めぐみさんの場合 (腹腔鏡手術/出産後発見)
2004.00.00
1997年出産。
超安産だった割に産後の肥立ちが悪く、出血が止まらない。
3か月程通院した後、いきなり内診台の上で押さえ付けられ、子宮内に溜まった血を掻き出される。
あまりの痛みに失神。
しかも中に出来ていたポリープも、何の説明もなく勝手に切除されていた。
二度と産婦人科には行きたくないと決心するも、性交痛、下腹部痛が続くので、2003年2月に思い切って受診。
両側卵巣腫瘍と診断される。
ところがこの病院では、腹腔鏡手術が出来ない、数々のドクハラに遭ったこと等から、転院を決意。
ネットで調べた病院に行ってみると、とても丁寧で好感が持てた。
3月下旬よりスプレキュアの注射開始。
注射は痛いがスタッフの感じが良いので、病院に行くのが毎回楽しみなくらい。
そして8月1日、1クール終了。
◆8月2日。
右下腹部痛が酷い。
◆8月3日。
右下腹部痛+乳房の痛みで起きていられない。
◆8月4日。
入院当日(手術前日)。
あまりに痛いので、受診。
内診されるが凄く痛い。
採血してすぐにMRI検査。
前の病院と比べ、締め付けないし音も静かな上、ヘッドフォンもしていたので、苦痛はなかった(前の病院ではヘッドフォン無しで造影剤も使用した為、検査後、目眩と吐き気で大変な目に。機械によって随分違うことを実感)。
フィルムを見ながら医師と相談するが、痛みも引かないし放っておいても治らない、と言うことで、手術を決意。
早速術前検査(止血検査、心電図、肺活量測定、レントゲン)を行う。
その後一緒に来ていた夫と共に、医師の説明を聞く。
夫は入院準備の為、一旦帰宅。
私は痛みが酷いので病棟へ。
麻酔のこと、家族のこと等聞かれながら、病衣に着替え。
手術部位の除毛、おへその掃除、抗生物質のアレルギーテスト(私には痛かった!)を行う。
その後の入院オリエンテーションが終わり、一人で病室にいると痛みが増してきて、ナースコールするべきか悶々と悩む。
様子を見に来た看護師に痛み止めの座薬を入れてもらって、ようやく落ち着いた(その後翌朝まで痛みは無し)。
夫と実家の母が来てくれた。
入院準備をしてきた筈なのに、足りない物だらけ。
段々イライラしてきた。
痛みを取ってもらおうと気軽な気持ちで病院に行っただけなのに…本当は今頃、今日発売のジャ○プコミックスを読んでる筈だったのに…入院必要物品は揃ってないわ、何故か私の仕事用鞄を持ってくるわ、「ためしてガッ○ン」の本を持ってくるわ…大体入院の差し入れと言ったら漫画に決まっている(私の偏見)やろ!と、ここまで思いが至ったところで怒り爆発。
「ジャ○プ買って来てーっ!」
と叫んで、夫を近くのコンビニまで走らせた。
夕食は常食。
夕食後、明日の手術執刀医が挨拶と説明に来る。
腹腔鏡手術予定だが、開腹になる可能性もあることを、今一度説明される。
9時以降、絶飲食。
夜は悶々として眠れない。
薬もらえば良かった、と後悔。
一晩中、窓の外を眺めていた。
◆8月5日。
入院2日目(手術当日)。
朝一で浣腸。
最近ご飯を食べていないので、あまり出なくて不安になる。
術衣に着替えていると、夫と実母が到着。
「ちゃんと湯飲み持ってきたよv」
と言って夫が差し出した物は、茶碗蒸しの器だった…。
蓋付きの物を、と気を利かせたつもりらしいが、手術前に笑い殺す気かっ!!
その後、右手首から留置針(太くて痛い)を入れて点滴(ラクテック500ml、ポタコールR500ml、生理食塩水100ml)。
その間、執刀医、オペ看、看護師長と続々と挨拶に来られ、術前であることを実感する。
ポタコールRを付けたまま、いよいよ手術室へ。
ストレッチャーに乗り裸になると不安感が増すが、すぐに励ましの言葉と共に電気毛布が掛けられ、ちょっと落ち着けた。
血圧計、心電図、点滴等を付けていると、CDのリクエストを聞かれたので、B'zを指名。
「子供がB'zのファンですよ」
と言う院長と談笑しながら、硬膜外麻酔の管を入れられる。
思ったより痛くない。
その後マスクを口に。
「ちょっと咳が出ますよ」
と言われて数回咳き込んだら、強制的に眠らされる感覚に襲われた。
「これが摘出した物です」
と言う執刀医の声に、意識が覚醒。
いきなり
「見せて~!」
と絶叫した私に、周りも驚いた様子。
必死に首を伸ばして覗き込むが、まだ目の前がちらついてぼんやりとしか見えなかった。
その後また意識が飛んで、気が付いたら病室だった。
心電図、血圧計、バルスオキシメーター、酸素吸入を付けられている。
点滴はラクテック500ml。
吐き気がして苦しい。
込み上げてくるとお腹の創に響いて大変痛い。
点滴の途中から、直接吐き気止めを入れてもらうと暫くはマシになるのだが、結局一晩で5回もどした。
胃液で真っ茶色。
身体の向きを変えたいが、痛くてうまく出来ない。
一晩中眠れなくて、点滴(止血剤500ml、ポタコールR500ml)が落ちるのを見ていた。
速度が遅くてイライラした。
看護師さんが1~2時間毎に見に来てくれる。
熱が37度後半あり、アイスノン、氷枕を交互に使用。
◆8月6日。
入院3日目(術後1日目)。
朝、心電図、血圧計、酸素吸入、点滴が取れる。
徐々に人間に戻るようで嬉しい。
明け方からお腹が張って、ガスが出た事を報告すると、「それは早い」と言われた。
採血(貧血検査)、血圧、体温測定。
微熱があるのでアイスノンを使用。
お粥等の朝食が出たが、食欲が無く、牛乳だけ飲んだ。
座ると尿管が痛い。
院長来室。
「腹腔鏡と言われて遠くから来てくれているのに、開腹手術になったらどうしようか、とプレッシャーでしたよ。上手くいって本当に良かった」
と満面の笑顔で言われ、初めて手術の成功を実感した。
午前中に尿管を外し、弾性ストッキングも脱ぐ。
「傷も小さいし、外しましょう」
と、明日外す予定だった硬膜外麻酔も取れた。
恐る恐るトイレに行くと、少しお腹に響く感じがする。
手術の為か、出血していた。
午後になって肩が痛くなってきた。
手術時にお腹に入れたガスが上がってきて痛むらしいのだが、とにかく痛い。
腕を回してちょっと体操すると楽になるが、それも数分しか保たないので、ずっと腕を回し続けていた。
◆8月7日。
入院4日目(術後2日目)。
昨夜は入院して初めてぐっすり眠れた。
主治医に
「歩くように、便を出すように」
と言われる。
トイレ時に、お腹の創に響くことを伝えると、薬が処方された。
出した方が楽になるらしい。
散歩がてら売店へ行き、雑誌を買う。
手元には相変わらず「ためして○ッテン」本しかない。
遠い病院に入院した私が悪いのだが、皆忙しいので手術日以降、誰も来ない。
急なことだった為、友人も知らない。
退屈で毎日売店へ行ったが、あまり種類がないのがこの病院の唯一残念なところだった。
午後からビデオを見ながら、手術の説明をしてもらった。
・病名:両側卵巣嚢腫 右卵巣嚢腫茎捻転
・摘出:左右卵巣嚢腫
・子宮内膜症の癒着は殆ど見られなかった。
・生理痛の原因と思われる、左仙骨子宮靱帯を一部切断。
・卵管通水検査では、右卵管の通過性が確認出来たが、左卵管は閉塞している可能性がある。 等。
ビデオは思っていたよりもグロテスクではなかったので、
「是非欲しい!」
と申し出ると、快諾してもらえた。
◆8月8日。
入院5日目(術後3日目)。
昨日の薬(アローゼン)のお陰で、あまり腹圧をかけなくても便通があり、朝からスッキリする。
朝食前に抜鉤。
ニッパーみたいなものでパチンパチンと外していく。
見た目ほど痛くはない。
傷口を固定するシートが貼られた。
傷跡を綺麗にする為のもので、2週間程度で自然に剥がれるらしい。
因みに私は根性で1か月間貼り続け、今、傷跡はそんなに目立ちません。
シャワーの許可が出たので、朝食後、早速シャワー室へ。
夏場で髪の毛がベタベタだったのがスッキリ。
徐々に戻っていくのが本当に嬉しい。
退院日も話し合いの結果、2日後に決まった。
相変わらず食欲がない。
無理して食べていたら、胃が痛くなってもどしてしまった。
看護師さんに相談して、半分の量にしてもらった。
◆8月9日。
入院6日目(術後4日目)。
医師、看護師共にあまり来なくなった。
良くなってきているのだから当たり前だけれど、構ってもらえなくてちょっと寂しい。
午後、退院診察。
内診で器具が入ると少し痛いが、問題無し。
明日の退院が正式に決まる。
◆8月10日。
退院日。
午前中に退院。
ナースセンターに挨拶に行くと、
「ちゃんとご飯食べてね!」
と口々に言われる。
実際、かなり体重は減少していた。
スタッフの方々にとてもとても良くして頂いたので、退院するのが寂しかった。
◆8月20日。
退院後、初の外来。
状態が良いので入浴許可も出た。
◆9月3日。
1か月検診。
異常無いので普通の生活に戻って良し。
生理は早くて10月くらい。
生理開始より、基礎体温表を付ける。
再発の可能性があるので、経過観察は必要、等言われる。
◆9月24日。
早くて10月、と言われていた生理が来た。
最初は少ない人が多いと聞いていたが、初日からかなり量も多いし、下腹部が痛い。
◆12月3日。
年明けに、といわれていた検診。
生理が早く来たので、基礎体温のデータもあるし、排卵痛がするので診てもらう。
卵巣の状態は良いが、筋腫は変わらず。
その上今度は腺筋症の疑いがあるらしい。
性交痛があってSEX出来ないことを伝えると、これ以上のことは病院では無理とのこと。
子供が欲しいなら、と人工授精を勧められた。
何だかショック。
取り敢えず検診も一旦終了。
もし異常があれば、また受診することになる。
■現在(2004年6月)
夫婦で話し合った結果、不妊治療は受けないことにしました。
身体は手術前より良いと思います。
しかし、排卵時・生理時に右卵巣辺りが痛むので、また近いうちに受診する予定です。
超安産だった割に産後の肥立ちが悪く、出血が止まらない。
3か月程通院した後、いきなり内診台の上で押さえ付けられ、子宮内に溜まった血を掻き出される。
あまりの痛みに失神。
しかも中に出来ていたポリープも、何の説明もなく勝手に切除されていた。
二度と産婦人科には行きたくないと決心するも、性交痛、下腹部痛が続くので、2003年2月に思い切って受診。
両側卵巣腫瘍と診断される。
ところがこの病院では、腹腔鏡手術が出来ない、数々のドクハラに遭ったこと等から、転院を決意。
ネットで調べた病院に行ってみると、とても丁寧で好感が持てた。
3月下旬よりスプレキュアの注射開始。
注射は痛いがスタッフの感じが良いので、病院に行くのが毎回楽しみなくらい。
そして8月1日、1クール終了。
◆8月2日。
右下腹部痛が酷い。
◆8月3日。
右下腹部痛+乳房の痛みで起きていられない。
◆8月4日。
入院当日(手術前日)。
あまりに痛いので、受診。
内診されるが凄く痛い。
採血してすぐにMRI検査。
前の病院と比べ、締め付けないし音も静かな上、ヘッドフォンもしていたので、苦痛はなかった(前の病院ではヘッドフォン無しで造影剤も使用した為、検査後、目眩と吐き気で大変な目に。機械によって随分違うことを実感)。
フィルムを見ながら医師と相談するが、痛みも引かないし放っておいても治らない、と言うことで、手術を決意。
早速術前検査(止血検査、心電図、肺活量測定、レントゲン)を行う。
その後一緒に来ていた夫と共に、医師の説明を聞く。
夫は入院準備の為、一旦帰宅。
私は痛みが酷いので病棟へ。
麻酔のこと、家族のこと等聞かれながら、病衣に着替え。
手術部位の除毛、おへその掃除、抗生物質のアレルギーテスト(私には痛かった!)を行う。
その後の入院オリエンテーションが終わり、一人で病室にいると痛みが増してきて、ナースコールするべきか悶々と悩む。
様子を見に来た看護師に痛み止めの座薬を入れてもらって、ようやく落ち着いた(その後翌朝まで痛みは無し)。
夫と実家の母が来てくれた。
入院準備をしてきた筈なのに、足りない物だらけ。
段々イライラしてきた。
痛みを取ってもらおうと気軽な気持ちで病院に行っただけなのに…本当は今頃、今日発売のジャ○プコミックスを読んでる筈だったのに…入院必要物品は揃ってないわ、何故か私の仕事用鞄を持ってくるわ、「ためしてガッ○ン」の本を持ってくるわ…大体入院の差し入れと言ったら漫画に決まっている(私の偏見)やろ!と、ここまで思いが至ったところで怒り爆発。
「ジャ○プ買って来てーっ!」
と叫んで、夫を近くのコンビニまで走らせた。
夕食は常食。
夕食後、明日の手術執刀医が挨拶と説明に来る。
腹腔鏡手術予定だが、開腹になる可能性もあることを、今一度説明される。
9時以降、絶飲食。
夜は悶々として眠れない。
薬もらえば良かった、と後悔。
一晩中、窓の外を眺めていた。
◆8月5日。
入院2日目(手術当日)。
朝一で浣腸。
最近ご飯を食べていないので、あまり出なくて不安になる。
術衣に着替えていると、夫と実母が到着。
「ちゃんと湯飲み持ってきたよv」
と言って夫が差し出した物は、茶碗蒸しの器だった…。
蓋付きの物を、と気を利かせたつもりらしいが、手術前に笑い殺す気かっ!!
その後、右手首から留置針(太くて痛い)を入れて点滴(ラクテック500ml、ポタコールR500ml、生理食塩水100ml)。
その間、執刀医、オペ看、看護師長と続々と挨拶に来られ、術前であることを実感する。
ポタコールRを付けたまま、いよいよ手術室へ。
ストレッチャーに乗り裸になると不安感が増すが、すぐに励ましの言葉と共に電気毛布が掛けられ、ちょっと落ち着けた。
血圧計、心電図、点滴等を付けていると、CDのリクエストを聞かれたので、B'zを指名。
「子供がB'zのファンですよ」
と言う院長と談笑しながら、硬膜外麻酔の管を入れられる。
思ったより痛くない。
その後マスクを口に。
「ちょっと咳が出ますよ」
と言われて数回咳き込んだら、強制的に眠らされる感覚に襲われた。
「これが摘出した物です」
と言う執刀医の声に、意識が覚醒。
いきなり
「見せて~!」
と絶叫した私に、周りも驚いた様子。
必死に首を伸ばして覗き込むが、まだ目の前がちらついてぼんやりとしか見えなかった。
その後また意識が飛んで、気が付いたら病室だった。
心電図、血圧計、バルスオキシメーター、酸素吸入を付けられている。
点滴はラクテック500ml。
吐き気がして苦しい。
込み上げてくるとお腹の創に響いて大変痛い。
点滴の途中から、直接吐き気止めを入れてもらうと暫くはマシになるのだが、結局一晩で5回もどした。
胃液で真っ茶色。
身体の向きを変えたいが、痛くてうまく出来ない。
一晩中眠れなくて、点滴(止血剤500ml、ポタコールR500ml)が落ちるのを見ていた。
速度が遅くてイライラした。
看護師さんが1~2時間毎に見に来てくれる。
熱が37度後半あり、アイスノン、氷枕を交互に使用。
◆8月6日。
入院3日目(術後1日目)。
朝、心電図、血圧計、酸素吸入、点滴が取れる。
徐々に人間に戻るようで嬉しい。
明け方からお腹が張って、ガスが出た事を報告すると、「それは早い」と言われた。
採血(貧血検査)、血圧、体温測定。
微熱があるのでアイスノンを使用。
お粥等の朝食が出たが、食欲が無く、牛乳だけ飲んだ。
座ると尿管が痛い。
院長来室。
「腹腔鏡と言われて遠くから来てくれているのに、開腹手術になったらどうしようか、とプレッシャーでしたよ。上手くいって本当に良かった」
と満面の笑顔で言われ、初めて手術の成功を実感した。
午前中に尿管を外し、弾性ストッキングも脱ぐ。
「傷も小さいし、外しましょう」
と、明日外す予定だった硬膜外麻酔も取れた。
恐る恐るトイレに行くと、少しお腹に響く感じがする。
手術の為か、出血していた。
午後になって肩が痛くなってきた。
手術時にお腹に入れたガスが上がってきて痛むらしいのだが、とにかく痛い。
腕を回してちょっと体操すると楽になるが、それも数分しか保たないので、ずっと腕を回し続けていた。
◆8月7日。
入院4日目(術後2日目)。
昨夜は入院して初めてぐっすり眠れた。
主治医に
「歩くように、便を出すように」
と言われる。
トイレ時に、お腹の創に響くことを伝えると、薬が処方された。
出した方が楽になるらしい。
散歩がてら売店へ行き、雑誌を買う。
手元には相変わらず「ためして○ッテン」本しかない。
遠い病院に入院した私が悪いのだが、皆忙しいので手術日以降、誰も来ない。
急なことだった為、友人も知らない。
退屈で毎日売店へ行ったが、あまり種類がないのがこの病院の唯一残念なところだった。
午後からビデオを見ながら、手術の説明をしてもらった。
・病名:両側卵巣嚢腫 右卵巣嚢腫茎捻転
・摘出:左右卵巣嚢腫
・子宮内膜症の癒着は殆ど見られなかった。
・生理痛の原因と思われる、左仙骨子宮靱帯を一部切断。
・卵管通水検査では、右卵管の通過性が確認出来たが、左卵管は閉塞している可能性がある。 等。
ビデオは思っていたよりもグロテスクではなかったので、
「是非欲しい!」
と申し出ると、快諾してもらえた。
◆8月8日。
入院5日目(術後3日目)。
昨日の薬(アローゼン)のお陰で、あまり腹圧をかけなくても便通があり、朝からスッキリする。
朝食前に抜鉤。
ニッパーみたいなものでパチンパチンと外していく。
見た目ほど痛くはない。
傷口を固定するシートが貼られた。
傷跡を綺麗にする為のもので、2週間程度で自然に剥がれるらしい。
因みに私は根性で1か月間貼り続け、今、傷跡はそんなに目立ちません。
シャワーの許可が出たので、朝食後、早速シャワー室へ。
夏場で髪の毛がベタベタだったのがスッキリ。
徐々に戻っていくのが本当に嬉しい。
退院日も話し合いの結果、2日後に決まった。
相変わらず食欲がない。
無理して食べていたら、胃が痛くなってもどしてしまった。
看護師さんに相談して、半分の量にしてもらった。
◆8月9日。
入院6日目(術後4日目)。
医師、看護師共にあまり来なくなった。
良くなってきているのだから当たり前だけれど、構ってもらえなくてちょっと寂しい。
午後、退院診察。
内診で器具が入ると少し痛いが、問題無し。
明日の退院が正式に決まる。
◆8月10日。
退院日。
午前中に退院。
ナースセンターに挨拶に行くと、
「ちゃんとご飯食べてね!」
と口々に言われる。
実際、かなり体重は減少していた。
スタッフの方々にとてもとても良くして頂いたので、退院するのが寂しかった。
◆8月20日。
退院後、初の外来。
状態が良いので入浴許可も出た。
◆9月3日。
1か月検診。
異常無いので普通の生活に戻って良し。
生理は早くて10月くらい。
生理開始より、基礎体温表を付ける。
再発の可能性があるので、経過観察は必要、等言われる。
◆9月24日。
早くて10月、と言われていた生理が来た。
最初は少ない人が多いと聞いていたが、初日からかなり量も多いし、下腹部が痛い。
◆12月3日。
年明けに、といわれていた検診。
生理が早く来たので、基礎体温のデータもあるし、排卵痛がするので診てもらう。
卵巣の状態は良いが、筋腫は変わらず。
その上今度は腺筋症の疑いがあるらしい。
性交痛があってSEX出来ないことを伝えると、これ以上のことは病院では無理とのこと。
子供が欲しいなら、と人工授精を勧められた。
何だかショック。
取り敢えず検診も一旦終了。
もし異常があれば、また受診することになる。
■現在(2004年6月)
夫婦で話し合った結果、不妊治療は受けないことにしました。
身体は手術前より良いと思います。
しかし、排卵時・生理時に右卵巣辺りが痛むので、また近いうちに受診する予定です。