みはるさんの場合 (予備知識なしで緊急手術)
2003.00.04
★2003年9月21日(日)の昼は過ぎていました。
あちこちに買い物に行っていて車で走っていたのですが、急に腹痛があり、駐車場に車を止めてしばらく休憩し一眠りしたものの痛みが取れず、夕方になって何とか家まで帰りました。
遊び歩いているから病気になるんだと父親に怒られながら、父親の運転で救急病院まで乗せて行ってもらいました。
その2ヶ月くらい前にも急な腹痛のため同じ病院に行き、便秘と診断されたので、今回もそうだろうと家族の誰もが思っていました。
前回は1時間以上待たされましたが、幸いにも患者が少なかったので、今回は10分位で呼ばれ、早く帰れると家族の誰もが思ったものの、内科の診察で「生理はいつきましたか?」と聞かれました。
その後に、
「急にお腹が痛くなるなんて事は内科ではほとんどないから、産婦人科ではないかと思いまして…」
と言われ、エコーをする事に。
その結果、卵巣が腫れているとの事で産婦人科に連絡。
たまたま産婦人科の先生がいたので診察をし、卵巣茎捻転の疑い、チョコレート嚢腫、と診断され、
「2時間後に手術します。卵巣茎捻転を起こしていた場合は、卵巣を取ります」
と言われました。
「卵巣は2つあるから、1つ取っても、もう1つ残っているので、子供が全く出来ないわけではないですから…」と言われたものの、ものすごくショックでした。
小さい頃から子供が好きで、保母の資格を持っているくらいで。
実際には子供が好きなだけではできる仕事でないので、仕事をした経験はないものの…。
お医者さんがいなくなった後、一粒の涙がこぼれました。
看護婦さんの一人に見られてしまいました。恥ずかしかったです。
手術に関しては、痛みをとってくれるのなら何してもかまわない状態でしたので、何の抵抗もなかったです。
まな板の上の鯉とは、この事だと思いました。
両親もさすがにびっくりしていました。
その後、検査のため車椅子で移動し、点滴も始まって、着々と手術に向けての準備が始まりました。
父親が、私が献血をしていると言ったらしく、担当医より、いつ頃だったのか確認を受けました。
1年以内なら血液が残っているから、もしもの時は他人の血液を輸血するより、自分の血液のほうが体に負担をかけないと説明を受けましたが、私自身、献血の方は最近していませんでした。
この時に、献血はしておいた方が良かったと、後悔しました。
その後、軽く麻酔を点滴に入れられ、意識が朦朧としている中、手術の承諾書と、念のために輸血の承諾書に署名しました。
その後、あまりの痛さに鎮痛剤を打って下さいと看護婦さんにお願いし、担当医より許可が下り、痛み止めの注射をしてもらいました。
時間になり、手術用のベッドに看護婦さんや麻酔科の男の先生などの助けで何とか移動し、全身麻酔のマスクをかけられ、息が出来ない!と思った所までは記憶にあるものの、その後は人の声がして、目が覚めたら手術が終わって、病室のベッドの上でした。
酸素マスクをはめていました。
その日、母親に借りた一万円は使わなかったので、返すから財布から抜いて欲しい事、当時、職業訓練校に行っていたので、休む連絡をして欲しい事、バッグに明日の昼ごはん用のパンが入っているので食べてね、など伝えると、そのまま寝てしまいました。
その後の夜中3時、看護婦さんの見回りで目が覚めました。
眠りが浅いせいか、30分ごとの見回りのたび、目が覚めていました。
看護婦さんは気の毒そうにしていましたが、私としては、看護婦さんが見回りに来るのが楽しみになっていました。
酸素マスクがうっとうしかったので取って欲しいと言ったのですが、
「体の負担を軽くするために、7時まではして下さい」と言われたので、そういう役目をしているなら、しておかければ…と思い直しました。
時間が来て酸素マスクが取れた時は、こんな体験はそうそう出来るものではないんだから…と、 名残惜しかったです。
★次の日、母親に「手術の終わった後に言った事を覚えている?」と聞かれ、思い出せないでいると、母親は呆れていました…。
母親に聞いて思い出しましたけど、人間って気にしている事が、こういう時に言葉として出るんだな…と思いました。
緊急入院と言う事で急患の病棟に入っていたので、産婦人科の病棟が空き次第、病室を移動しますとの事。
「今は空いていないので、それまではここにいて下さい」と言われました。
でも1時間もしないうちに、病室が空きましたので移動しますと、ベッドごと移動…。
キャスターが付いていて、ベッドに荷物やカルテも乗せられ、私と一緒に寝ていました(笑)。
4人部屋で、すでに2人の方が入っていました。
部屋はすごく綺麗で、トイレと洗面所がついていました。
ロッカーもありましたが、使いませんでした。
テレビ、冷蔵庫も1人1台。1日いくらか、料金が取られていました。
ご飯は夕食からで、朝・昼はご飯が出ませんでした。
点滴は1日中。
トイレも、初めはそのまま用が足せるようにお腹に管が入っていましたが、昼過ぎから歩いて行って下さいと言われました。
動く事で腸が活動して、おならが出るので。
しばらくは、トイレとベッドの往復でした。
夕食は五部粥が出ましたけど、お粥の大嫌いな私は、お粥を食べた事で逆に食欲がなくなり、ほとんど残していました。(作ってくれた人、本当にごめんなさい。)
手術して出血があるのは当然という事で、鉄分の補給のために点滴を止めて、鉄分の薬を注射されました。確か2、3日あったと思います。
手の甲に点滴をしていてかなり腫れてて、ものすごく痛かったです。
看護婦さんにその後何回か「痛いんですけど…」と言ったのですが、血管にきちんと入っているので、手を動かさないからだ…という事で、多少動かして下さい、と言われました。
担当医も夕方に様子を見に来てくれました。
テレビは暇で見ていたものの、お笑いの番組は笑うとお腹が痛くて、見るのを遠慮してました。
咳も出来なくて…。
★入院3日目。
朝食・昼食は全粥に変わりましたが、もちろん、ほとんど食べられませんでした…。
夕食は、久しぶりのご飯という事で、3分の2くらい食べました。
ご飯がおいしい事…。
同じ部屋の人とも仲良くなりました。
1人は、原因不明の貧血、栄養失調。
婦人科と内科のどちらからしく…。
見た目、栄養失調には見えなかったです。
もう1人は、妊娠4ヶ月の人で、出血があり、絶対安静との事。
産科の病室が空いてなくて、婦人科病棟に。
子供がお見舞いに来ると、すごく賑やかになっていました。
朝からようやく病室を出て、携帯が使える待合室で、携帯のチェック。
メル友や、友達からのメールが溜まっていて、入院していて、メールが出来なかった事のお詫びの返事を送っていました。
病室から出て、病院内を散歩。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ていました。
暇さえあれば、赤ちゃんを見に行っていました。
親には、病室にいない時は必ずここにいる、と言われました。
祭日と言う事で、メールを見て、友達がお見舞いに来てくれました。
ケンタッキーフライドチキンを持って。
入院前には食べたいと思っていたけど、さすがに食べられなくて、親に取りに来てもらいました。
友達に「この間、他の友達のお見舞いに行った時に、持っていったら喜ばれたから持ってきたんだけど…。ごめんね」と謝られて、返って申し訳なかったです。
友達はその後、自宅に帰ってから母親に、「花にすれば良かったのに…」と言われたそうです。
とは言うものの、友達と話をしてすごく楽しかったです。
友達とは良いもんだと、ありがたさを感じました。
食欲は、旺盛。ほとんど残さずに食べていました。
とは言うものの、お腹が痛くて歩き回っていました。
運動すれば、腸が活動するのを信じて。
ガスも便も全く出ないので、看護婦さんに言って座薬を入れてもらいました。
30分位でトイレに行って、痛みも取れました。
普通、下剤を飲んで腸を空っぽにしてから手術するはずが、緊急手術のため、そのまま手術をした事が原因だったみたいです。
その後は、順調にトイレに行ってました。(汚い話ですみません。)
点滴は取れたのですが、手がかなり腫れていて…。
手の甲からひじの近くまで腫れてました。
点滴は化膿止めで、30分位のものがありました。
すごく楽でしたけど、看護婦さんに「こんなに腫れて、なんで言わなかったの?」と言われました。「痛いでしょうに…」と。
言ったんですけど…この人に言えばよかった…と、後悔。
病状を担当医から、両親に説明。
本人には後日説明する、という事だったようです。
「宇多田ひかると同じ病気なんだっ」と、母親から聞き、そうなんだ!と。
とは言うものの、「宇多田ひかるも病気していたの?」って言う感じでした。
★4日目。
点滴も終わって、退院が近くなってきたのを感じました。
担当医も来て、「明日、抜糸の予定ですから」と。
こんなに早く抜糸しても大丈夫なの?と不安に思った私でした。
1人、明日手術と言う人が入ってきて、ベッドがすべて埋まりました。
他は特に変わった事なし。
体調も問題ありませんでした。
★5日目。
予定通り、抜糸。
念願だったお風呂も、許可が出ました。
ただ、傷口を保護する透明のテープをしなくてはならないので、お風呂に入る前には看護婦さんに言って下さい、との事。
同じ病室のお腹に赤ちゃんのいる人が、お風呂の予約を私の分までして下さいました。
その日の夕方、退院の許可が出たものの、急に言われても…という事で、次の日の昼ごはん後に退院と言う事になりました。
産科の部屋が空いたので、1人、病室の移動があり、2人になったのもつかの間、すぐに2人、入ってきました。
1人は、私と別の人と話しているのがうるさかったらしく、旦那さんと2人でカーテンを閉めてしまい、その後、いつの間にかいなくなってしまいました。
他の部屋に移ったのか…。何の挨拶もなかったので分かりません。
もう1人の人は私より年下の人で、検査入院みたいでした。
その他は、変わりなし。
★6日目。退院の日。
赤ちゃんの見納めと言わんばかりに、入り浸っていました。
そのせいか、「どれがお子さんですか?」と、患者さんに間違われてしまいました(笑)。お腹が出ていないので。
話は逸れますが、看護実習で赤ちゃんの世話をしていた看護学生、赤ちゃんを扱う手がちょっと危なっかしかったです。
主治医から、病状についての説明と今後の治療についての説明がありました。
卵巣は無事でした、との事。ホッとしました。
今後の治療としては、注射で生理を止めるというもので、次の生理が始まってから注射をするとの事でした。
ただ、副作用として更年期障害の症状が出るので、本人次第、また、普通は半年間ですが、私の場合は3ヶ月でいいとの事。あまり長くすると、骨粗鬆症になる恐れがあるので。
宇多田ひかるさんは、治療を途中で辞めてしまいましたけど、どうしますか?と聞かれました。
即答できず、次の通院まで考えさせて下さいと、その場での答えは出しませんでした。
午後2時過ぎ、無事に退院。
同じ病室の人に挨拶。
「最初はベッドに寝て、私より重症だったのに…」と言われました。
産科に移った人にも挨拶。
最初に3人いた人とは、メールアドレスを交換しました。
家に帰ってからは自宅療養で、のんびりとしていました。
★10月1日、病院へ通院。
治療はとりあえずして、あまりに酷ければやめる、と言う事で決まりました。
生理はまだ来ていなかったものの、内診の結果、明日・明後日にも生理が来るとの事で、注射しました。
睡眠薬と鎮痛剤をもらいました。
その後、休んでいた職業訓練校に行き、診断書と欠席届を提出。
パソコン講習の方は出席日数が足らないので、修了書の方は出せません、との事。
残りの販売士の方は頑張って下さい、と言われました。
教科書は教室の方にあるので、授業が終わってから取りに行くつもりで、授業が終わるのを待ちました。
同じクラスの友達から、大丈夫?と心配して頂いて、嬉しかったです。忘れられていたらどうしようと思っていたので。
学校には、男性の生徒さんもいたので、盲腸という事になっていました。
その後、仲のいい友達には本当の病名を言いました。
学校には、10月3日より復帰する事も伝えました。
しばらくは、ワンピースやスカートでの通学になりました。
バスの乗り降りが結構大変で、降りる時に動きが遅いので、降りるの?と、運転手さんに言われた事もありました。
歩くのが遅く、友達に待ってと言う事もしばしば。
それでもいつしか、自然に普段の生活に戻って行きました。
★10月29日、2度目の通院。
注射をしました。
点滴をした手首が痛い事を伝えました。
湿布を貼って様子を見て下さいとの事。
近況報告もしました。
副作用は思ったほど酷くなく、次の予約を取って帰りました。
学校の休みの日にという事で、次の診察は11月28日になりました。
薬はこの間と同じものをもらって帰りました。
★11月10日、酷い腰痛。
学校の友達に良いマッサージのお店を紹介してもらい、マッサージをしてきました。
この時に、肩こりも酷いのでマッサージをしてもらったら、注射の痕もうっかりマッサージしてもらい…1時間後に出血。
次の日、病院に連絡、様子を見ましょうとの事。
もしかしたら、カプセル(注射により投薬されている薬)が壊れている恐れも…と言われ、血の気が少し引きました。
★11月28日、3度目の通院。
注射をして頭痛が酷く、夜寝られない事も多い事を報告。
今日で注射は終わり。
あと、この間の事は不正出血だろうとの事。
多分、しばらくは生理は来ないと言われました。
次の診察は、2月3日を予約。
薬をもらって帰りました。
★1月8日、痛み止めがなくなったので、予約なしに薬だけもらいに行きました。
東京に旅行に行く予定があったので、念のために…。
旅行中は何事もなく、無事に家に帰りました。
旅行先では近所に総合病院があったので、何かあったときはその病院を頼る事ができると、安心しました。
★2月3日、4度目の通院。
お腹が痛い事がある(酷くはないけど)など、近況報告。
生理前なのかもしれないという事で、薬をもらいました。
「なんで痛み止めがいるの?」と聞かれて、肩こりからの頭痛がと、以前より言っていた事を伝えると、「そうだったね」と言われました。
血液検査をして、結果が悪ければ電話しますとの事。
次の予約は4月19日にしました。
生理が2度ほど来たあとの様子をみたい、というお話でした。
★2月24日、注射後、初めての生理が来ました。
量は少なめで、さらさらとした感じ。
4日間位で終わりました。
そして現在に至ります。
病気の事については全然知識がなく、名前を聞いた事位しかなくて、どうやって調べようと考えていたところ、本屋で営業をやっている友達が、女性の医学辞典の販売があって、私にどうか、と勧めてくれました。
それだけでは足らなくて、もうちょっと詳しく知りたいと思い、インターネットで、「子宮内膜症」、「掲示板」で検索した所、ここに辿り着きました。
私だけじゃない事が分かって、頑張って病気に立ち向かう事ができました。
励ましの言葉もいただき、とても嬉しくて、ネットをすると必ず見るようになってます。
龍管理人さんに体験記を頼まれたとき、私みたいに、全然知識がなかった人に役立てればいいなと思い、引き受けました。
読みにくい点とかあるとは思いますが、その辺は、お許し下さい。
あちこちに買い物に行っていて車で走っていたのですが、急に腹痛があり、駐車場に車を止めてしばらく休憩し一眠りしたものの痛みが取れず、夕方になって何とか家まで帰りました。
遊び歩いているから病気になるんだと父親に怒られながら、父親の運転で救急病院まで乗せて行ってもらいました。
その2ヶ月くらい前にも急な腹痛のため同じ病院に行き、便秘と診断されたので、今回もそうだろうと家族の誰もが思っていました。
前回は1時間以上待たされましたが、幸いにも患者が少なかったので、今回は10分位で呼ばれ、早く帰れると家族の誰もが思ったものの、内科の診察で「生理はいつきましたか?」と聞かれました。
その後に、
「急にお腹が痛くなるなんて事は内科ではほとんどないから、産婦人科ではないかと思いまして…」
と言われ、エコーをする事に。
その結果、卵巣が腫れているとの事で産婦人科に連絡。
たまたま産婦人科の先生がいたので診察をし、卵巣茎捻転の疑い、チョコレート嚢腫、と診断され、
「2時間後に手術します。卵巣茎捻転を起こしていた場合は、卵巣を取ります」
と言われました。
「卵巣は2つあるから、1つ取っても、もう1つ残っているので、子供が全く出来ないわけではないですから…」と言われたものの、ものすごくショックでした。
小さい頃から子供が好きで、保母の資格を持っているくらいで。
実際には子供が好きなだけではできる仕事でないので、仕事をした経験はないものの…。
お医者さんがいなくなった後、一粒の涙がこぼれました。
看護婦さんの一人に見られてしまいました。恥ずかしかったです。
手術に関しては、痛みをとってくれるのなら何してもかまわない状態でしたので、何の抵抗もなかったです。
まな板の上の鯉とは、この事だと思いました。
両親もさすがにびっくりしていました。
その後、検査のため車椅子で移動し、点滴も始まって、着々と手術に向けての準備が始まりました。
父親が、私が献血をしていると言ったらしく、担当医より、いつ頃だったのか確認を受けました。
1年以内なら血液が残っているから、もしもの時は他人の血液を輸血するより、自分の血液のほうが体に負担をかけないと説明を受けましたが、私自身、献血の方は最近していませんでした。
この時に、献血はしておいた方が良かったと、後悔しました。
その後、軽く麻酔を点滴に入れられ、意識が朦朧としている中、手術の承諾書と、念のために輸血の承諾書に署名しました。
その後、あまりの痛さに鎮痛剤を打って下さいと看護婦さんにお願いし、担当医より許可が下り、痛み止めの注射をしてもらいました。
時間になり、手術用のベッドに看護婦さんや麻酔科の男の先生などの助けで何とか移動し、全身麻酔のマスクをかけられ、息が出来ない!と思った所までは記憶にあるものの、その後は人の声がして、目が覚めたら手術が終わって、病室のベッドの上でした。
酸素マスクをはめていました。
その日、母親に借りた一万円は使わなかったので、返すから財布から抜いて欲しい事、当時、職業訓練校に行っていたので、休む連絡をして欲しい事、バッグに明日の昼ごはん用のパンが入っているので食べてね、など伝えると、そのまま寝てしまいました。
その後の夜中3時、看護婦さんの見回りで目が覚めました。
眠りが浅いせいか、30分ごとの見回りのたび、目が覚めていました。
看護婦さんは気の毒そうにしていましたが、私としては、看護婦さんが見回りに来るのが楽しみになっていました。
酸素マスクがうっとうしかったので取って欲しいと言ったのですが、
「体の負担を軽くするために、7時まではして下さい」と言われたので、そういう役目をしているなら、しておかければ…と思い直しました。
時間が来て酸素マスクが取れた時は、こんな体験はそうそう出来るものではないんだから…と、 名残惜しかったです。
★次の日、母親に「手術の終わった後に言った事を覚えている?」と聞かれ、思い出せないでいると、母親は呆れていました…。
母親に聞いて思い出しましたけど、人間って気にしている事が、こういう時に言葉として出るんだな…と思いました。
緊急入院と言う事で急患の病棟に入っていたので、産婦人科の病棟が空き次第、病室を移動しますとの事。
「今は空いていないので、それまではここにいて下さい」と言われました。
でも1時間もしないうちに、病室が空きましたので移動しますと、ベッドごと移動…。
キャスターが付いていて、ベッドに荷物やカルテも乗せられ、私と一緒に寝ていました(笑)。
4人部屋で、すでに2人の方が入っていました。
部屋はすごく綺麗で、トイレと洗面所がついていました。
ロッカーもありましたが、使いませんでした。
テレビ、冷蔵庫も1人1台。1日いくらか、料金が取られていました。
ご飯は夕食からで、朝・昼はご飯が出ませんでした。
点滴は1日中。
トイレも、初めはそのまま用が足せるようにお腹に管が入っていましたが、昼過ぎから歩いて行って下さいと言われました。
動く事で腸が活動して、おならが出るので。
しばらくは、トイレとベッドの往復でした。
夕食は五部粥が出ましたけど、お粥の大嫌いな私は、お粥を食べた事で逆に食欲がなくなり、ほとんど残していました。(作ってくれた人、本当にごめんなさい。)
手術して出血があるのは当然という事で、鉄分の補給のために点滴を止めて、鉄分の薬を注射されました。確か2、3日あったと思います。
手の甲に点滴をしていてかなり腫れてて、ものすごく痛かったです。
看護婦さんにその後何回か「痛いんですけど…」と言ったのですが、血管にきちんと入っているので、手を動かさないからだ…という事で、多少動かして下さい、と言われました。
担当医も夕方に様子を見に来てくれました。
テレビは暇で見ていたものの、お笑いの番組は笑うとお腹が痛くて、見るのを遠慮してました。
咳も出来なくて…。
★入院3日目。
朝食・昼食は全粥に変わりましたが、もちろん、ほとんど食べられませんでした…。
夕食は、久しぶりのご飯という事で、3分の2くらい食べました。
ご飯がおいしい事…。
同じ部屋の人とも仲良くなりました。
1人は、原因不明の貧血、栄養失調。
婦人科と内科のどちらからしく…。
見た目、栄養失調には見えなかったです。
もう1人は、妊娠4ヶ月の人で、出血があり、絶対安静との事。
産科の病室が空いてなくて、婦人科病棟に。
子供がお見舞いに来ると、すごく賑やかになっていました。
朝からようやく病室を出て、携帯が使える待合室で、携帯のチェック。
メル友や、友達からのメールが溜まっていて、入院していて、メールが出来なかった事のお詫びの返事を送っていました。
病室から出て、病院内を散歩。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ていました。
暇さえあれば、赤ちゃんを見に行っていました。
親には、病室にいない時は必ずここにいる、と言われました。
祭日と言う事で、メールを見て、友達がお見舞いに来てくれました。
ケンタッキーフライドチキンを持って。
入院前には食べたいと思っていたけど、さすがに食べられなくて、親に取りに来てもらいました。
友達に「この間、他の友達のお見舞いに行った時に、持っていったら喜ばれたから持ってきたんだけど…。ごめんね」と謝られて、返って申し訳なかったです。
友達はその後、自宅に帰ってから母親に、「花にすれば良かったのに…」と言われたそうです。
とは言うものの、友達と話をしてすごく楽しかったです。
友達とは良いもんだと、ありがたさを感じました。
食欲は、旺盛。ほとんど残さずに食べていました。
とは言うものの、お腹が痛くて歩き回っていました。
運動すれば、腸が活動するのを信じて。
ガスも便も全く出ないので、看護婦さんに言って座薬を入れてもらいました。
30分位でトイレに行って、痛みも取れました。
普通、下剤を飲んで腸を空っぽにしてから手術するはずが、緊急手術のため、そのまま手術をした事が原因だったみたいです。
その後は、順調にトイレに行ってました。(汚い話ですみません。)
点滴は取れたのですが、手がかなり腫れていて…。
手の甲からひじの近くまで腫れてました。
点滴は化膿止めで、30分位のものがありました。
すごく楽でしたけど、看護婦さんに「こんなに腫れて、なんで言わなかったの?」と言われました。「痛いでしょうに…」と。
言ったんですけど…この人に言えばよかった…と、後悔。
病状を担当医から、両親に説明。
本人には後日説明する、という事だったようです。
「宇多田ひかると同じ病気なんだっ」と、母親から聞き、そうなんだ!と。
とは言うものの、「宇多田ひかるも病気していたの?」って言う感じでした。
★4日目。
点滴も終わって、退院が近くなってきたのを感じました。
担当医も来て、「明日、抜糸の予定ですから」と。
こんなに早く抜糸しても大丈夫なの?と不安に思った私でした。
1人、明日手術と言う人が入ってきて、ベッドがすべて埋まりました。
他は特に変わった事なし。
体調も問題ありませんでした。
★5日目。
予定通り、抜糸。
念願だったお風呂も、許可が出ました。
ただ、傷口を保護する透明のテープをしなくてはならないので、お風呂に入る前には看護婦さんに言って下さい、との事。
同じ病室のお腹に赤ちゃんのいる人が、お風呂の予約を私の分までして下さいました。
その日の夕方、退院の許可が出たものの、急に言われても…という事で、次の日の昼ごはん後に退院と言う事になりました。
産科の部屋が空いたので、1人、病室の移動があり、2人になったのもつかの間、すぐに2人、入ってきました。
1人は、私と別の人と話しているのがうるさかったらしく、旦那さんと2人でカーテンを閉めてしまい、その後、いつの間にかいなくなってしまいました。
他の部屋に移ったのか…。何の挨拶もなかったので分かりません。
もう1人の人は私より年下の人で、検査入院みたいでした。
その他は、変わりなし。
★6日目。退院の日。
赤ちゃんの見納めと言わんばかりに、入り浸っていました。
そのせいか、「どれがお子さんですか?」と、患者さんに間違われてしまいました(笑)。お腹が出ていないので。
話は逸れますが、看護実習で赤ちゃんの世話をしていた看護学生、赤ちゃんを扱う手がちょっと危なっかしかったです。
主治医から、病状についての説明と今後の治療についての説明がありました。
卵巣は無事でした、との事。ホッとしました。
今後の治療としては、注射で生理を止めるというもので、次の生理が始まってから注射をするとの事でした。
ただ、副作用として更年期障害の症状が出るので、本人次第、また、普通は半年間ですが、私の場合は3ヶ月でいいとの事。あまり長くすると、骨粗鬆症になる恐れがあるので。
宇多田ひかるさんは、治療を途中で辞めてしまいましたけど、どうしますか?と聞かれました。
即答できず、次の通院まで考えさせて下さいと、その場での答えは出しませんでした。
午後2時過ぎ、無事に退院。
同じ病室の人に挨拶。
「最初はベッドに寝て、私より重症だったのに…」と言われました。
産科に移った人にも挨拶。
最初に3人いた人とは、メールアドレスを交換しました。
家に帰ってからは自宅療養で、のんびりとしていました。
★10月1日、病院へ通院。
治療はとりあえずして、あまりに酷ければやめる、と言う事で決まりました。
生理はまだ来ていなかったものの、内診の結果、明日・明後日にも生理が来るとの事で、注射しました。
睡眠薬と鎮痛剤をもらいました。
その後、休んでいた職業訓練校に行き、診断書と欠席届を提出。
パソコン講習の方は出席日数が足らないので、修了書の方は出せません、との事。
残りの販売士の方は頑張って下さい、と言われました。
教科書は教室の方にあるので、授業が終わってから取りに行くつもりで、授業が終わるのを待ちました。
同じクラスの友達から、大丈夫?と心配して頂いて、嬉しかったです。忘れられていたらどうしようと思っていたので。
学校には、男性の生徒さんもいたので、盲腸という事になっていました。
その後、仲のいい友達には本当の病名を言いました。
学校には、10月3日より復帰する事も伝えました。
しばらくは、ワンピースやスカートでの通学になりました。
バスの乗り降りが結構大変で、降りる時に動きが遅いので、降りるの?と、運転手さんに言われた事もありました。
歩くのが遅く、友達に待ってと言う事もしばしば。
それでもいつしか、自然に普段の生活に戻って行きました。
★10月29日、2度目の通院。
注射をしました。
点滴をした手首が痛い事を伝えました。
湿布を貼って様子を見て下さいとの事。
近況報告もしました。
副作用は思ったほど酷くなく、次の予約を取って帰りました。
学校の休みの日にという事で、次の診察は11月28日になりました。
薬はこの間と同じものをもらって帰りました。
★11月10日、酷い腰痛。
学校の友達に良いマッサージのお店を紹介してもらい、マッサージをしてきました。
この時に、肩こりも酷いのでマッサージをしてもらったら、注射の痕もうっかりマッサージしてもらい…1時間後に出血。
次の日、病院に連絡、様子を見ましょうとの事。
もしかしたら、カプセル(注射により投薬されている薬)が壊れている恐れも…と言われ、血の気が少し引きました。
★11月28日、3度目の通院。
注射をして頭痛が酷く、夜寝られない事も多い事を報告。
今日で注射は終わり。
あと、この間の事は不正出血だろうとの事。
多分、しばらくは生理は来ないと言われました。
次の診察は、2月3日を予約。
薬をもらって帰りました。
★1月8日、痛み止めがなくなったので、予約なしに薬だけもらいに行きました。
東京に旅行に行く予定があったので、念のために…。
旅行中は何事もなく、無事に家に帰りました。
旅行先では近所に総合病院があったので、何かあったときはその病院を頼る事ができると、安心しました。
★2月3日、4度目の通院。
お腹が痛い事がある(酷くはないけど)など、近況報告。
生理前なのかもしれないという事で、薬をもらいました。
「なんで痛み止めがいるの?」と聞かれて、肩こりからの頭痛がと、以前より言っていた事を伝えると、「そうだったね」と言われました。
血液検査をして、結果が悪ければ電話しますとの事。
次の予約は4月19日にしました。
生理が2度ほど来たあとの様子をみたい、というお話でした。
★2月24日、注射後、初めての生理が来ました。
量は少なめで、さらさらとした感じ。
4日間位で終わりました。
そして現在に至ります。
病気の事については全然知識がなく、名前を聞いた事位しかなくて、どうやって調べようと考えていたところ、本屋で営業をやっている友達が、女性の医学辞典の販売があって、私にどうか、と勧めてくれました。
それだけでは足らなくて、もうちょっと詳しく知りたいと思い、インターネットで、「子宮内膜症」、「掲示板」で検索した所、ここに辿り着きました。
私だけじゃない事が分かって、頑張って病気に立ち向かう事ができました。
励ましの言葉もいただき、とても嬉しくて、ネットをすると必ず見るようになってます。
龍管理人さんに体験記を頼まれたとき、私みたいに、全然知識がなかった人に役立てればいいなと思い、引き受けました。
読みにくい点とかあるとは思いますが、その辺は、お許し下さい。
さくやさんの場合 (開腹手術)
2003.00.03
手術を行ったのは、今から3年半前の2000年の2月、24歳の時でした。
異変が始まったのは手術の5日前です。
会社での会議中に気が付きました。
やたらと耳が聞こえづらいのです。
これでは仕事にも差し支えると思って、早退して耳鼻科に行きました。
でも、特にこれといった異常もなく、突発性難聴と診断されました。
薬ももらいましたが、あまり効果はありませんでした。
この突発性難聴は術後も2、3ヶ月間に渡って続きましたが、始まった時と同じく唐突に終わりました。
原因は今でも不明です。
が、その後腸に細菌が入り込んで下痢と嘔吐に心底苦しんだときに1度発現しました。
どうやら、私にとっての危険信号だったらしいです。
ただ本当に治療が必要な部分を知らせることには全く役にたっていない方法で危険を知らせるのは、体の持ち主と同じでひねくれてるからなのかでしょうか…(苦笑)
そして、下腹部の痛みは土曜日の夕方、買い物中から始まりました。
ただ、それ程激しい痛みでもなく、丁度生理の予定日が近かったので生理痛かと思ったのですが、それとも違うような痛みで、
「今まで経験したことない嫌な感じのする痛みだな」
くらいにしかその時には思いませんでした。
買い物から帰って、食事はとったものの痛みは引かず、着替えて布団に横になっていました。
たまにうとうとしていたのですが、ますます痛みは増すばかり。
トイレへいっても激しい排尿痛までありました。
これはもうどうしようもないと判断したのは既に日付が変わる頃でした。
救急車を呼んで(携帯しかなかったので、つながった場所が私の住む地域の管轄の消防署ではなく、別の所だったので、しばし待たされることになりましたが)、さて支度をしようとすると動いただけで激痛が。
当時の私は一人暮らしでした。
なんとか着替えて、財布と保険証を持って、戸締まりをして待つこと10分位。救急車が到着。
救急隊員の方が家に来る前に、家を出て鍵を閉めて、救急車へと歩いて移動しました。
(本当は激痛をこらえるのに精一杯だったので、ストレッチャーに乗せてもらいたかったのですが、アパートの2階で狭い外階段しかなく、おまけに私は標準体重をかなり超えていましたので、救急隊員の方に苦労して運んで頂くのも申し訳ないと思ったので、自分で移動しました。
この話をすると大抵笑われるか、呆れられます。人間、最後は気力でどうにかなるものですよね 笑)
病院への搬送中は、本当に苦しかったです。
それまでじっと横になっていたので分からなかったのですが、振動がお腹に響くんです。
猛烈な吐き気と下腹部痛を我慢すること15分程。病院に到着。
すぐに当直の医者にみてもらったのですが、少し触られるだけで吐き気と痛みで涙目になる始末。
既に深夜1時。
当直医はろくに検査もせず、場所が下腹部なので、消化器系か婦人科系か判断できない、とりあえず入院するか帰るか判断してくれと言われました。
(多分、当直医の担当が内科でも産婦人科でもなかったのでしょうが、今思えば乱暴な判断ですよね)
帰っても薬ももらってない以上痛みが治まるわけもなく、既に痛み始めて6時間以上たっているのに痛みは増すばかりで、おまけに一人暮らしじゃいざという時に誰にも助けてもらえないと思った私は、入院することを選択しました。
救急車を呼ぶ前に実家には電話で病院へ行くことを話していたので、この時点で心配した母親から携帯に電話がはいり、入院することを告げるととにかく朝一番の飛行機でこちらにくると言いました。
この日の関東地方の天候は予報では雪。
四国から来る飛行機が飛ぶかどうかは不明でした。
この時もまだそれ程大事とは思ってなかった私は、母親がわざわざ来るという言葉の方に驚き、 なんとか自分で頑張れると返事をしたのですが、
「入院するなら世話をする人が絶対必要!」
という母親の意見に押し切られる格好でその時は電話を切りました。
自分の意見を押し通して断っていたらと思うと、今でもちょっと怖くなりますが…。
その後、看護婦さん達にストレッチャーで運ばれたのはどうやら内科入院患者さん達の部屋のようでした。
そこで、しばらく寝かされていたのですが、激痛のために当然眠れるはずもなく、ひたすら我慢していました。
そのうち、また看護婦さん達に呼ばれ、車椅子に乗せられて移動することに。
どうやら産婦人科の担当医に連絡がついたらしく、これから診察してもらうことになりました。
深夜、激痛と寒さで震えながら移動した病院の真っ暗な長く続く廊下は今でも鮮明に思い出します。
そこで初めて受けることになった婦人科の検査。
あの独特の診察用の椅子を見た時には目眩がしました。
周りには担当医の他に2、3人の看護婦さんがいて、膣の中で指が移動する度に吐き気と激痛のため、のたうちまわる私を押さえつけていました。
診察を終えた途端に吐き気は限界を超えて手近にあった洗面台で泣きながらひとしきり吐いた後、診断結果も何も告げられずに婦人科の入院患者用の個室に移動して休むように言われました。
痛み止めの注射をしてもらって、点滴をうけたのですが、痛みは相変わらず。
トイレに行きたくても、すぐ足元に用意してもらった簡易トイレに移動するのでさえ苦労しました。
なんとか起きあがり、激しい排尿痛を我慢しながらトイレを済ましました。
痛みが限界になって、ナースコールで看護婦さんを呼んで痛み止めの座薬を追加してもらい、なんとか明け方にうとうとしたように思います。
朝、看護婦さんに言われたことは
「手術のために毛をそりますね」
という言葉でした。
「手術なんて聞いてない、診断結果も何も知らない」
と言うと、
「あれ?先生言い忘れたのかな」
との答え。
おい、それはちょっと待て!と盛大につっこみをいれたのは言うまでもありません。
痛いので心の中で、ですが。
それから暫くして担当医が現れ、両方の卵巣がかなり腫れていて、通常は親指程の大きさであるはずの卵巣が握り拳大くらいになっている、という説明で、今日は日曜日で本来手術はできないが月曜日まで延ばすこともできないくらい状況は悪い、即刻昼すぎには手術を行うと言われました。
手術同意書に家族のサインが必要とかで、とにかく母親の到着を待ちました。
雪は幸い降らなかったのですが、強風のため飛行機が若干遅れ、母親が病院に到着したのは、お昼前でした。
携帯をもっていなかった母親へ私から連絡をいれることもできず、いきなり手術することになったと聞かされて呆然としていました。
とにもかくにも同意書にサインし、手術が始まったのはそれから間もなくで、私が手術すると聞かされてからわずか2、3時間しかなかったと思います。
心の準備なんてする時間もありませんでした。
背中を丸めて脊椎にめちゃくちゃ痛い麻酔注射をうって(3本位うったと思います)、手術が始まりました。
ですが、私は全身麻酔ではなく、局部麻酔だったのです。
なので、手術中の担当医の話も全て聞えましたし、血を機械で吸い取る音や縫い合わせる糸で内臓が引っ張られる感覚もありました。
「癒着が酷い」
「卵巣の腫れも酷い」
などという言葉を聞きながらの手術というのは、はっきり言ってあまりいい気分のするものではありません。
酷いといわれても私自身が望んで起こした症状というわけでもありませんし、この手術台を上からみたら内臓を開いたまさにまな板の上の鯉状態なんだろうなと想像しただけでゾッとしました。
手術中はとにかく腰が痛かったです。
多分手術用のベッドが硬かったせいなのだと思います。
仰向けで手術を受けているわけですから腰をもんでもらおうにもどうにもならず、最後はほとんど泣きが入っていたように思います。
手術の時間は母親によると2時間位だったそうです。
手術後に腹部を縫合したはずですが、そこまでの記憶はありません。
ただぼんやり思い出すのは、人の話し声がしたことと手がふっと暖かかくなったことです。
恐らく、病室に戻ってきた私の手を母が黙って握っていてくれたのでしょう。
目が覚めたのはその日の夕方でした。
翌日の朝、会社に病気のため休むことを連絡してもらうことと、入院に必要なものを用意してもらうことを母親に頼んで、その日は私の家に帰ってもらうことにしました。
翌日、母親が上司に電話した時にはちょっとした騒ぎになったようです。
当時、私は入社1年目で10月に本配属されたばかりでした。
配属された先の部署というのが、バグだらけの欠陥パッケージソフトウェアを販売して多数のクレームユーザーを抱えた会社でも悪名高い部署で、ろくに指導もされず事情も分からないままひっきりなしにかかってくるユーザーへのクレーム対応と果てのないシステム検収で連日帰りは終電に駆込むような生活をしていました。
私の場合はチョコレート嚢腫もあったので、恐らく会社のストレスだけが原因ではなくかなり以前から症状がすすんでいたと思うのですが、会社では新入社員に倒れるほど無茶をさせたと上司が非難されたようなのです。
会社から病院に連絡した時に「面会謝絶です」と言われたことも騒ぎに拍車をかけました。
復帰後に先輩にその時の様子を聞いて、私の方が驚いたくらいです。
でも、当時2000年問題もあって正月休みも取れませんでしたし、休日出勤も珍しくなかったので、強制とはいえ休みをとることは体力的には正直ホッとしたのですが、精神的には辛かったです。
仕事の都合も何もかもぶっちぎって休んでしまいましたし、私以上に不眠不休で働いている先輩方に迷惑をかけていることを思うと申し訳なかったからです。
食事がだされたのは、手術後2日目くらいだったと思います。
点滴で栄養補給はしていたかもしれないのですが、水を飲むことも禁止されていましたし、とにかくお腹が空いて胃が痛くなるくらいでした。
最初にだされた食事は重湯。
いくらお腹がすいていてもそれ程食べられるものでもありません。
(おまけに数日間重湯だけの食事が続きました)
ちなみに、フランス留学中に子宮筋腫で腹腔鏡手術を受けた友達の最初の食事はフランスパンにジャムとカフェオレだったそうです。
これもお国によって違うのでしょうね。さすがフランス。
でも、私はフランス語はおろか、英語もしゃべれないので、外国で手術を受けるなんて考えただけで倒れそうですが。(笑)
術後すぐに生理がはじまりました。
量はとても少なくて、4日位で終わったと思いますが、2、3日は動くのが辛かったので、トイレでナプキンを取りかえるのに苦労した覚えがあります。
傷はおへその下から15cmくらいあるでしょうか。
皮下脂肪の厚い私は「縫合してもくっつきにくいから」という理由で、まるで魚の骨のような形状の縫合をされていました。(泣)
傷を初めて見たときは、かなりショックでした。
今はそれ程目立ちませんが、よく見れば縫合時の針の跡が残っています。
傷口を押さえたガーゼを安定させるために貼るテープも人によってかぶれたりするので、何種類かを貼ってチェックするパッチテストを行う病院もあるみたいなのですが、私の場合は皮膚が弱いにも関わらず何のチェックもされず、同じ部分にテープを張られつづけた結果、かぶれて水ぶくれができるまでになってしまいました。
今でもうっすらその水ぶくれがあった場所には跡が残っています。
結局、私の場合は「両側とも子宮内膜症および右卵巣破裂」と診断されました。
それも癒着が酷い4期でした。
独身で子供もいないことを配慮され、両側とも卵巣は削っただけで保存してもらえました。
病理検査にまわすため、私自身は取り除いた患部を見ることはできませんでしたが、母は見せられたそうです。
退院直前に抜糸をして、丁度2週間で退院しました。
私の家から交通事情のよくない国立病院に運ばれてしまったので、毎日自転車で通う母親は大変でした。
術後も約半年に渡って生理を止めるために、月に1回やたらと痛くて料金の高い注射を打たなければならなかった(薬剤名は忘れてしまいました)のですが、交通事情の悪さに会社の近くの総合病院に転院したくらいです。
この注射をうつと、体感温度が確実に何度か上がります。
夏まで続いたので、スーツを着て客先に行かなければならなかったことも多かった私は、汗のための化粧くずれに悩まされました。
先ほど書いた通り、仕事が気になっていた私は退院後12日で職場復帰しました。
が、3日でダウンしました。
自分では大丈夫と判断して復帰したのですが、開腹手術は想像以上に体力を削り、普通の生活は負担がかかりました。
通勤は、朝は始発駅だったので座れるのですが、帰りはラッシュにもまれて立っているのがやっとでしたし、会社でも自分の席から3m先にあるプリンタまでの往復をするだけで足がふらつきました。
結局更に2週間お休みをもらい、(手術してから数えると1月半お休みをもらいました)復帰してからも1週間朝、夕1時間短縮してもらって様子をみさせてもらいました。
私の場合は場合だけに社内全部に知れ渡ってしまったので、復帰後関係ない部署の方からも労わってもらい、手術や病気に関して嫌な思いをすることはありませんでした。
また、私を直接指導する立場にあった女性の先輩も婦人科系の病気で苦しんでいたので、とても親身になって相談にのってもらえたり、仕事を手伝ってもらえたりして本当に助かりました。
最後に私から一言助言をするとすると、とにかく生理が始まったら特に異常は自覚してなくても1度は婦人科の検査を受けるべきだということです。
私自身、生理は順調だと思っていました。
半月以上生理が遅れたこともなく、きっちり1週間で終わり、量も特筆して多いとも少ないともいえず、生理痛はありましたが、鎮痛剤を飲めば我慢できないわけでもありませんでした。
周りの友人達の方がよっぽど生理痛に苦しんでいたくらいです。
手術前の11月の健康診断でも判定はAだったんです。
それでも卵巣が破裂する程症状が進行するまで、婦人科の検査をすることもなかった私には自覚症状がありませんでした。
ただ、私自身にも少し人と違うことがあるとすると、やたらと痛みに鈍い体質だったようなのです。
歯医者が
「麻酔なしでここまで削ると普通の人なら悲鳴をあげる」
という程の治療でも、私は全然平気ですし、今回卵巣が破裂した際も、担当医からは
「普通の人なら気絶する。悪ければ破裂したショックで死亡する人もいる。歩くなんて信じられない」
と言われ、状況を知る看護婦さんからはやたらと
「本当に痛かったでしょう。一人暮しで心細かったのにすごいね」
等と涙ぐまれるほど感心されました。
痛かったのは事実ですが、卵巣が破裂したなどと私自身知りませんでしたし、一人暮らしだから自分でなんとかしなければという危機感から動けたとも言えるのですが、それ程切羽詰った状況だとは私は思っていなかったので、周りの人からこう言われることが不思議でした。
歯医者の時には都合がいいと思っていたのですが、私の体質は異常に気付くのが遅れる以上、大変危険です。
ですが、精密検査を受ける機会や大きな病気になることでもなければ、痛みに鈍いかどうかは自分でも本当に分からないのが現実だと思います。
生理痛も鎮痛剤程度で治まるのが、本当に軽いせいなのか、痛みに鈍感なせいなのか判断はできないと思います。
婦人科の診察は屈辱すら感じる辛いものですが、それでもとにかく受けてもらいたいと思います。
異常がなければそれでよし、異常が見つかっても早ければ早いほど最終的には自分にとって利益になります。
病気になってしまったことも、大きな手術傷を作ってしまったことも、この病気が原因でもしかしたら子供が作れなくなってしまったかもしれなくても、誰かに責められるようなことはしてないと私は胸をはって言えます。
それでも、時として傷を見て悲しく、辛く、悔しくなることがあります。
そして、病気を理由に心ない人達によって傷つけられることもこれから先もきっとあるでしょう。
一人でも多くの人が私と同じ思いをすることがありませんように。
心からそう思います。
異変が始まったのは手術の5日前です。
会社での会議中に気が付きました。
やたらと耳が聞こえづらいのです。
これでは仕事にも差し支えると思って、早退して耳鼻科に行きました。
でも、特にこれといった異常もなく、突発性難聴と診断されました。
薬ももらいましたが、あまり効果はありませんでした。
この突発性難聴は術後も2、3ヶ月間に渡って続きましたが、始まった時と同じく唐突に終わりました。
原因は今でも不明です。
が、その後腸に細菌が入り込んで下痢と嘔吐に心底苦しんだときに1度発現しました。
どうやら、私にとっての危険信号だったらしいです。
ただ本当に治療が必要な部分を知らせることには全く役にたっていない方法で危険を知らせるのは、体の持ち主と同じでひねくれてるからなのかでしょうか…(苦笑)
そして、下腹部の痛みは土曜日の夕方、買い物中から始まりました。
ただ、それ程激しい痛みでもなく、丁度生理の予定日が近かったので生理痛かと思ったのですが、それとも違うような痛みで、
「今まで経験したことない嫌な感じのする痛みだな」
くらいにしかその時には思いませんでした。
買い物から帰って、食事はとったものの痛みは引かず、着替えて布団に横になっていました。
たまにうとうとしていたのですが、ますます痛みは増すばかり。
トイレへいっても激しい排尿痛までありました。
これはもうどうしようもないと判断したのは既に日付が変わる頃でした。
救急車を呼んで(携帯しかなかったので、つながった場所が私の住む地域の管轄の消防署ではなく、別の所だったので、しばし待たされることになりましたが)、さて支度をしようとすると動いただけで激痛が。
当時の私は一人暮らしでした。
なんとか着替えて、財布と保険証を持って、戸締まりをして待つこと10分位。救急車が到着。
救急隊員の方が家に来る前に、家を出て鍵を閉めて、救急車へと歩いて移動しました。
(本当は激痛をこらえるのに精一杯だったので、ストレッチャーに乗せてもらいたかったのですが、アパートの2階で狭い外階段しかなく、おまけに私は標準体重をかなり超えていましたので、救急隊員の方に苦労して運んで頂くのも申し訳ないと思ったので、自分で移動しました。
この話をすると大抵笑われるか、呆れられます。人間、最後は気力でどうにかなるものですよね 笑)
病院への搬送中は、本当に苦しかったです。
それまでじっと横になっていたので分からなかったのですが、振動がお腹に響くんです。
猛烈な吐き気と下腹部痛を我慢すること15分程。病院に到着。
すぐに当直の医者にみてもらったのですが、少し触られるだけで吐き気と痛みで涙目になる始末。
既に深夜1時。
当直医はろくに検査もせず、場所が下腹部なので、消化器系か婦人科系か判断できない、とりあえず入院するか帰るか判断してくれと言われました。
(多分、当直医の担当が内科でも産婦人科でもなかったのでしょうが、今思えば乱暴な判断ですよね)
帰っても薬ももらってない以上痛みが治まるわけもなく、既に痛み始めて6時間以上たっているのに痛みは増すばかりで、おまけに一人暮らしじゃいざという時に誰にも助けてもらえないと思った私は、入院することを選択しました。
救急車を呼ぶ前に実家には電話で病院へ行くことを話していたので、この時点で心配した母親から携帯に電話がはいり、入院することを告げるととにかく朝一番の飛行機でこちらにくると言いました。
この日の関東地方の天候は予報では雪。
四国から来る飛行機が飛ぶかどうかは不明でした。
この時もまだそれ程大事とは思ってなかった私は、母親がわざわざ来るという言葉の方に驚き、 なんとか自分で頑張れると返事をしたのですが、
「入院するなら世話をする人が絶対必要!」
という母親の意見に押し切られる格好でその時は電話を切りました。
自分の意見を押し通して断っていたらと思うと、今でもちょっと怖くなりますが…。
その後、看護婦さん達にストレッチャーで運ばれたのはどうやら内科入院患者さん達の部屋のようでした。
そこで、しばらく寝かされていたのですが、激痛のために当然眠れるはずもなく、ひたすら我慢していました。
そのうち、また看護婦さん達に呼ばれ、車椅子に乗せられて移動することに。
どうやら産婦人科の担当医に連絡がついたらしく、これから診察してもらうことになりました。
深夜、激痛と寒さで震えながら移動した病院の真っ暗な長く続く廊下は今でも鮮明に思い出します。
そこで初めて受けることになった婦人科の検査。
あの独特の診察用の椅子を見た時には目眩がしました。
周りには担当医の他に2、3人の看護婦さんがいて、膣の中で指が移動する度に吐き気と激痛のため、のたうちまわる私を押さえつけていました。
診察を終えた途端に吐き気は限界を超えて手近にあった洗面台で泣きながらひとしきり吐いた後、診断結果も何も告げられずに婦人科の入院患者用の個室に移動して休むように言われました。
痛み止めの注射をしてもらって、点滴をうけたのですが、痛みは相変わらず。
トイレに行きたくても、すぐ足元に用意してもらった簡易トイレに移動するのでさえ苦労しました。
なんとか起きあがり、激しい排尿痛を我慢しながらトイレを済ましました。
痛みが限界になって、ナースコールで看護婦さんを呼んで痛み止めの座薬を追加してもらい、なんとか明け方にうとうとしたように思います。
朝、看護婦さんに言われたことは
「手術のために毛をそりますね」
という言葉でした。
「手術なんて聞いてない、診断結果も何も知らない」
と言うと、
「あれ?先生言い忘れたのかな」
との答え。
おい、それはちょっと待て!と盛大につっこみをいれたのは言うまでもありません。
痛いので心の中で、ですが。
それから暫くして担当医が現れ、両方の卵巣がかなり腫れていて、通常は親指程の大きさであるはずの卵巣が握り拳大くらいになっている、という説明で、今日は日曜日で本来手術はできないが月曜日まで延ばすこともできないくらい状況は悪い、即刻昼すぎには手術を行うと言われました。
手術同意書に家族のサインが必要とかで、とにかく母親の到着を待ちました。
雪は幸い降らなかったのですが、強風のため飛行機が若干遅れ、母親が病院に到着したのは、お昼前でした。
携帯をもっていなかった母親へ私から連絡をいれることもできず、いきなり手術することになったと聞かされて呆然としていました。
とにもかくにも同意書にサインし、手術が始まったのはそれから間もなくで、私が手術すると聞かされてからわずか2、3時間しかなかったと思います。
心の準備なんてする時間もありませんでした。
背中を丸めて脊椎にめちゃくちゃ痛い麻酔注射をうって(3本位うったと思います)、手術が始まりました。
ですが、私は全身麻酔ではなく、局部麻酔だったのです。
なので、手術中の担当医の話も全て聞えましたし、血を機械で吸い取る音や縫い合わせる糸で内臓が引っ張られる感覚もありました。
「癒着が酷い」
「卵巣の腫れも酷い」
などという言葉を聞きながらの手術というのは、はっきり言ってあまりいい気分のするものではありません。
酷いといわれても私自身が望んで起こした症状というわけでもありませんし、この手術台を上からみたら内臓を開いたまさにまな板の上の鯉状態なんだろうなと想像しただけでゾッとしました。
手術中はとにかく腰が痛かったです。
多分手術用のベッドが硬かったせいなのだと思います。
仰向けで手術を受けているわけですから腰をもんでもらおうにもどうにもならず、最後はほとんど泣きが入っていたように思います。
手術の時間は母親によると2時間位だったそうです。
手術後に腹部を縫合したはずですが、そこまでの記憶はありません。
ただぼんやり思い出すのは、人の話し声がしたことと手がふっと暖かかくなったことです。
恐らく、病室に戻ってきた私の手を母が黙って握っていてくれたのでしょう。
目が覚めたのはその日の夕方でした。
翌日の朝、会社に病気のため休むことを連絡してもらうことと、入院に必要なものを用意してもらうことを母親に頼んで、その日は私の家に帰ってもらうことにしました。
翌日、母親が上司に電話した時にはちょっとした騒ぎになったようです。
当時、私は入社1年目で10月に本配属されたばかりでした。
配属された先の部署というのが、バグだらけの欠陥パッケージソフトウェアを販売して多数のクレームユーザーを抱えた会社でも悪名高い部署で、ろくに指導もされず事情も分からないままひっきりなしにかかってくるユーザーへのクレーム対応と果てのないシステム検収で連日帰りは終電に駆込むような生活をしていました。
私の場合はチョコレート嚢腫もあったので、恐らく会社のストレスだけが原因ではなくかなり以前から症状がすすんでいたと思うのですが、会社では新入社員に倒れるほど無茶をさせたと上司が非難されたようなのです。
会社から病院に連絡した時に「面会謝絶です」と言われたことも騒ぎに拍車をかけました。
復帰後に先輩にその時の様子を聞いて、私の方が驚いたくらいです。
でも、当時2000年問題もあって正月休みも取れませんでしたし、休日出勤も珍しくなかったので、強制とはいえ休みをとることは体力的には正直ホッとしたのですが、精神的には辛かったです。
仕事の都合も何もかもぶっちぎって休んでしまいましたし、私以上に不眠不休で働いている先輩方に迷惑をかけていることを思うと申し訳なかったからです。
食事がだされたのは、手術後2日目くらいだったと思います。
点滴で栄養補給はしていたかもしれないのですが、水を飲むことも禁止されていましたし、とにかくお腹が空いて胃が痛くなるくらいでした。
最初にだされた食事は重湯。
いくらお腹がすいていてもそれ程食べられるものでもありません。
(おまけに数日間重湯だけの食事が続きました)
ちなみに、フランス留学中に子宮筋腫で腹腔鏡手術を受けた友達の最初の食事はフランスパンにジャムとカフェオレだったそうです。
これもお国によって違うのでしょうね。さすがフランス。
でも、私はフランス語はおろか、英語もしゃべれないので、外国で手術を受けるなんて考えただけで倒れそうですが。(笑)
術後すぐに生理がはじまりました。
量はとても少なくて、4日位で終わったと思いますが、2、3日は動くのが辛かったので、トイレでナプキンを取りかえるのに苦労した覚えがあります。
傷はおへその下から15cmくらいあるでしょうか。
皮下脂肪の厚い私は「縫合してもくっつきにくいから」という理由で、まるで魚の骨のような形状の縫合をされていました。(泣)
傷を初めて見たときは、かなりショックでした。
今はそれ程目立ちませんが、よく見れば縫合時の針の跡が残っています。
傷口を押さえたガーゼを安定させるために貼るテープも人によってかぶれたりするので、何種類かを貼ってチェックするパッチテストを行う病院もあるみたいなのですが、私の場合は皮膚が弱いにも関わらず何のチェックもされず、同じ部分にテープを張られつづけた結果、かぶれて水ぶくれができるまでになってしまいました。
今でもうっすらその水ぶくれがあった場所には跡が残っています。
結局、私の場合は「両側とも子宮内膜症および右卵巣破裂」と診断されました。
それも癒着が酷い4期でした。
独身で子供もいないことを配慮され、両側とも卵巣は削っただけで保存してもらえました。
病理検査にまわすため、私自身は取り除いた患部を見ることはできませんでしたが、母は見せられたそうです。
退院直前に抜糸をして、丁度2週間で退院しました。
私の家から交通事情のよくない国立病院に運ばれてしまったので、毎日自転車で通う母親は大変でした。
術後も約半年に渡って生理を止めるために、月に1回やたらと痛くて料金の高い注射を打たなければならなかった(薬剤名は忘れてしまいました)のですが、交通事情の悪さに会社の近くの総合病院に転院したくらいです。
この注射をうつと、体感温度が確実に何度か上がります。
夏まで続いたので、スーツを着て客先に行かなければならなかったことも多かった私は、汗のための化粧くずれに悩まされました。
先ほど書いた通り、仕事が気になっていた私は退院後12日で職場復帰しました。
が、3日でダウンしました。
自分では大丈夫と判断して復帰したのですが、開腹手術は想像以上に体力を削り、普通の生活は負担がかかりました。
通勤は、朝は始発駅だったので座れるのですが、帰りはラッシュにもまれて立っているのがやっとでしたし、会社でも自分の席から3m先にあるプリンタまでの往復をするだけで足がふらつきました。
結局更に2週間お休みをもらい、(手術してから数えると1月半お休みをもらいました)復帰してからも1週間朝、夕1時間短縮してもらって様子をみさせてもらいました。
私の場合は場合だけに社内全部に知れ渡ってしまったので、復帰後関係ない部署の方からも労わってもらい、手術や病気に関して嫌な思いをすることはありませんでした。
また、私を直接指導する立場にあった女性の先輩も婦人科系の病気で苦しんでいたので、とても親身になって相談にのってもらえたり、仕事を手伝ってもらえたりして本当に助かりました。
最後に私から一言助言をするとすると、とにかく生理が始まったら特に異常は自覚してなくても1度は婦人科の検査を受けるべきだということです。
私自身、生理は順調だと思っていました。
半月以上生理が遅れたこともなく、きっちり1週間で終わり、量も特筆して多いとも少ないともいえず、生理痛はありましたが、鎮痛剤を飲めば我慢できないわけでもありませんでした。
周りの友人達の方がよっぽど生理痛に苦しんでいたくらいです。
手術前の11月の健康診断でも判定はAだったんです。
それでも卵巣が破裂する程症状が進行するまで、婦人科の検査をすることもなかった私には自覚症状がありませんでした。
ただ、私自身にも少し人と違うことがあるとすると、やたらと痛みに鈍い体質だったようなのです。
歯医者が
「麻酔なしでここまで削ると普通の人なら悲鳴をあげる」
という程の治療でも、私は全然平気ですし、今回卵巣が破裂した際も、担当医からは
「普通の人なら気絶する。悪ければ破裂したショックで死亡する人もいる。歩くなんて信じられない」
と言われ、状況を知る看護婦さんからはやたらと
「本当に痛かったでしょう。一人暮しで心細かったのにすごいね」
等と涙ぐまれるほど感心されました。
痛かったのは事実ですが、卵巣が破裂したなどと私自身知りませんでしたし、一人暮らしだから自分でなんとかしなければという危機感から動けたとも言えるのですが、それ程切羽詰った状況だとは私は思っていなかったので、周りの人からこう言われることが不思議でした。
歯医者の時には都合がいいと思っていたのですが、私の体質は異常に気付くのが遅れる以上、大変危険です。
ですが、精密検査を受ける機会や大きな病気になることでもなければ、痛みに鈍いかどうかは自分でも本当に分からないのが現実だと思います。
生理痛も鎮痛剤程度で治まるのが、本当に軽いせいなのか、痛みに鈍感なせいなのか判断はできないと思います。
婦人科の診察は屈辱すら感じる辛いものですが、それでもとにかく受けてもらいたいと思います。
異常がなければそれでよし、異常が見つかっても早ければ早いほど最終的には自分にとって利益になります。
病気になってしまったことも、大きな手術傷を作ってしまったことも、この病気が原因でもしかしたら子供が作れなくなってしまったかもしれなくても、誰かに責められるようなことはしてないと私は胸をはって言えます。
それでも、時として傷を見て悲しく、辛く、悔しくなることがあります。
そして、病気を理由に心ない人達によって傷つけられることもこれから先もきっとあるでしょう。
一人でも多くの人が私と同じ思いをすることがありませんように。
心からそう思います。
くーさんの場合 (開腹手術)
2003.00.02
くーといいます。
現在31歳です。
最初に症状があらわれたのは、2年前(2001年)の3月でした。
会社で仕事をしていたら、急にお腹に激痛が!
ひどい便秘のような感覚だったので、あわててトイレに駆け込みました。
でも、お腹の痛みが続くばかりでトイレの個室から動けず、1時間ほどたってやっと他の人が入ってきたので「助けて~」と呼びかけました。
ちょうど会社の前が内科&婦人科だったので、診てもらうことに。
筋肉注射をして何とか痛みがおさまり、そのときに内診をされて後日MRIを撮るように言われました。
その結果「内膜症の軽い前兆」ということで、しばらく「当帰芍薬散」を飲むことに。
3ヶ月後くらいにまた来るようにと言われましたが・・しばらく飲み続けて特に何事もなく、その後会社も引っ越してしまったので、結局病院には行かなくなってしまいました(薬もやめてしまった)。
ちなみに、このときの症状としてはひどい生理痛と、性交痛がありました。
病院に行かないとなーと思いつつ、約2年がたった今年の春ごろ。
突然、排便痛に悩まされました。
痔か?と疑ったあと、もしかしたら内膜症が・・と思い、前回のクリニックへ。
内診、超音波のあと再びMRI。
卵巣の腫れがひどくなってるので、手術したほうがいいかもねという診断でした。
そこで手術のできる病院を紹介してもらうことになりました。
その病院の最初の診断では「腹腔鏡手術」。
しかし、「左側の卵巣にちょっと影が見える」ということで、造影剤を使ったMRIで再度撮影。
素人目にもわかるほど、ムニュムニュとした異物が写っていました。
その結果「最悪の場合ガンかもしれない。腹腔鏡では危険なので開腹になります。
そして悪性だった場合、子宮も卵巣も取る」と言われ・・。
取りつくしまもない言い方で、かなりショックでした。
やはり臓器は残したかったし、セカンドオピニオン&もう少し話し合いのできるような病院を・・ということで2つの病院をまわりました。
1つめは、「あなたの年齢と、未婚ということを考えると、残すのが一般的。でもウチでは、手術中に病理にまわすシステムがないので、受けられません」との返事。
ここは、受け答えや内診がとても乱暴な印象でした。
そして2つめの病院で、「できるだけ子宮や卵巣は残しましょう」と言ってもらえました。
もちろん、開腹してどうにもならなければ摘出ということでしたが・・。
はっきりと事実を伝えつつ、こちらの話をしっかり聞いてくれる先生たちだったので、信頼しようと思えました。
そして、1週間後に手術。
背中に麻酔を打つときは痛い、と聞いていたけど、思ったほどではありませんでした。
筋肉注射などのほうがよっぽど痛いと思う。
眠くなりますよ~と言われ、はーい、と答えてるうちに寝ていました。
手術は、約2時間半でした。
結果は、左側の卵巣に6×7cmほどの腫瘍。
ボールのようにごろんとした大きな塊を見せられたとき、母親と彼は「あー、結局卵巣を取っちゃったんだ」とクラクラしたそうです(笑)。
右側に、もう少し小さめの腫瘍。
そして何と子宮筋腫もできていて、これも取り除いてもらいました。
病理の判断としては「悪性ではないが良性とは言い切れない」。
その後も観察を続ける必要はあるということでしたが、子宮も卵巣も無事でした。
腸への癒着も心配されていたのですが、それも大丈夫でした。
手術後、目が覚めるとやはり痛かったので、痛み止めの座薬を入れてもらいました。
急に楽になったので、看護婦さんに「本読んでいいですか?」と聞くほどに(さすがにそれはやめて下さいと言われた・・)。
一番つらかったのは、足にはめたポンプのようなもの。
血液の循環をよくするためだけど、「プシュッ」「シュー」と足をしめつける感覚に、寝られない寝られない・・。
でも看護婦さんがこまめに寝姿勢を変えてくれたり、水は飲めないけど小さな氷を持ってきてくれたりして、少し楽になれました。
ようやく朝を迎え、足のポンプと尿の管を外してもらいました。
そして、廊下を少し歩く・・看護婦さんには、「たいていの人は、お腹をおさえてかがむように歩くけど、まっすぐ歩いてるからすごい」と言われました。
が、急に立ち上がったためか吐きそうになる(吐くものがないので吐けなかった)。
その日の昼から流動食が出たけど、お腹が痛くて20%くらいしか食べられませんでした。
痛み止めはどんどん使っていいとのことだったので(そのぶん歩ければ歩きましょうという方針だった)、また座薬を入れてもらうとテキメンに元気に。
何度もトイレに行ったり、起き上がったりしていました。
その日の夜には食事も完食!
その後は順調で、痛み止めも不要。
本当に1日1日元気になっていく感じで、人間ってすごいと思いました。
最初のうちは、笑ったり、くしゃみしたりが、お腹にひびいてつらかったですが。
そういう時に限って、くだらないことでおかしかったりするんですよね・・。
あと、入院直前まで風邪をひいていたため、のどに痰がからんでて・・でもスプレー式ののど薬を使ったら、すっきりしました。
わずらわしい点滴も4日めまで。
だんだん傷のあたりがかゆくなったりしたけど、ぬり薬などをもらって対処しました。
ようやく入院生活にも慣れた、手術後11日目に退院しました。
入院中、生理にしては軽い?というような出血が2、3日あり。
先生によると生理はすぐ来る人もいれば、2、3ヶ月こない人もいるとのこと。
私は、このときの出血は違ったようで、結局退院後に生理がきました。
退院後、2週間の自宅療養。
そして仕事に復帰しました。
仕事を再開してから1ヶ月半になりますが、今では通常とほぼ変わりない生活をしています。
私の経験から一言!
思い当たる症状がある方はもちろん、何事もなくてもとりあえず病院に行っておきましょう!ということ。
そして、自分が信頼できる病院を選ぶこと。
症状にもよるけど、ある程度こちらの意図をくんでくれるところでないと、ずーっと不安なままだと思う。
事前に納得いくまで話し合いをしておけば、肝もすわってきますよ~。
現在31歳です。
最初に症状があらわれたのは、2年前(2001年)の3月でした。
会社で仕事をしていたら、急にお腹に激痛が!
ひどい便秘のような感覚だったので、あわててトイレに駆け込みました。
でも、お腹の痛みが続くばかりでトイレの個室から動けず、1時間ほどたってやっと他の人が入ってきたので「助けて~」と呼びかけました。
ちょうど会社の前が内科&婦人科だったので、診てもらうことに。
筋肉注射をして何とか痛みがおさまり、そのときに内診をされて後日MRIを撮るように言われました。
その結果「内膜症の軽い前兆」ということで、しばらく「当帰芍薬散」を飲むことに。
3ヶ月後くらいにまた来るようにと言われましたが・・しばらく飲み続けて特に何事もなく、その後会社も引っ越してしまったので、結局病院には行かなくなってしまいました(薬もやめてしまった)。
ちなみに、このときの症状としてはひどい生理痛と、性交痛がありました。
病院に行かないとなーと思いつつ、約2年がたった今年の春ごろ。
突然、排便痛に悩まされました。
痔か?と疑ったあと、もしかしたら内膜症が・・と思い、前回のクリニックへ。
内診、超音波のあと再びMRI。
卵巣の腫れがひどくなってるので、手術したほうがいいかもねという診断でした。
そこで手術のできる病院を紹介してもらうことになりました。
その病院の最初の診断では「腹腔鏡手術」。
しかし、「左側の卵巣にちょっと影が見える」ということで、造影剤を使ったMRIで再度撮影。
素人目にもわかるほど、ムニュムニュとした異物が写っていました。
その結果「最悪の場合ガンかもしれない。腹腔鏡では危険なので開腹になります。
そして悪性だった場合、子宮も卵巣も取る」と言われ・・。
取りつくしまもない言い方で、かなりショックでした。
やはり臓器は残したかったし、セカンドオピニオン&もう少し話し合いのできるような病院を・・ということで2つの病院をまわりました。
1つめは、「あなたの年齢と、未婚ということを考えると、残すのが一般的。でもウチでは、手術中に病理にまわすシステムがないので、受けられません」との返事。
ここは、受け答えや内診がとても乱暴な印象でした。
そして2つめの病院で、「できるだけ子宮や卵巣は残しましょう」と言ってもらえました。
もちろん、開腹してどうにもならなければ摘出ということでしたが・・。
はっきりと事実を伝えつつ、こちらの話をしっかり聞いてくれる先生たちだったので、信頼しようと思えました。
そして、1週間後に手術。
背中に麻酔を打つときは痛い、と聞いていたけど、思ったほどではありませんでした。
筋肉注射などのほうがよっぽど痛いと思う。
眠くなりますよ~と言われ、はーい、と答えてるうちに寝ていました。
手術は、約2時間半でした。
結果は、左側の卵巣に6×7cmほどの腫瘍。
ボールのようにごろんとした大きな塊を見せられたとき、母親と彼は「あー、結局卵巣を取っちゃったんだ」とクラクラしたそうです(笑)。
右側に、もう少し小さめの腫瘍。
そして何と子宮筋腫もできていて、これも取り除いてもらいました。
病理の判断としては「悪性ではないが良性とは言い切れない」。
その後も観察を続ける必要はあるということでしたが、子宮も卵巣も無事でした。
腸への癒着も心配されていたのですが、それも大丈夫でした。
手術後、目が覚めるとやはり痛かったので、痛み止めの座薬を入れてもらいました。
急に楽になったので、看護婦さんに「本読んでいいですか?」と聞くほどに(さすがにそれはやめて下さいと言われた・・)。
一番つらかったのは、足にはめたポンプのようなもの。
血液の循環をよくするためだけど、「プシュッ」「シュー」と足をしめつける感覚に、寝られない寝られない・・。
でも看護婦さんがこまめに寝姿勢を変えてくれたり、水は飲めないけど小さな氷を持ってきてくれたりして、少し楽になれました。
ようやく朝を迎え、足のポンプと尿の管を外してもらいました。
そして、廊下を少し歩く・・看護婦さんには、「たいていの人は、お腹をおさえてかがむように歩くけど、まっすぐ歩いてるからすごい」と言われました。
が、急に立ち上がったためか吐きそうになる(吐くものがないので吐けなかった)。
その日の昼から流動食が出たけど、お腹が痛くて20%くらいしか食べられませんでした。
痛み止めはどんどん使っていいとのことだったので(そのぶん歩ければ歩きましょうという方針だった)、また座薬を入れてもらうとテキメンに元気に。
何度もトイレに行ったり、起き上がったりしていました。
その日の夜には食事も完食!
その後は順調で、痛み止めも不要。
本当に1日1日元気になっていく感じで、人間ってすごいと思いました。
最初のうちは、笑ったり、くしゃみしたりが、お腹にひびいてつらかったですが。
そういう時に限って、くだらないことでおかしかったりするんですよね・・。
あと、入院直前まで風邪をひいていたため、のどに痰がからんでて・・でもスプレー式ののど薬を使ったら、すっきりしました。
わずらわしい点滴も4日めまで。
だんだん傷のあたりがかゆくなったりしたけど、ぬり薬などをもらって対処しました。
ようやく入院生活にも慣れた、手術後11日目に退院しました。
入院中、生理にしては軽い?というような出血が2、3日あり。
先生によると生理はすぐ来る人もいれば、2、3ヶ月こない人もいるとのこと。
私は、このときの出血は違ったようで、結局退院後に生理がきました。
退院後、2週間の自宅療養。
そして仕事に復帰しました。
仕事を再開してから1ヶ月半になりますが、今では通常とほぼ変わりない生活をしています。
私の経験から一言!
思い当たる症状がある方はもちろん、何事もなくてもとりあえず病院に行っておきましょう!ということ。
そして、自分が信頼できる病院を選ぶこと。
症状にもよるけど、ある程度こちらの意図をくんでくれるところでないと、ずーっと不安なままだと思う。
事前に納得いくまで話し合いをしておけば、肝もすわってきますよ~。
みのさんの場合 (腹腔鏡手術/1泊2日の入院手術)
2003.00.01
26歳です。
◆2001年8月
最初は腸の調子が悪いと思い1年程内科に通い続けてました。
そのたびに診断は『過敏性腸炎』って言われ続けていたのですが・・・
たまたま女性の先生だった時に、
「婦人科の可能性もあるので調べて見ましょう。」
ということになり、婦人科へ・・・紹介されました。
その時は痛みはなかったので様子を見ましょうということになりました。
その次の生理の時は激痛で、そして高熱。
熱は関係ないと思ったのですがあまりの痛みに家から一番近い産婦人科へ。
発熱は関係あるそうです。
卵巣が炎症起こしてましたので。
しかしそこでは治療できないとのこと。
大きな病院へ紹介されました。
でも生理痛は生理が終わっても続いたんです。
右足の付け根が特に激痛・・・そのうちロキソニンも効かなくなりました。
◆1回目の診察から2週間後にMRI・・・また2週間後に検査結果・・・
その間に発熱がひどくて、痛みがひどくなっていたので、電話して診てくれないかって言ったら、 熱は関係ないから内科へ行けって・・・どうよ。この対応。
即、他の病院へ救急で駆け込みました。
新しい病院で再び診療。
このときは常に激痛。
痛くない日がない・・・
毎日微熱。
毎日激痛。
痛くない日はありません。
その病院での診断。
「子宮内膜症」 とのこと←それはもうわかってるって突っ込んだけど。
右卵巣が 6cm です。って・・・
でも手術はしてくれなかったの。
してくれーって言ったのですが、リュープリンということになりました。
内膜症は生理の時だけ痛いわけではなくて、ひどくなると、痛くない日がなくなります。
リュープリンの注射開始して生理が止まって痛みがなくなるまでの間・・・
起きてる時にロキソニン3回。
痛みで眠れなかったので寝るときにボルタレン1回。
2ヶ月ほど続きました。
その後、胃痛で内科へ。
◆2001年10月~2002年4月まで 半年間リュープリン投与。
私は二の腕のお肉がプルプルしてるところに左右交互に毎月1回打ちました。
普通の注射よりは痛かったです。
ちゃんと副作用ありました。
更年期?
冬なのに暑いの。
身体がね。
鬱とかにはならなかったですが、
なんか体調が日々おかしかったです。
リュープリンが効いてる間は痛みはなかったです。
最後のリュープリン終了。
MRIを撮ったのですが、微妙に、ほんの少し小さくなった模様。
2ヶ月ぐらいしたら生理がやってくる・・・という前に、右足の付け根がやっぱり痛い。
リュープリン効果はナシ?
すぐ痛み復活ってどうよ。って思いましたが。
手術をしてくれーってまた言ってみたのですが、ボンゾールで治療をしようかと思います。って言われました。
そんなに続けて薬使いたくないよなーと思いつつ、仕方ないのかな。と思っていました。
その時です。
友人から電話があったのは。
「テレビで内膜症の特集やってたよ。病院、テレビ局に問い合わせたから行ってみ!日帰りの手術で治るんだって!」
宇○○○○ルが卵巣の手術した影響で放送されていたようです。
ありがとう!っていちゃいけないですけど、このときの放送がなければ今も痛みと戦っていたと思います。
その次の日にいつも行っている病院に紹介状を書いてもらい、その病院へGO!
◆ここからがかなり早かったです。
ホントびっくり。
まず、初診の日にMRIの画像をみて、手術しましょうって。
ネットで情報を見るじゃないですか。
まず手術っていいますよね・・・外国だと。
手術してくれるのね!!!やっと。
痛いから早くして~って。
その日のうちに 手術前検診 をやりました。
2週間後に手術でしたよ。
日帰り手術とテレビでは言っていたのですが、実際は1泊2日でした。
朝は外来や他の手術などもあるので、朝一で手術ができたら日帰りなのだそうです。
◆手術前日
夜の食事はとってはいけないとのこと。
朝も食べてこないでくださいって・・・微妙につらかったわ。
◆入院1日目
朝9時に病院へ。
病室へ案内されました。
そのあとすぐに診察室へ。
何だろうって思ったら浣腸でした。
5分我慢できないよ・・・看護士サン・・・
13時から手術予定だったのですが、急患とのことで、私の手術は15時から始まりました。
麻酔されて・・・気がついたら終わってました。
手術は4時間。
2時間ぐらいの予定だったのですが。
4箇所穴をあけました。
おへその中、右下、左上、左下 カンジで。
子宮の裏側や横隔膜まで癒着してたとのこと。
内膜ってすごすぎるわーなんて思いました。
見えるところは全部取ったとのことです。
脂肪が厚かったよって・・・母が言われたそうです。ゴメンネ。
麻酔が覚めるときはかなり寒いんですねーもうブルブルと・・・
こんなに寒いの初めてだわって思いました。
看護士サンはなれたもので電気毛布入ってるから大丈夫ですよーって。
それでも震えがとまらないのよう。
まだ意識が朦朧としてましたので、そのまま寝てしまいました。
◆入院2日目
朝は普通でした。
おなかが痛いと思いながらも生理痛より痛くないんですね・・・なんか腹の肉が痛いってカンジでした。
そしておなかが張ってパンパン。
膨れてるお腹がさらに膨れてました。
朝起きていきなり普通にご飯。
ご飯だーって思って元気に箸を進めましたが・・・完食はムリでした。
朝10時ぐらいになって、お会計に行ってきて下さい。って。
え?もう?ってアタシが今?ってカンジでしたけど、2階から階段で降りていってきました。
その後診察、そして10時30分には帰っていいですよーって。
あっさりしたものでした。
意外に動けるものですね。
◆その後自宅で2週間ほど療養しまして、職場復帰しました。
術後につらいのは階段でした。
腹筋使うことは結構つらいです。
痛みが完全になくなるのに1月ぐらいはかかりました。
◆2003年秋現在
再発はしてないです。
生理痛は痛み止めも飲む必要がなく、本来こんなものなのか。と思いました。
手術跡が残っています。
切った所が膨れてるのですが、おへその中を切っているのでそこがデベソみたいになってます。
■長くなってしまいましたが、病院によってかなり診断が違いますし、治療も違います。
自分の納得のいく形でやってくれる病院に出会うまでは、がんばって探した方がいいと思います。
自分で自分の病気を知ることも大切です。
知らなかったら私は今も薬で治療してたと思いますので。
いろんな症状の人がいると思いますが、私の場合は生理の時だけではなく、すべての日が激痛になりました。
そうなる前におかしいなーって思ったら病院へ行ったほうがいいと思います。
◆2001年8月
最初は腸の調子が悪いと思い1年程内科に通い続けてました。
そのたびに診断は『過敏性腸炎』って言われ続けていたのですが・・・
たまたま女性の先生だった時に、
「婦人科の可能性もあるので調べて見ましょう。」
ということになり、婦人科へ・・・紹介されました。
その時は痛みはなかったので様子を見ましょうということになりました。
その次の生理の時は激痛で、そして高熱。
熱は関係ないと思ったのですがあまりの痛みに家から一番近い産婦人科へ。
発熱は関係あるそうです。
卵巣が炎症起こしてましたので。
しかしそこでは治療できないとのこと。
大きな病院へ紹介されました。
でも生理痛は生理が終わっても続いたんです。
右足の付け根が特に激痛・・・そのうちロキソニンも効かなくなりました。
◆1回目の診察から2週間後にMRI・・・また2週間後に検査結果・・・
その間に発熱がひどくて、痛みがひどくなっていたので、電話して診てくれないかって言ったら、 熱は関係ないから内科へ行けって・・・どうよ。この対応。
即、他の病院へ救急で駆け込みました。
新しい病院で再び診療。
このときは常に激痛。
痛くない日がない・・・
毎日微熱。
毎日激痛。
痛くない日はありません。
その病院での診断。
「子宮内膜症」 とのこと←それはもうわかってるって突っ込んだけど。
右卵巣が 6cm です。って・・・
でも手術はしてくれなかったの。
してくれーって言ったのですが、リュープリンということになりました。
内膜症は生理の時だけ痛いわけではなくて、ひどくなると、痛くない日がなくなります。
リュープリンの注射開始して生理が止まって痛みがなくなるまでの間・・・
起きてる時にロキソニン3回。
痛みで眠れなかったので寝るときにボルタレン1回。
2ヶ月ほど続きました。
その後、胃痛で内科へ。
◆2001年10月~2002年4月まで 半年間リュープリン投与。
私は二の腕のお肉がプルプルしてるところに左右交互に毎月1回打ちました。
普通の注射よりは痛かったです。
ちゃんと副作用ありました。
更年期?
冬なのに暑いの。
身体がね。
鬱とかにはならなかったですが、
なんか体調が日々おかしかったです。
リュープリンが効いてる間は痛みはなかったです。
最後のリュープリン終了。
MRIを撮ったのですが、微妙に、ほんの少し小さくなった模様。
2ヶ月ぐらいしたら生理がやってくる・・・という前に、右足の付け根がやっぱり痛い。
リュープリン効果はナシ?
すぐ痛み復活ってどうよ。って思いましたが。
手術をしてくれーってまた言ってみたのですが、ボンゾールで治療をしようかと思います。って言われました。
そんなに続けて薬使いたくないよなーと思いつつ、仕方ないのかな。と思っていました。
その時です。
友人から電話があったのは。
「テレビで内膜症の特集やってたよ。病院、テレビ局に問い合わせたから行ってみ!日帰りの手術で治るんだって!」
宇○○○○ルが卵巣の手術した影響で放送されていたようです。
ありがとう!っていちゃいけないですけど、このときの放送がなければ今も痛みと戦っていたと思います。
その次の日にいつも行っている病院に紹介状を書いてもらい、その病院へGO!
◆ここからがかなり早かったです。
ホントびっくり。
まず、初診の日にMRIの画像をみて、手術しましょうって。
ネットで情報を見るじゃないですか。
まず手術っていいますよね・・・外国だと。
手術してくれるのね!!!やっと。
痛いから早くして~って。
その日のうちに 手術前検診 をやりました。
2週間後に手術でしたよ。
日帰り手術とテレビでは言っていたのですが、実際は1泊2日でした。
朝は外来や他の手術などもあるので、朝一で手術ができたら日帰りなのだそうです。
◆手術前日
夜の食事はとってはいけないとのこと。
朝も食べてこないでくださいって・・・微妙につらかったわ。
◆入院1日目
朝9時に病院へ。
病室へ案内されました。
そのあとすぐに診察室へ。
何だろうって思ったら浣腸でした。
5分我慢できないよ・・・看護士サン・・・
13時から手術予定だったのですが、急患とのことで、私の手術は15時から始まりました。
麻酔されて・・・気がついたら終わってました。
手術は4時間。
2時間ぐらいの予定だったのですが。
4箇所穴をあけました。
おへその中、右下、左上、左下 カンジで。
子宮の裏側や横隔膜まで癒着してたとのこと。
内膜ってすごすぎるわーなんて思いました。
見えるところは全部取ったとのことです。
脂肪が厚かったよって・・・母が言われたそうです。ゴメンネ。
麻酔が覚めるときはかなり寒いんですねーもうブルブルと・・・
こんなに寒いの初めてだわって思いました。
看護士サンはなれたもので電気毛布入ってるから大丈夫ですよーって。
それでも震えがとまらないのよう。
まだ意識が朦朧としてましたので、そのまま寝てしまいました。
◆入院2日目
朝は普通でした。
おなかが痛いと思いながらも生理痛より痛くないんですね・・・なんか腹の肉が痛いってカンジでした。
そしておなかが張ってパンパン。
膨れてるお腹がさらに膨れてました。
朝起きていきなり普通にご飯。
ご飯だーって思って元気に箸を進めましたが・・・完食はムリでした。
朝10時ぐらいになって、お会計に行ってきて下さい。って。
え?もう?ってアタシが今?ってカンジでしたけど、2階から階段で降りていってきました。
その後診察、そして10時30分には帰っていいですよーって。
あっさりしたものでした。
意外に動けるものですね。
◆その後自宅で2週間ほど療養しまして、職場復帰しました。
術後につらいのは階段でした。
腹筋使うことは結構つらいです。
痛みが完全になくなるのに1月ぐらいはかかりました。
◆2003年秋現在
再発はしてないです。
生理痛は痛み止めも飲む必要がなく、本来こんなものなのか。と思いました。
手術跡が残っています。
切った所が膨れてるのですが、おへその中を切っているのでそこがデベソみたいになってます。
■長くなってしまいましたが、病院によってかなり診断が違いますし、治療も違います。
自分の納得のいく形でやってくれる病院に出会うまでは、がんばって探した方がいいと思います。
自分で自分の病気を知ることも大切です。
知らなかったら私は今も薬で治療してたと思いますので。
いろんな症状の人がいると思いますが、私の場合は生理の時だけではなく、すべての日が激痛になりました。
そうなる前におかしいなーって思ったら病院へ行ったほうがいいと思います。
あやりんさんの場合 (腹腔鏡手術)
2003.00.00
あやりん、30代です。
高校生の頃から、生理痛はあったのですがここ2~3年前より排卵痛、生理痛が酷くなり鎮痛剤を飲んでも寝込むほどに。
昨年の夏、生理痛が激痛になり近くの産婦人科を受診。
子宮内膜症と臨床診断されリュ-プリン療法を勧められる。
1件だけでは不安だったのでもう一件違う産婦人科にセカンドオピニオンに行く。
そこでも同じ診断でスプレキュアを勧められる。
このころの私は、まだ内膜症について勉強不足であり医者の勧められるとおり、リュ-プリン療法を2回受ける。
1回目施行後、10日程してから不正出血あり。
10日経っても止まらないため、受診する。
その医者は診察もせず、そのうち止まりますと言われた。
私が「いつぐらいに止まりますか」という質問に対し、冷たく「わかりません」の一言。
そればかりか、お正月を挟むという理由で、前回注射後3週間しか経っていないのに2回目のリュ-プリンを注射されました。
2回目注射後はのぼせ、うつ症状が酷く、物事を悲観的にしかとらえることができませんでした。
医者に対する不信感が募り、自分なりに情報収集をし、転院しました。
転院した病院の先生は今までの先生とは比べ物にならないほど、診察も丁寧で内膜症についても事細かに説明してくださり、内膜症以外にも痛みの原因になるうっ血症候群もあるので、確定診断をしたほうがよいと言って下さり、腹腔鏡を受けることにしました。
◆入院1日目
私の場合、主に検査入院でした。
朝、10時に病院到着。
手続きをすませ、受け持ちの看護師さんにより部屋に案内される。(7人部屋でした)
案内後、バイタルサインの測定、採血、抗生剤テスト、問診あり。
その後臍処置、剃毛あり。
医者より検査について再度説明をうける。
今回は検査目的であるが、術中に内膜症が見つかった場合、検査から手術になりますとのことだった。
その後、シャワ-。
夜、なかなか寝付かれなかった。
◆入院2日目
午前中にもう一人、検査に入ってくださる先生から昨日と同じ説明あり。
その後、麻酔科の医者が来てくださり、明日の手術についての説明あり。
13時に下剤(マグコロ-ル)を内服予定であったが、普段から便秘したことのない私は効きすぎるのでは不安になったので、先にシャワ-をすませる。
13時半に内服する。
マグコロ-ルは粉薬で量も多く、飲みにくいので氷を入れて冷たくしたほうがいいです。
その後、16時ぐらいから薬が効き始め合計12回トイレに通う。
21時より絶飲食となる。
結局夜は、お腹が痛くてあまり寝れなかった。
◆入院3日目(検査当日)
朝起きて、昨日下剤が効きすぎたことを、看護師さんに伝える。
「先生に浣腸のこと聞いてみますね。」と言われる。
「先生がしたほうがいいとおっしゃっているので浣腸しますね。」と言われ結局9時にグリセリン 60ミリリットルをし、その後2回トイレに行く。(合計14回)
普段から便秘をしたことのない私は、どうも薬が効きすぎるようである。
10時より手術着に着替え、点滴開始となる。
手術室より、検査担当の看護師さんが来て下さり、検査についての簡単な説明を受ける。
検査は14時予定であるが、私の前に緊急の患者さんが入ったため、少し時間が遅れるとのこと。
13時45分ごろ手術室から連絡があり下着を取り、紙パンツにはきかえ、深部静脈血栓症の予防のために圧迫ストッキングをはき、髪をゴムで束ねてキャップをかぶり、歩いてストレッチャ-に乗る。
その後、看護師さんより術前注射(硫酸アトロピン0.5、アタラックスP25)を筋肉注射される。
手術室に移動。
中に入り、手術室のストレッチャ-に乗り換え手術室に移送される。
ストレッチャ-から手術台に乗せられる。
手術室にはもう一人の先生が先にきていた。
麻酔科の医者からお薬しますねと言われ、マスクをされた後、すぐに意識を失う。
気がつけば、病室のベットの上で寝ていた。
帰室は16時すぎ、手術時間は2時間ほど。
主治医の先生が来て下さり、説明を受けた。
初め、お腹の中にカメラを入れて見てみたらきれいだったのでたいしたことはないと思った。
カメラを進めていくうちに、左右の仙骨子宮靭帯を中心に硬結がみられたため、検査から手術に切り替わりました。
左右の靭帯に出来ている病巣を取り、活動病巣・左右の卵巣にあったブル-ベリ-班を広範囲に焼き、癒着を剥がし、インジゴカルミン液(青い液)にて、左右の卵管の通りを確認し、癒着予防のために生理食塩水をお腹の中に入れ、終了しました。とのこと。
結果はステ-ジ2の子宮内膜症でした。
帰室後すぐに酸素3リットルを2時間つける。
手術室より血栓予防のためにAVインパルスという機械を足につけて帰り、次の日の10時までつけていました。
意識がはっきりすると痛みがあり、ソセゴン15を筋肉注射してもらう。
その後、ぐっすり眠る。
夜間、頻回のバイタルサインの測定、尿管留置のため違和感、痛みも酷かったため、ボルタレン座薬50を入れてもらう。
夜の2時頃、起こされて飲水テスト。
その後は朝まで眠る。
◆入院4日目(術後1日目)
朝、起きたら傷が痛く、体がだるかった。
10時ごろ手術後4本目の点滴が終了し、抜去となる。
その後、看護師さんに体を拭いてもらい、尿管を外してもらいパジャマに着替える。
看護師さんに付き添われ歩行する。
ややふらついたものも、なんとかできそうである。
もう一人の医者が来て下さり、様子を聞いてくれる。
膣の中にガ-ゼが入っていて先がでているので自分で取るように言われる。
昼より全がゆがでる。
気分が悪かったため、あまり摂取できず。
お昼過ぎに主治医の先生が来て下さり、左の下腹部から膣にかけて痛いと訴えると写真で説明と診察をするから、外来に来るようにいわれる。
お腹をかがめて、痛いのをこらえて行きました。
出血が少しあるものも、特に異常なし。
写真にて説明を受ける。
右の卵巣の横に大きな静脈りゅうがありました。
子宮内膜症とうっ血症候群のダブルでお腹が痛かったと説明される。
夜、トイレに行くと、多量の出血あり。
トイレよりナ-スコ-ルし看護師さんに知らせる。
もっと増えてきたら知らせるように言われる。
傷、お腹が痛くあまり寝れなかった。
◆入院5日目(術後2日目)
朝、洗面所前で主治医の先生に会い、昨晩からの出血は恐らく生理だろうとのこと。
術中のお腹の中は排卵後で黄体があり、癒着を剥がす際に一緒にとってしまったために急激にホルモンの値が下がり、生理になってしまったと説明あり。
子宮付近に痛みがあるため、先生に聞いてみると、術後3ヶ月ぐらいしないと手術の効果はわからないと言われ、とりあえず、痛いときに飲みなさいということでロキソニンを処方してもらう。
◆入院6日目(術後3日目)
今朝も出血、多量にあり。
お腹の痛み、傷の痛みも随分よくなり起き上がるのもスム-ズになる。
◆入院7日目(術後4日目)
出血、続いているが量はすくなくなる。
術後初めて看護師さんに、洗髪してもらう。
すご~くすっきりし、生き返った。
◆入院8日目(術後5日目)
出血ようやく止まる。
9時前に主治医の先生から、ビデオで説明するから来てと言われる。
ひとつ、ひとつ丁寧に説明してくださる。
調子はどうですかと聞かれたので、傷口が痒いというと、1日早いけど、クリップをとりましょうと言って下さり、取ってもらい、ガ-ゼを貼ってもらう。
クリップをとっただけで、随分楽になる。
◆入院9日目(術後6日目)
朝、冷えたのかお腹が痛かったため、ロキソニンを内服する。
午後より主治医の退院前の診察あり。
創部の確認、内診、直腸診、エコ-あり。
内診、直腸診をされても、以前には比べ物にならないほど、痛みは少なかった。
これだけでも、手術してよかったと実感する。
お腹の中の血の巡りがよくないため、漢方薬の内服が始まる。
明日、退院の許可が下りる。
◆入院10日目(退院)
昨晩より、子宮のあたりの痛みがあり、なかなか寝れなかったため、12時にロキソニンを内服する。
しばらくして、効きはじめ、寝る。
朝、起きてもやっぱりお腹が痛かったため朝食後にロキソニン再度内服する。
看護師さんより先生に言いましょうかと聞かれたので、退院が延びたらいやだったのでもういいですと答える。
10時半ごろ、退院する。
高校生の頃から、生理痛はあったのですがここ2~3年前より排卵痛、生理痛が酷くなり鎮痛剤を飲んでも寝込むほどに。
昨年の夏、生理痛が激痛になり近くの産婦人科を受診。
子宮内膜症と臨床診断されリュ-プリン療法を勧められる。
1件だけでは不安だったのでもう一件違う産婦人科にセカンドオピニオンに行く。
そこでも同じ診断でスプレキュアを勧められる。
このころの私は、まだ内膜症について勉強不足であり医者の勧められるとおり、リュ-プリン療法を2回受ける。
1回目施行後、10日程してから不正出血あり。
10日経っても止まらないため、受診する。
その医者は診察もせず、そのうち止まりますと言われた。
私が「いつぐらいに止まりますか」という質問に対し、冷たく「わかりません」の一言。
そればかりか、お正月を挟むという理由で、前回注射後3週間しか経っていないのに2回目のリュ-プリンを注射されました。
2回目注射後はのぼせ、うつ症状が酷く、物事を悲観的にしかとらえることができませんでした。
医者に対する不信感が募り、自分なりに情報収集をし、転院しました。
転院した病院の先生は今までの先生とは比べ物にならないほど、診察も丁寧で内膜症についても事細かに説明してくださり、内膜症以外にも痛みの原因になるうっ血症候群もあるので、確定診断をしたほうがよいと言って下さり、腹腔鏡を受けることにしました。
◆入院1日目
私の場合、主に検査入院でした。
朝、10時に病院到着。
手続きをすませ、受け持ちの看護師さんにより部屋に案内される。(7人部屋でした)
案内後、バイタルサインの測定、採血、抗生剤テスト、問診あり。
その後臍処置、剃毛あり。
医者より検査について再度説明をうける。
今回は検査目的であるが、術中に内膜症が見つかった場合、検査から手術になりますとのことだった。
その後、シャワ-。
夜、なかなか寝付かれなかった。
◆入院2日目
午前中にもう一人、検査に入ってくださる先生から昨日と同じ説明あり。
その後、麻酔科の医者が来てくださり、明日の手術についての説明あり。
13時に下剤(マグコロ-ル)を内服予定であったが、普段から便秘したことのない私は効きすぎるのでは不安になったので、先にシャワ-をすませる。
13時半に内服する。
マグコロ-ルは粉薬で量も多く、飲みにくいので氷を入れて冷たくしたほうがいいです。
その後、16時ぐらいから薬が効き始め合計12回トイレに通う。
21時より絶飲食となる。
結局夜は、お腹が痛くてあまり寝れなかった。
◆入院3日目(検査当日)
朝起きて、昨日下剤が効きすぎたことを、看護師さんに伝える。
「先生に浣腸のこと聞いてみますね。」と言われる。
「先生がしたほうがいいとおっしゃっているので浣腸しますね。」と言われ結局9時にグリセリン 60ミリリットルをし、その後2回トイレに行く。(合計14回)
普段から便秘をしたことのない私は、どうも薬が効きすぎるようである。
10時より手術着に着替え、点滴開始となる。
手術室より、検査担当の看護師さんが来て下さり、検査についての簡単な説明を受ける。
検査は14時予定であるが、私の前に緊急の患者さんが入ったため、少し時間が遅れるとのこと。
13時45分ごろ手術室から連絡があり下着を取り、紙パンツにはきかえ、深部静脈血栓症の予防のために圧迫ストッキングをはき、髪をゴムで束ねてキャップをかぶり、歩いてストレッチャ-に乗る。
その後、看護師さんより術前注射(硫酸アトロピン0.5、アタラックスP25)を筋肉注射される。
手術室に移動。
中に入り、手術室のストレッチャ-に乗り換え手術室に移送される。
ストレッチャ-から手術台に乗せられる。
手術室にはもう一人の先生が先にきていた。
麻酔科の医者からお薬しますねと言われ、マスクをされた後、すぐに意識を失う。
気がつけば、病室のベットの上で寝ていた。
帰室は16時すぎ、手術時間は2時間ほど。
主治医の先生が来て下さり、説明を受けた。
初め、お腹の中にカメラを入れて見てみたらきれいだったのでたいしたことはないと思った。
カメラを進めていくうちに、左右の仙骨子宮靭帯を中心に硬結がみられたため、検査から手術に切り替わりました。
左右の靭帯に出来ている病巣を取り、活動病巣・左右の卵巣にあったブル-ベリ-班を広範囲に焼き、癒着を剥がし、インジゴカルミン液(青い液)にて、左右の卵管の通りを確認し、癒着予防のために生理食塩水をお腹の中に入れ、終了しました。とのこと。
結果はステ-ジ2の子宮内膜症でした。
帰室後すぐに酸素3リットルを2時間つける。
手術室より血栓予防のためにAVインパルスという機械を足につけて帰り、次の日の10時までつけていました。
意識がはっきりすると痛みがあり、ソセゴン15を筋肉注射してもらう。
その後、ぐっすり眠る。
夜間、頻回のバイタルサインの測定、尿管留置のため違和感、痛みも酷かったため、ボルタレン座薬50を入れてもらう。
夜の2時頃、起こされて飲水テスト。
その後は朝まで眠る。
◆入院4日目(術後1日目)
朝、起きたら傷が痛く、体がだるかった。
10時ごろ手術後4本目の点滴が終了し、抜去となる。
その後、看護師さんに体を拭いてもらい、尿管を外してもらいパジャマに着替える。
看護師さんに付き添われ歩行する。
ややふらついたものも、なんとかできそうである。
もう一人の医者が来て下さり、様子を聞いてくれる。
膣の中にガ-ゼが入っていて先がでているので自分で取るように言われる。
昼より全がゆがでる。
気分が悪かったため、あまり摂取できず。
お昼過ぎに主治医の先生が来て下さり、左の下腹部から膣にかけて痛いと訴えると写真で説明と診察をするから、外来に来るようにいわれる。
お腹をかがめて、痛いのをこらえて行きました。
出血が少しあるものも、特に異常なし。
写真にて説明を受ける。
右の卵巣の横に大きな静脈りゅうがありました。
子宮内膜症とうっ血症候群のダブルでお腹が痛かったと説明される。
夜、トイレに行くと、多量の出血あり。
トイレよりナ-スコ-ルし看護師さんに知らせる。
もっと増えてきたら知らせるように言われる。
傷、お腹が痛くあまり寝れなかった。
◆入院5日目(術後2日目)
朝、洗面所前で主治医の先生に会い、昨晩からの出血は恐らく生理だろうとのこと。
術中のお腹の中は排卵後で黄体があり、癒着を剥がす際に一緒にとってしまったために急激にホルモンの値が下がり、生理になってしまったと説明あり。
子宮付近に痛みがあるため、先生に聞いてみると、術後3ヶ月ぐらいしないと手術の効果はわからないと言われ、とりあえず、痛いときに飲みなさいということでロキソニンを処方してもらう。
◆入院6日目(術後3日目)
今朝も出血、多量にあり。
お腹の痛み、傷の痛みも随分よくなり起き上がるのもスム-ズになる。
◆入院7日目(術後4日目)
出血、続いているが量はすくなくなる。
術後初めて看護師さんに、洗髪してもらう。
すご~くすっきりし、生き返った。
◆入院8日目(術後5日目)
出血ようやく止まる。
9時前に主治医の先生から、ビデオで説明するから来てと言われる。
ひとつ、ひとつ丁寧に説明してくださる。
調子はどうですかと聞かれたので、傷口が痒いというと、1日早いけど、クリップをとりましょうと言って下さり、取ってもらい、ガ-ゼを貼ってもらう。
クリップをとっただけで、随分楽になる。
◆入院9日目(術後6日目)
朝、冷えたのかお腹が痛かったため、ロキソニンを内服する。
午後より主治医の退院前の診察あり。
創部の確認、内診、直腸診、エコ-あり。
内診、直腸診をされても、以前には比べ物にならないほど、痛みは少なかった。
これだけでも、手術してよかったと実感する。
お腹の中の血の巡りがよくないため、漢方薬の内服が始まる。
明日、退院の許可が下りる。
◆入院10日目(退院)
昨晩より、子宮のあたりの痛みがあり、なかなか寝れなかったため、12時にロキソニンを内服する。
しばらくして、効きはじめ、寝る。
朝、起きてもやっぱりお腹が痛かったため朝食後にロキソニン再度内服する。
看護師さんより先生に言いましょうかと聞かれたので、退院が延びたらいやだったのでもういいですと答える。
10時半ごろ、退院する。