしようもないと判断したのは既に日付が変わる頃でした。
 救急車を呼んで(携帯しかなかったので、つながった場所が私の住む地域の管轄の消防署ではなく、別の所だったので、しばし待たされることになりましたが)、さて支度をしようとすると動いただけで激痛が。
 当時の私は一人暮らしでした。
 なんとか着替えて、財布と保険証を持って、戸締まりをして待つこと10分位。救急車が到着。
 救急隊員の方が家に来る前に、家を出て鍵を閉めて、救急車へと歩いて移動しました。
(本当は激痛をこらえるのに精一杯だったので、ストレッチャーに乗せてもらいたかったのですが、アパートの2階で狭い外階段しかなく、おまけに私は標準体重をかなり超えていましたので、救急隊員の方に苦労して運んで頂くのも申し訳ないと思ったので、自分で移動しました。
この話をすると大抵笑われるか、呆れられます。人間、最後は気力でどうにかなるものですよね 笑)

 病院への搬送中は、本当に苦しかったです。
 それまでじっと横になっていたので分からなかったのですが、振動がお腹に響くんです。
 猛烈な吐き気と下腹部痛を我慢すること15分程。病院に到着。
 すぐに当直の医者にみてもらったのですが、少し触られるだけで吐き気と痛みで涙目になる始末。
 既に深夜1時。
 当直医はろくに検査もせず、場所が下腹部なので、消化器系か婦人科系か判断できない、とりあえず入院するか帰るか判断してくれと言われました。
(多分、当直医の担当が内科でも産婦人科でもなかったのでしょうが、今思えば乱暴な判断ですよね)
 帰っても薬ももらってない以上痛みが治まるわけもなく、既に痛み始めて6時間以上たっているのに痛みは増すばかりで、おまけに一人暮らしじゃいざという時に誰にも助けてもらえないと思った私は、入院することを選択しました。

 救急車を呼ぶ前に実家には電話で病院へ行くことを話していたので、この時点で心配した母親から携帯に電話がはいり、入院することを告げるととにかく朝一番の飛行機でこちらにくると言いました。
 この日の関東地方の天候は予報では雪。
 四国から来る飛行機が飛ぶかどうかは不明でした。
 この時もまだそれ程大事とは思ってなかった私は、母親がわざわざ来るという言葉の方に驚き、 なんとか自分で頑張れると返事をしたのですが、
「入院するなら世話をする人が絶対必要!」
 という母親の意見に押し切られる格好でその時は電話を切りました。
 自分の意見を押し通して断っていたらと思うと、今でもちょっと怖くなりますが…。

 その後、看護婦さん達にストレッチャーで運ばれたのはどうやら内科入院患者さん達の部屋のようでした。
 そこで、しばらく寝かされていたのですが、激痛のために当然眠れるはずもなく、ひたすら我慢していました。
 そのうち、また看護婦さん達に呼ばれ、車椅子に乗せられて移動することに。
 どうやら産婦人科の担当医に連絡がついたらしく、これから診察してもらうことになりました。
 深夜、激痛と寒さで震えながら移動した病院の真っ暗な長く続く廊下は今でも鮮明に思い出します。

 そこで初めて受けることになった婦人科の検査。
 あの独特の診察用の椅子を見た時には目眩がしました。
 周りには担当医の他に2、3人の看護婦さんがいて、膣の中で指が移動する度に吐き気と激痛のため、のたうちまわる私を押さえつけていました。
 診察を終えた途端に吐き気は限界を超えて手近にあった洗面台で泣きながらひとしきり吐いた後、診断結果も何も告げられずに婦人科の入院患者用の個室に移動して休むように言われました。
 痛み止めの注射をしてもらって、点滴をうけたのですが、痛みは相変わらず。
 トイレに行きたくても、すぐ足元に用意してもらった簡易トイレに移動するのでさえ苦労しました。
 なんとか起きあがり、激しい排尿痛を我慢しながらトイレを済ましました。
 痛みが限界になって、ナースコールで看護婦さんを呼んで痛み止めの座薬を追加してもらい、なんとか明け方にうとうとしたように思います。

 朝、看護婦さんに言われたことは
「手術のために毛をそりますね」
 という言葉でした。
「手術なんて聞いてない、診断結果も何も知らない」
 と言うと、
「あれ?先生言い忘れたのかな」
 との答え。
 おい、それはちょっと待て!と盛大につっこみをいれたのは言うまでもありません。
 痛いので心の中で、ですが。

 それから暫くして担当医が現れ、両方の卵巣がかなり腫れていて、通常は親指程の大きさであるはずの卵巣が握り拳大くらいになっている、という説明で、今日は日曜日で本来手術はできないが月曜日まで延ばすこともできないくらい状況は悪い、即刻昼すぎには手術を行うと言われました。
 手術同意書に家族のサインが必要とかで、とにかく母親の到着を待ちました。

 雪は幸い降らなかったのですが、強風のため飛行機が若干遅れ、母親が病院に到着したのは、お昼前でした。
 携帯をもっていなかった母親へ私から連絡をいれることもできず、いきなり手術することになったと聞かされて呆然としていました。
 とにもかくにも同意書にサインし、手術が始まったのはそれから間もなくで、私が手術すると聞かされてからわずか2、3時間しかなかったと思います。
 心の準備なんてする時間もありませんでした。

 背中を丸めて脊椎にめちゃくちゃ痛い麻酔注射をうって(3本位うったと思います)、手術が始まりました。
 ですが、私は全身麻酔ではなく、局部麻酔だったのです。
 なので、手術中の担当医の話も全て聞えましたし、血を機械で吸い取る音や縫い合わせる糸で内臓が引っ張られる感覚もありました。

「癒着が酷い」
「卵巣の腫れも酷い」
 などという言葉を聞きながらの手術というのは、はっきり言ってあまりいい気分のするものではありません。
 酷いといわれても私自身が望んで起こした症状というわけでもありませんし、この手術台を上からみたら内臓を開いたまさにまな板の上の鯉状態なんだろうなと想像しただけでゾッとしました。

 手術中はとにかく腰が痛かったです。
 多分手術用のベッドが硬かったせいなのだと思います。
 仰向けで手術を受けているわけですから腰をもんでもらおうにもどうにもならず、最後はほとんど泣きが入っていたように思います。

 手術の時間は母親によると2時間位だったそうです。
 手術後に腹部を縫合したはずですが、そこまでの記憶はありません。
 ただぼんやり思い出すのは、人の話し声がしたことと手がふっと暖かかくなったことです。
 恐らく、病室に戻ってきた私の手を母が黙って握っていてくれたのでしょう。

 目が覚めたのはその日の夕方でした。
 翌日の朝、会社に病気のため休むことを連絡してもらうことと、入院に必要なものを用意してもらうことを母親に頼んで、その日は私の家に帰ってもらうことにしました。
 翌日、母親が上司に電話した時にはちょっとした騒ぎになったようです。

 当時、私は入社1年目で10月に本配属されたばかりでした。
 配属された先の部署というのが、バグだらけの欠陥パッケージソフトウェアを販売して多数のクレームユーザーを抱えた会社でも悪名高い部署で、ろくに指導もされず事情も分からないままひっきりなしにかかってくるユーザーへのクレーム対応と果てのないシステム検収で連日帰りは終電に駆込むような生活をしていました。

 私の場合はチョコレート嚢腫もあったので、恐らく会社のストレスだけが原因ではなくかなり以前から症状がすすんでいたと思うのですが、会社では新入社員に倒れるほど無茶をさせたと上司が非難されたようなのです。
 会社から病院に連絡した時に「面会謝絶です」と言われたことも騒ぎに拍車をかけました。
 復帰後に先輩にその時の様子を聞いて、私の方が驚いたくらいです。
 でも、当時2000年問題もあって正月休みも取れませんでしたし、休日出勤も珍しくなかったので、強制とはいえ休みをとることは体力的には正直ホッとしたのですが、精神的には辛かったです。
 仕事の都合も何もかもぶっちぎって休んでしまいましたし、私以上に不眠不休で働いている先輩方に迷惑をかけていることを思うと申し訳なかったからです。

 食事がだされたのは、手術後2日目くらいだったと思います。
 点滴で栄養補給はしていたかもしれないのですが、水を飲むことも禁止されていましたし、とにかくお腹が空いて胃が痛くなるくらいでした。
 最初にだされた食事は重湯。
 いくらお腹がすいていてもそれ程食べられるものでもありません。
(おまけに数日間重湯だけの食事が続きました)

 ちなみに、フランス留学中に子宮筋腫で腹腔鏡手術を受けた友達の最初の食事はフランスパンにジャムとカフェオレだったそうです。
 これもお国によって違うのでしょうね。さすがフランス。
 でも、私はフランス語はおろか、英語もしゃべれないので、外国で手術を受けるなんて考えただけで倒れそうですが。(笑)

 術後すぐに生理がはじまりました。
 量はとても少なくて、4日位で終わったと思いますが、2、3日は動くのが辛かったので、トイレでナプキンを取りかえるのに苦労した覚えがあります。

 傷はおへその下から15cmくらいあるでしょうか。
 皮下脂肪の厚い私は「縫合してもくっつきにくいから」という理由で、まるで魚の骨のような形状の縫合をされていました。(泣)

 傷を初めて見たときは、かなりショックでした。
 今はそれ程目立ちませんが、よく見れば縫合時の針の跡が残っています。
 傷口を押さえたガーゼを安定させるために貼るテープも人によってかぶれたりするので、何種類かを貼ってチェックするパッチテストを行う病院もあるみたいなのですが、私の場合は皮膚が弱いにも関わらず何のチェックもされず、同じ部分にテープを張られつづけた結果、かぶれて水ぶくれができるまでになってしまいました。
 今でもうっすらその水ぶくれがあった場所には跡が残っています。

 結局、私の場合は「両側とも子宮内膜症および右卵巣破裂」と診断されました。
 それも癒着が酷い4期でした。
 独身で子供もいないことを配慮され、両側とも卵巣は削っただけで保存してもらえました。
 病理検査にまわすため、私自身は取り除いた患部を見ることはできませんでしたが、母は見せられたそうです。

 退院直前に抜糸をして、丁度2週間で退院しました。
 私の家から交通事情のよくない国立病院に運ばれてしまったので、毎日自転車で通う母親は大変でした。
 術後も約半年に渡って生理を止めるために、月に1回やたらと痛くて料金の高い注射を打たなければならなかった(薬剤名は忘れてしまいました)のですが、交通事情の悪さに会社の近くの総合病院に転院したくらいです。
 この注射をうつと、体感温度が確実に何度か上がります。
 夏まで続いたので、スーツを着て客先に行かなければならなかったことも多かった私は、汗のための化粧くずれに悩まされました。

 先ほど書いた通り、仕事が気になっていた私は退院後12日で職場復帰しました。
が、3日でダウンしました。
 自分では大丈夫と判断して復帰したのですが、開腹手術は想像以上に体力を削り、普通の生活は負担がかかりました。
 通勤は、朝は始発駅だったので座れるのですが、帰りはラッシュにもまれて立っているのがやっとでしたし、会社でも自分の席から3m先にあるプリンタまでの往復をするだけで足がふらつきました。
 結局更に2週間お休みをもらい、(手術してから数えると1月半お休みをもらいました)復帰してからも1週間朝、夕1時間短縮してもらって様子をみさせてもらいました。

 私の場合は場合だけに社内全部に知れ渡ってしまったので、復帰後関係ない部署の方からも労わってもらい、手術や病気に関して嫌な思いをすることはありませんでした。
 また、私を直接指導する立場にあった女性の先輩も婦人科系の病気で苦しんでいたので、とても親身になって相談にのってもらえたり、仕事を手伝ってもらえたりして本当に助かりました。

 最後に私から一言助言をするとすると、とにかく生理が始まったら特に異常は自覚してなくても1度は婦人科の検査を受けるべきだということです。

 私自身、生理は順調だと思っていました。
 半月以上生理が遅れたこともなく、きっちり1週間で終わり、量も特筆して多いとも少ないともいえず、生理痛はありましたが、鎮痛剤を飲めば我慢できないわけでもありませんでした。
 周りの友人達の方がよっぽど生理痛に苦しんでいたくらいです。
 手術前の11月の健康診断でも判定はAだったんです。
 それでも卵巣が破裂する程症状が進行するまで、婦人科の検査をすることもなかった私には自覚症状がありませんでした。

 ただ、私自身にも少し人と違うことがあるとすると、やたらと痛みに鈍い体質だったようなのです。
歯医者が
「麻酔なしでここまで削ると普通の人なら悲鳴をあげる」
 という程の治療でも、私は全然平気ですし、今回卵巣が破裂した際も、担当医からは
「普通の人なら気絶する。悪ければ破裂したショックで死亡する人もいる。歩くなんて信じられない」
 と言われ、状況を知る看護婦さんからはやたらと
「本当に痛かったでしょう。一人暮しで心細かったのにすごいね」
 等と涙ぐまれるほど感心されました。

 痛かったのは事実ですが、卵巣が破裂したなどと私自身知りませんでしたし、一人暮らしだから自分でなんとかしなければという危機感から動けたとも言えるのですが、それ程切羽詰った状況だとは私は思っていなかったので、周りの人からこう言われることが不思議でした。
 歯医者の時には都合がいいと思っていたのですが、私の体質は異常に気付くのが遅れる以上、大変危険です。

 ですが、精密検査を受ける機会や大きな病気になることでもなければ、痛みに鈍いかどうかは自分でも本当に分からないのが現実だと思います。
 生理痛も鎮痛剤程度で治まるのが、本当に軽いせいなのか、痛みに鈍感なせいなのか判断はできないと思います。

 婦人科の診察は屈辱すら感じる辛いものですが、それでもとにかく受けてもらいたいと思います。
 異常がなければそれでよし、異常が見つかっても早ければ早いほど最終的には自分にとって利益になります。

 病気になってしまったことも、大きな手術傷を作ってしまったことも、この病気が原因でもしかしたら子供が作れなくなってしまったかもしれなくても、誰かに責められるようなことはしてないと私は胸をはって言えます。
 それでも、時として傷を見て悲しく、辛く、悔しくなることがあります。
 そして、病気を理由に心ない人達によって傷つけられることもこれから先もきっとあるでしょう。

 一人でも多くの人が私と同じ思いをすることがありませんように。
 心からそう思います。
2003.00.03 00:00 | 固定リンク | 体験談

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