ろろさんの場合 (腹腔鏡手術)
2002.00.04
ろろ、30歳独身です。
 今年の7月中旬のことです。
 朝目覚めたらひどい頭痛と吐き気で、微熱が下がりませんでした。
 風邪でもないのにおかしいなぁと思いながら、会社に午前中休むべく連絡をいれました。
 そのあとトイレにいって、便座に腰かけたとたんものすごい排尿痛で、どこかにつかまりながら必死で終わらせると、今度はめまいで目の前が真っ白になっていき、怖くなってトイレから這って出ました。
 しばらく横になりながら、なにかとんでもない病気にかかっているのでは、と確信していました。
 痛みの場所的に、婦人科系の病気ではないかと。
 ほんの2、3日前雑誌で子宮内膜症のことが小さく取り上げられていたこともどこかに引っかかっていました。

 その日はそのままお休みしましたが、次の日もひどい下腹部痛が続くので、痛みが少しおさまってから婦人科もある総合病院を受診しました。
 受付で症状を話したら、とりあえず内科でとのことで、先生にいろいろ話しているうちに最近下腹部が張っていることを思い出しました。
わたしのお腹を触った先生は即座に「確実に普通より張ってますね、この場所だと子宮か卵巣だと思われます」と。

 すぐに超音波(腹部)を撮り、卵巣に腫瘍があることが発覚、その足で婦人科を受診しました。
 触診のあと超音波の写真を見て先生から、「右の卵巣に腫れが12cmもあるから腫瘍の中身がなんにせよ、ここまで大きくなると手術するしかないよ」と言われ、血液検査、MRIの結果により、後日あらためて内膜症によるチョコレートのう種と診断されました。そのときに手術の日にちを決めて帰りました。(7月末)

 それから手術までの間、とくに治療はありませんでした。
 手術は一番早い日で約2ヶ月先(10月4日)とのこと、生理のたびに破裂するんじゃないかと不安でしたが、結局その後病院に行ったのは術前検査の時だけでした。

 幸いにもこの病院は婦人科が有名な病院だと後で知りました。
 わたしが最初に触診された先生はわりと評判の男の中年の先生だったのですが、実際の執刀医は若い女の先生でした。
 執刀医とは入院した日にはじめて会ったので、へんな気分でしたが、話しやすくていい先生でした。

 わたしの場合は病室にいるときに意識を朦朧とさせる注射を打っていたことと、たぶん先に眠ってから麻酔のチューブや尿管を入れたようなので、準備の間の不安とか痛みはまったくありませんでした。
 手術の順番が朝一番だったのも起きたらすぐ準備に取りかかるので気が楽でした。

 手術してすぐは集中治療室で、その後観察室に1晩いました。
 術後は吐き気があるのに吐く物がなくてひたすら痰を吐きました。
 それでも次の日の朝には自分で歩いてトイレにも行けました。
 術後の傷口の痛みもほとんど無かったです。

 後で、看護婦さんから取り出したチョコの写真を(デジカメからプリントアウトしたもの)をもらいました。かなりグロテスクです。
 わたしは腹腔鏡手術でしたが、先生からの術後の説明のときにビデオでの説明ではなく、何枚ものカラー写真での説明でした。
 やはり癒着が酷かったようで、結局は剥がせる所まで剥がして、左の卵巣にも病変が散っていたけれど、全部は焼ききれなかったとのことでした。

 術後2ヶ月たった今も、以前あったような下腹部痛が続いている為、現在は術後治療としてゾラデックスを打ちはじめたところです。
 入院日数は10日間で、自宅療養が2週間でした。
2002.00.04 00:00 | 固定リンク | 体験談
みのりんさんの場合 (腹腔鏡手術)
2002.00.03
私は現在25歳です。

 発病はいつなのかはっきりはしませんが、子宮内膜症の疑いがもたれたのは今から3年前になります。

 以前は、生理痛はそれほどひどくはありませんでした。
 学生時代は生理中だろうと平気で部活動(運動部)に精を出していました。
 しかし、社会に出たころから「どうも、最近生理中調子が悪い」と感じるようになりました。
 まあその程度ですから、それでも大したことはないといえばそうなのですが、学生時代、「生理が重い」といっていた友人たちが訴えていた頭痛腹痛微熱にくわえ、腰痛、排便痛などが年々ひどくなってきました。

 そして3年前、生理が終わって少ししたころだったと思いますが、突然の激痛。
 当時はストレスから胃腸も壊しており、そちらの方で入院したのですが、看護婦さんから「婦人科の方もいったほうがいい」といわれ、婦人科デビュー。
 それまで生理にはなんの問題もなかった(腰痛等はそう悩むほどのものではないと思っていた)ため、婦人科に踏み込むのは大変勇気がいりました。
 結果、診断は子宮内膜症、卵巣に血がたまっている、腸に癒着している。いわゆる、チョコレート嚢腫というやつでした。

 でもそのころは卵巣の腫瘍も小さく、治療が必要な程ではないといわれ、保留。腸炎の治療だけを続けていました。
 でも今思うに、最初の激痛も多分、卵巣の方の炎症だったと思われます。
 しかしその後、腸炎がだいたいよくなってからも激痛に見舞われること数回、入院3回。
 2回目以降ははっきり卵巣の腫瘍による炎症と診断されました。
 生理痛もどんどんひどくなり、たまに仕事を休んでしまうくらいになりました。

 今年の9月、4度目の入院の際、
「6センチ。そろそろとった方がイイかも。どうする?」
 と軽く言われました。
 本当に軽く言われたので、一瞬、手術はしてもしなくてもいいのか、と思ったくらいなのですが、よくよく聴いてみると放っといても腫瘍は小さくならないし、育つ一方だという。お医者様としては、患者自身の判断に任せるためにそういう言い方をするのでしょうが、手術は誰だってしたくはないのだから、「した方がいい」とハッキリ言ってほしかったと思います(-_-;)。
 お医者さんの言い回しには注意しましょうという話。

 そんなわけで、今年11月に手術。
 この2ヶ月で何があったのか、最終的には10センチにまで育ってしまっており、ギリギリ腹腔鏡手術で摘出しました。
 お臍のところから内視鏡を入れるので、お臍の辺りまで達する程に腫瘍が大きくなってしまうと開腹手術になるのだそうです。
 腰痛や排便痛からも想像されていたことでしたが、腸や骨盤との癒着が思ったよりひどく、これも開腹になるかどうかの瀬戸際だったとか。
 2時間半といわれていた手術時間は、結局4時間に渡りました。

 手術の結果、やはり子宮内膜症と確定され、次の生理後から疑似閉経の薬を使って治療を開始するそうです。
 これからが治療本番ということで、不安はありますが、年1回以上到来していた激痛から解放されたと思うと、今はスッキリした気分です(^^)。

 さて、ここまでが私の病気発覚から手術までの経緯でしたが、ここからは管理人さんの診察日記との相違点を少々(笑)。
 私の病気を知った姉が、こちらのサイトを探し当て、管理人さんの診察日記を全部プリントアウトして入院先に持ってきてくれたのが、今年9月の入院時。
「読みやすいし、お前と似たカンジの症状だったから」
 と持ってきたそれは、本当に分かりやすくためになるものでした(さらに笑いもあったのはいうまでもありませんが)。
 そして自分が手術することになってびっくり、まるっきり管理人さんと同じ手術!これはいいマニュアルになると、手術にもそれを持って臨みました。
 逐一それと自分が受けた処置をくらべてみると、やはり同じ手術でも病院によって多少違いがあることが判明。2、3あげてみたいと思います。

 まず、コレは何のためかは分かりませんが、手術前の入院が無駄に1日長かった。
 身体を休ませるためとか、何か意味はあるのでしょうが、なんの処置もなくベッドに転がされた1日は結構苦痛でした(笑)。

 腸のお掃除は、下剤と浣腸で1回づつ。手術前日の夜に下剤をのみ、それが効いた朝4時にトイレに駆け込み、やっと治まったころに追い討ちで浣腸。数年前の腸炎の時の苦しみが蘇った気がしました(-_-;)。

 あと、これが一番の違いでしたが、この病院では手術後寝たきりになった際に起こりやすい血栓症(「エコノミークラス症候群」といわれるアレです)を防止するために、少しでも早く自分で動くように指導されます。
 そのため、術後の痛みをやわらげるため背中(脊髄?)から麻酔のチューブを入れるのだそうです。
 私は残念ながら、先生の腕のせいか私の骨のせいか、そのチューブが入らず点滴と飲み薬で代用されてしまいましたが、その麻酔が入ると大分楽なのだそうです。

 さらに、その麻酔でもどうにもならない手術直後のために、「弾性ストッキング」というものを履かされました。白いタイツみたいなもので、それを履いた姿はけっこうおマヌケで人様にはお目にかけたくない気がします(笑)。

 そしてそうやって動かせるためか、点滴は術後2日で終了。あとは飲み薬でした。

 あとこれは病院の差ではなく個人差の話。
 麻酔の副作用か、術後は管理人さんのように吐き気に見舞われる方や、頭痛がひどい方がいるそうですが、私はどちらにもなりませんでした。
 副作用といえばちょっとだけ、唇に麻痺が残っていたくらいでしょうか。
 人口呼吸器を入れた時についたのではと思われる傷が口の中にあったので、そのせいもあるかも知れませんが、歯医者さんで麻酔を打たれた時のような状態が1週間くらい続きました。
 
 まあこのような違いはあれど、流れはほとんど管理人さんの日記と同じでした。
 私があの診察日記を心の支えにしたように、これから手術を受ける方の心構えに少しでもお手伝いができたら嬉しく思います。
 

 そしてこれは、お金の話ですが、この数回の入院でかなりお世話になったのは生命保険。
 もともと生命保険会社の社員だった私は、自分の保険はスペシャル(でも保険料は結構手ごろv)に設計していたので、病気を知らなかったころから「お産あたりで使うかもしれない」と女性専用特約もつけていたのですが、それが今回は功を奏しました。
 若い女性に死亡保険金はそう大きくいりません。
 生きているうちに使えるこういった特約は、死亡保険金額を削ってでもつけておくのが利口と感じました。
 病気が発覚して治療を進めてしまってからだと保険は入りにくくなります。
 もしまだそこまでいってない場合は、自分の保険を見直してみるのもいいかも知れません。
2002.00.03 00:00 | 固定リンク | 体験談
ひめダルマさんの場合 (手術後出産)
2002.00.01
私は31歳、主婦です。

 私が病気だと気付くのには、すご~く時間がかかった。
 生理痛なんて誰にでもあるし、出血の量だって多い人はたくさんいる!
 でも、それは大きな間違いだった。
 そして何よりも、当時そんな病気があることすら知らずに過ごしていたから…。

 多分あれは、社会人になりたての頃だったと思う。
 そして激痛!!
 初めの頃は、市販の鎮痛剤で治まっていた。
 そんなことが2~3年くらい続いた。

 1995年10月1日、めでたく結婚!(その頃には性交痛もあった)
 翌年の春頃、会社の後輩から「子宮内膜症」という病気について初めて聞かされた。
『私より酷そうだから、一度病院へ行った方が良いですよ!』と言われた。
 この生理痛は病気だったのか?
 確かに、この頃には市販の薬では効き目ゼロだった。
 仕事が忙しかったり、多少の痛みには耐えられる体質のせいか、ずっと我慢していた。

 そしてタウンページで産婦人科を調べ、『取り敢えず、この痛みを止める薬を下さい』と、そんな感じで病院へ駆け込んだ。
 ところが、そんな甘い物ではなかった。
 診断の結果、やはり内膜症だった。
 その時は3センチくらいだった。
『本当は、切除してしまうのが一番望ましい』と言われた。
 妊娠を望むにしても出来にくいだろうし、うまく出来たとしても、途中破裂してしまう事もある、と。
 ショックだった。

 でも、当時手術しなくても治るという話を耳にしていた為、病院を変えてみた。
 不妊のことも含めて総合病院へ変えてみた。
 やはり、手術を勧められた。
 でも恐怖心からか、それだけはイヤだった。
 一応、子供が早く欲しい事を伝え、他の原因を調べてみることになった。

 基礎体温・性交後試験(性交後、子宮腔内に精子があるかどうかの検査)・卵管通気法(子宮口から炭酸ガスを入れ、卵管の通りを診る検査)
 全ての検査、異常なし!
 ただ、通気法は二度とやりたくない!
『ちょっと気分が悪くなるから、検査後は外の椅子で休んでいてね』と言われたのだが、そこへ辿り着く前、診察台の脇で倒れた。

 妊娠希望の私は、何の治療もせず経過観察で、毎月排卵日頃診察という形をとった。
 半年くらい通ったが妊娠の兆候はなく、手術の決意をした。

 1996年11月19日、入院、翌20日手術となった。
 入院した日は大部屋(術後は個室)で、同じ日に入院したオバサマが話しかけて来てくれ、同じ病気だったことで盛り上がり、すっかり不安を取り去ってくれた。

 20日午後2時30分、卵巣嚢種(チョコレート嚢種)5.3×4.0センチ摘出開腹手術が行われた。
 診察時には見られなかった嚢種が、もう片方に3センチくらいの物が発見された。
 約2時間で無事手術を終えた。
 本当に痛みに鈍い私は、麻酔の効き過ぎ?(いや、そんなことは…)で眠いの何の。
 術後、看護婦さんが心配して来てくれるが、受け答えするのが辛かった(全然平気ですから…)。
 でも、ちょ~ど当日、生理予定だった私。
 来ましたとも。
 腹の中いじくられても、来る物は来ますね(不思議!)
 そこでやっと、痛み止めを点滴に入れていただいた(二日後には、点滴引き連れトイレにも行けるほどでした)。
 後で聞いた話、オバサマ達は、3回くらい、入れて貰ったらしい。

 11月31日、無事退院!
 退院後の検診でも何ら問題なかったが、妊娠しなかった為、病院を変えてみた。
 病院を変えても『異常はないのだから大丈夫』と言われ、もう病院へ行くのはやめた。

 1997年12月下旬、生理が遅れた。
 一週間様子を見て、妊娠検査薬を使用。
 結果、陽性。
 やった~!
 妊娠してる。
 病院へ行こうと思ったのもつかの間、出血した。
 稽留流産(※)だった(わずか6週目)。
 確かに残念だったけど、私は妊娠出来ないと思ってたのに、例えわずかでも妊娠出来た事が嬉しかった。
 だって不妊症じゃなかったのだから…。

 1998年6月12日、再び妊娠。
 そして又も出血(あぁ~ダメか)。
 医師も『様子を見よう』と言う事になった。
 3日待ったが、出血が止まらず病院へ。
 今度はちゃんと、心臓が動いていた!
 確かに新しい命が、このお腹の中に…。
 そしてその後の妊娠ライフは、順調すぎるほど順調でした。

 1999年2月1日、0:33AM、無事、男児誕生!(予定より12日早く)
 何と分娩室に入り、わずか30分だった。

 私の場合、あまり自分のことは気にしないタイプなので、全て医者任せでした。
 自分と同じ病気で悩んでいる人がいるというのも心強かったし、ましてや自分より大変な人は沢山いる!
 今思えば、全て良いタイミングでここまで来たのだと思います。
 悩んでいる人は、あまり気にしないと言うのも一つの手段では…。

 余談ですが私の知人も同じく子宮内膜症で、一人は術後間もなく無事出産、もう一人は手術せず出産しました。
 不妊では?と思っている人は、こんな例もあるんだぞ、と少しでも励みになればと思います。

※管理人より一言情報

「稽留(けいりゅう)流産」
流産の定義として、正常妊娠では妊娠8週までに胎児心拍が100%認められる、とされており、それ以降に胎児心拍が見られない時には流産と診断される。
これは月経が不順な場合、基礎体温表等で確認する必要がある。
また妊娠週数がはっきりしない時、胎嚢(赤ちゃんの入っている袋)が4センチ以上の場合、若しくは、はっきりと赤ちゃんが見えているにも関わらず胎児心拍が見えない等の状態を、流産とする。
稽留流産とは、このように赤ちゃんが死んでいるにも関わらず、子宮外に排出されず、子宮内に留まっている状態のこと。
2002.00.01 00:00 | 固定リンク | 体験談
Keikoさんの場合 (開腹手術)
2002.00.00
私は37歳、会社員、独身です。

 私が最初にお腹の激痛に襲われたのは14年前、1988年の秋でした。
でも、毎月痛くなるわけでもなく鎮痛剤を飲めば治っていたので慢性盲腸かな?くらいにしか思っ ていませんでした。

 1990年5月、いつもより腹痛がひどいので家の近くの外科へ行きました。
「盲腸だね、手術しよう。」と言われ即、入院しました。
 母が生理痛がひどくて「盲腸切ったら治った」って聞いてたから私も切ったら生理痛なくなるんだって思ってました。
 手術は局部麻酔でした。
 手術中に「卵巣が少し腫れてるからまたお腹痛くなるかも?」と言われました。
 その時に「総合病院に行っときゃよかった・・・」と後悔。

 そして、1990年7月28日、今までにない激痛に襲われ産婦人科に行くと右の卵巣が茎捻転をおこしていました。
 即、手術、卵巣摘出でした。
 その後は生理痛もなくなり快適な日々が続いてました。

 しかし、1998年頃から生理痛がひどくなりはじめました。

 2000年7月11日、生理も来ていないのに朝からお腹が痛い、
 なんで~~?と思ったけど職場へ・・・けど応接室で横になる始末・・・。
 病院行かなきゃと思い痛いお腹をさすりながら運転して一旦自宅に帰った。
 家に帰った途端、吐き気をもよおしてトイレに駆け込み痛みと両方で苦しがってたら連絡しておいた母が到着。
 一番家から近い産婦人科に連れて行ってもらいました。
 その頃は椅子に座ることもできなくて横になって診察を待っていました。

 やっと診察・・・「卵巣腫れてるし腹水もたまってるよ」と言われ、とりあえず分娩室の横の部屋で点滴してもらうことになった。
 でも、全然痛みが引かない。
「入院しないといけないけどうちは今満床だからどこか他の病院知ってる?」と言われ勤務先近くの産婦人科(1回行ったことがある)に母から連絡をとってもらう。
 でも、その病院の先生、「本人を電話に出して」と母に言った。
 私はベッドの上でもがき苦しんでるのに電話になんか出れる訳ない。
 それを聞いてた先生が「そんな病院なら行かない方がいい、腹水は別の原因も考えられるから外科に行ってみて、近くの町立病院、もうすぐ昼からの外来始まるから」と言われて町立病院へ行った。

 色々な検査をして「やっぱり婦人科の方だね」と言われ高松市内の総合病院へ救急車で搬送された。
 点滴はずっとしたまま・・・でも痛みは全くひかなかった。
 歩くことなんてできなくて車椅子利用したけど足が上がらない、診察台に上がるのもやっとという状態でした。

 診察結果は・・・急性腹症、卵巣腫瘍疑 というものでした。
 左の卵巣は9×8cmまで肥大してました。
 いつ手術になるかもしれないということで絶飲、絶食になりました。
 (結局5日間続いた)点滴は持続で針入れっぱなし・・・もともと針が入りにくいので抜くと大変。
 看護婦さんも先生も苦労してた。
 どこから入れようか状態になって結局1週間で点滴も終わりました。
 あと、貧血がひどくて造血剤投与。
 これも1週間ほどでした。
 後は飲み薬だけで様子をみることになりました。
 先生は早く手術した方が・・・って思ってたみたいだけど私は拒否し続けました。
 独身で結婚の予定もないけれどこれ取ったらどうなるの?っていう気持ちが強くて・・・卵巣自体いいところが残ってないと言われてたので手術するなら全部取られちゃう・・・それは絶対イヤだった。

 でも、血液検査の結果が良くならず、44日間入院、職場に至っては丸2ヶ月お休みしてしまいました。
 手術したら2週間で退院できるのに、ベッドの回転が速い産婦人科でよく40日以上も入院させてくれたものです。

 退院1ヶ月後から点鼻薬での治療を半年間続けました。
 点鼻薬治療後、「今が妊娠のチャンスなんだけど・・・」って先生に言われました。
 わかっているけれど相手がいないんじゃどうしようもない・・・。

 薬を止めて3ヶ月、2001年8月25日、友達と会う約束をしていたので出かける準備をしていたら急に激痛、みるみる動けなくなりました。
 (お昼1時頃)また、痛みと吐き気。母に連絡しようとしたら何回TELしても留守。
 まじで痛い・痛い・痛い・自分で救急車呼ぼうとしたけど、この散らかった部屋、この格好、超恥ずかしい。
 私が運ばれたら家の鍵はどうなるの?
 そんなこと考えたら呼べなくなった。
 どんな体勢でいたら痛みが少しでも和らぐか・・・部屋中ゴロゴロしてました。
 痛みと戦うこと2時間半、やっと母と連絡が着き、家まできてもらって救急車を呼んでもらいました。
 診察結果は卵巣出血、骨盤腹膜炎でした。
 入院して抗生剤投与で治療しました。(11日間)
 この入院から担当の先生が変わりました。

 2001年11月、卵巣の状態が変わらないので嚢腫の切除を勧められました。
「この分だとまたひどい痛みが近いうちに来ると思う」、「全摘ではなく悪い個所だけ取るのが大前提」だと言われました。
 何回もの入院でこれ以上職場にも迷惑はかけられないと思っていたので同意しました。

 2001年11月20日手術。
 私の場合は開腹手術でした。麻酔は全身麻酔と硬膜外麻酔でした。
 麻酔をする時も思っていたより痛くなかったです。
 病室に帰った頃から記憶あります。
 時間にして2時間強、癒着もありました。
 手術しながら腫瘍が悪性か良性か検査して万が一悪性だったら子宮も摘出しますと言われていましたが幸いでした。
 「予定通りの手術で終わったからね」と先生から言われたときは嬉しかったですね。
 術後は麻酔が覚めたら体を動かしてねと言われていたので足を中心に動かしました。(これは何の手術をしても言われる、癒着防止)

 手術して3日目、予定通り生理もきました。
 13日間の入院でした。2002年2月、リュープリン注射開始。
「どこにしますか?お腹に打つ人もいますよ。」と言われたが怖かったので腕にしてもらう。
 点鼻薬と副作用は同じです。
 のぼせと肩こり、夏場は汗、大変です。

 2002年7月 リュープリン注射終了。
 早ければ今月終わりくらいに生理が復活しそう。
 今度の診察は9月10日です。



最後に私の経験から・・・

・早期発見、早期治療。
 特に、若い方は産婦人科に行くことに抵抗があると思いますが、自分の為、勇気を持って。

・病院は待ち時間長いけれど総合病院の方がいいかも?
 他に悪いところがあってもフォローができる。

・それかすぐに大きな病院を紹介してくれるところ。
2002.00.00 00:00 | 固定リンク | 体験談

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