えりりさんの場合 (腹腔鏡手術)
2007.00.00
 私は20代後半です。
 生理痛は今思えば年々ひどくなっていたのかもしれません。
 ただ、薬を飲めば痛みは治まるし、歳も若くなくなってきたし‥なんて思っていました。

 もともと3年程前に右側の下腹部にぽこっしたものがあるのが妙に気になり近所の産婦人科を受診していました。
 そこでは右の卵巣に水がたまっているが、良性だし3センチなので大丈夫とのこと。
 その後、1年に1回~2回ほどは受診していましたが、少しずつ卵巣は大きくなってはいましたが毎回同じことを言われていました。
 一度だけ紹介状を書いてもらいましたが、腰痛などがつらければこれは思い切って手術したほうがいいですよ。というだけでしたので、それだけのことで手術をすることは考えられなくあまり気にもとめず毎日を過ごしていました。

 しかし、今年の8月の生理が少しいつもと違ったのです。生理の数日前からものすごくお腹が痛く、生理中よりも生理が終わったあとのほうが、痛く鈍痛がひびいていました。
 そこで、いつもの産婦人科に行き同じことを言われました。ただ今回はこの痛みは普通ではないと感じていたし、なんだか嫌な予感もしました。
 でも、右の卵巣の水を抜くだけだろうと思い新たに書いてもらった紹介状を持って総合病院に行きました。

8月15日
 紹介状を持って、総合病院の産婦人科に受診しました。
 紹介状と右の卵巣のエコーの写真を先生にみてもらいました。
 これが私の主治医との出会いです。
 私の話をひととおり聞いたあとすぐに内診しました。
 内診してすぐに先生は「生理痛ひどい?」と聞きました。私は嫌~な予感がしましたが、「まあ一日目は薬を飲みますけど‥」と答えると、先生はあっさり「内膜症だね。」と言いました。
 内診が終わり、子宮内膜症という病名、完治しない病気、右の卵巣は水ではなく血液‥癒着もしているなど頭が真っ白になるようなことを言われました。
 内膜症を確定するのは、MRIだということでMRIと採血の予約をしました。
 家に帰って放心状態のままネットで調べまくりました。調べては涙、涙‥。
 食事もろくにできず、その日から母と一緒に寝てもらいました。

8月20日
 MRIと採血のため病院に行きました。
 MRIは初めてでしたがあの音と空間で気が滅入りそうになりました。
 このときも毎日落ち込み、会社の通勤中の車の中で行き帰りとも泣きながら運転しました。
 仕事中も家でもなんだかんだよく泣いていました。

8月25日
 セカンドオピニオンを求めて別の病院を受診しました。
 そこの病院は不妊治療にとても力を入れている病院でした。卵巣嚢腫も実績がありネットで見る限りいい病院にも思いました。
 内膜症と診断され、MRIを撮ったことを伝え内診したところ、左右癒着があること、右の卵巣の嚢腫があることなどがわかりました。
 私自身「えっ右じゃなくて左も!?」などと思い、とても混乱し「両卵巣ともなんて」‥と落ち込みました。
 手術はした方がいいが予約が3月になるので、それまでは生理を止める注射を半年することを言われました。
「3月かぁ半年過ぎだし、こんな体のまま年を越すのも嫌だなぁ」と思いましたが手術の予約と注射の説明を受けて帰宅しました。
 帰宅してからは、どちらの卵巣が悪いのかよくわからないことと、この病院でもいいことは言われなかったので落ち込みまた泣いていました。
 生理は来週中には来るからいよいよ注射が始まるなぁと漠然とした覚悟を決めたのは覚えています。

8月27日
 総合病院でMRIと血液検査の結果を聞きに母と病院へ行きました。
 内診の結果とは違い、どうやら左に血液の卵巣嚢腫だと言うことを言われました。右は水だけどたぶんなんともないとも言われました。
 ただ、MRIで見る限り先生も「左の卵巣が右よりに寄ってる感じがする‥だからこっちが左でこっちが右で‥」と首を傾げながら、たぶんたぶんと何度も言っていました。
 私は3つの病院に行って3人の先生が言ってることが違うのでまた混乱しました。
このとき私は先生に「病気がわかってものすごいショックで私なりにいろいろ調べていくつか質問があります。答えてもらえますか?」泣きながら聞き、先生は私の質問に答えてくれました。
 私が聞いた質問は、卵巣がんの可能性、筋腫の有無、腺筋症の有無、血液検査の結果などです。
 先生は「手術はした方がいいけど、半年注射をしてから手術をするか、手術をしてから注射をするかは私の判断に任せる」と言いました。
 私は迷いましたが、左の卵巣が破裂する可能性がゼロでないことから手術を先にすることに決めました。
 しかも25日に行った病院は半年待ちでしたがこの病院では1ケ月後9月27日にできるということでした。
 手術を決めて診察が終わるときには言いようのない安堵感で包まれて今までとは違う涙を流していました。
 完治しない病気だけど、なんだか元に戻れる気がして病気が発覚後初めてホッとして安心しました。
 夜、熟睡できるようになったのもこの日からです。
 次の日には25日に受診した病院に電話をして手術のキャンセルをしました。もちろん注射も打ちに行きませんでした。

9月5日
 手術前の検査をするため病院に行きました。
 血液はエイズ検査を含め、5本採血しました。他に胸部のレントゲン、尿検査、心電図、肺活量などを調べました。
 このときはいろいろ検査をしているときに「なんで私だけが‥」とか悲観的にまだとらえてた部分があり何度か涙ぐんでいました。
 検査は終わって外来で内診した結果、先生は「MRIの結果と同じだ。左は卵巣嚢腫、右は今は水もない」とのこと。
 何年も右の卵巣の水が気になって病院に行っていたのに右は水もない‥なんてとまたまた混乱し複雑な気持ちになりました。

9月12日
 手術前のお話ということで病院に行きました‥が、家族も同席しないといけないということで詳しい話はしてもらえませんでした。
 しかし、一通りして欲しいと伝えたところ左の卵巣を摘出する可能性がゼロではないこと、予定では腹腔鏡手術だけども開腹に切り替わる可能性もあることなどなど。簡単に説明してくれました。
 私がまたいくつか質問して「不妊症になりやすいんですよね‥」と言うと先生は「できるだけ早く妊娠すること」と何度も言いました。
 恋人も婚約者もいない今の私には到底無理なことで、どうすることもできないやるせない気持ちでいっぱいになりまた落ち込んでしまいました。

9月19日
 母と改めて手術の説明を受けました。なんでも家族が同席しないと後々何かあったときに「言った、言わない」言い争いになるとのことでした。
 手術は2時間~2時間半で麻酔を含めると4時間。麻酔は全身麻酔で27日の午後からの予定。次の日から水も飲めるし、昼過ぎからは歩くこと。
 手術は左に5ミリ、下腹に3センチ、おへその中に1センチ切る予定だけど開腹の可能性もあること。卵巣、卵管はもちろん残す予定だけど絶対ではないことなどなど。
 とにかくお腹を開けてみないとわからないし、全てのことを絶対と言い切ることができないことを感じました。
 手術の内容は、左の卵巣から溜まった血を抜いてその部分の袋を切り取り、癒着や病巣をレーザーで焼く。
 そして少しでも再発の癒着を遅らせるために体内にシートを貼る。それからこれは私の希望で卵管が通ってるか通水検査をお願いしました。
 5日の検査の結果、これといった病気はないのでいつでも手術はできると言われました。
 このときも、なんだか自分のことではないみたいだし、こんなことになった自分がかわいそうで泣いてしまいました。
 帰りに看護婦さんから入院の説明を受けて、先生に診断書を書いてもらい帰りました。

9月26日【入院 / 手術前日】
 看護婦さんから病棟の説明を受けて、病室を案内されました。
 病室はエレベータからすぐでしたが、トイレがとても遠く術後を考えると心配になりましたが、これは歩行の訓練になるからいいのかもと思いました。
 お昼ごはんを食べてしばらくすると手術室の看護婦さんが”手術についてのご説明”という冊子を持って説明をしてくれました。
 冊子を見ると、脊髄に麻酔を打つなど怖いことが書かれており、なんども「痛いですか?」と聞いていました。
 その後、麻酔科の先生も来てなおも脊髄の麻酔のことも聞いて「怖い」などと言い、少々困らせてしまいました。
 半分ぐらいの人は病室で肩に打つ注射で意識がなくなると言われ、私もそのタイプだといいなぁと思いました。
 主治医の先生は2度ほど顔を出してくれて明日の手術が12時半になったことを伝えてくれました。
 19時ぐらいに剃毛してシャワーを浴びました。
 この日はぐっすり眠りたかったので先生にお願いして睡眠誘導剤をもらいました。
 しかし、夜中に同じ病室に急患が運ばれてきてしまい、その騒動で結局あまり眠れず朝を迎えました。

9月27日【手術当日】
 夜中の12時から絶食でしたが、水は朝6時までだったので起きてすぐにひとくち水を飲みました。
 前日、下剤をもらい飲んでいたので朝トイレに行きましたが、そこまでお腹は痛くはありませんでした。
10時すぎ
 浣腸をしました。下剤と違いとてもお腹が痛くなりました。看護婦さんから5分は我慢するように言われましたが1分ぐらいでギブアップ。
 お腹も痛くてトイレにしばらくこもっていましたが、ちゃんと出たか確認するので出たらトイレから看護婦さんを呼ぶように言われていましたので、呼び出しボタンを押して便器を見て確認してもらいました。こんなことする病院は珍しいと思います。
10時半
 手術着に着替えいよいよだなぁと妙な緊張が高まりました。
 そして点滴を開始しました。採血もそうですが、私の腕は血管がわかりづらいので看護婦さんも悪戦苦闘して別の看護婦さんが3回目にしてやっと針が入りました。
 点滴の針は普通の針を違って少し太いのでできれば1回で入って欲しいものです。
11時半
 肩に注射をしました。この注射は、気持ちを落ち着かせたり、麻酔や手術に必要なものだそうです。
 この注射は移動用のストレッチャーのようなベットに横になって注射されました。
 看護婦さんに「チクッとします」と言われたとおり普通の注射より痛く母に「痛~い。痛かったぁ」と言いました。
 この「痛かったぁ」と言ったのが手術前の最後の記憶になりました。
 この後は手術が終わり病室に戻ってくるまで記憶がありませんでした。
 私は記憶がありませんが、母と看護婦さんに頑張ってと見送られ、私もうなづいていたそうです。

 今思い返すと断片的にいくつかの記憶がありますが、それが手術室の中なのかもわからないとても曖昧な記憶です。
 手術室に入るときに窓を見たこと、先生に頬をたたかれ「終わったよ!」と言われたこと、看護婦さんの手をぎゅうっと握りしめたことなどです。

16時半
 気が付いたときには全身管だらけで、その苦しさで目が覚めました。覚めたと言っても意識は朦朧としていました。
 父が「よく頑張った。よく頑張った。」と連呼していました。このときに母に「今何時?」とかすれ声で聞いたところ「16じ半だよ」という返事でした。
 その後、時間はわかりませんが先生(主治医でもあり執刀医でもあります)が見に来てくれて「管が苦しい‥」と訴えると「20時になったら取ってあげる」と言われました。母からは腹腔鏡で手術が成功して全ての臓器が温存されたことも聞きました。

19時半すぎ~夜中
 20時までは我慢しようと思いましたが、我慢ができず20時前にナースコールで看護婦さんを呼び鼻の管を抜いてもらいました。
 鼻には胃まで通じてる管、口には酸素、右腕には点滴、左の二の腕には血圧、左の指に脈、両脚に血栓防止のためエアーマッサージ機、そして尿管。
 鼻の管は抜くときにとても変な感じがして気持ち悪かったです。酸素はもう少しと言われましたが、酸素も左腕の血圧や脈も足のマッサージ機も22時ぐらいには外してもらいました。
 背中には脊髄からいれた薬が手術後も入っており、これが痛み止めでお腹はあまり痛くありませんでした。ただこの痛み止めが吐き気をもよおしました。
 夜中は吐くものがないにもかかわらず、たまに吐き気に襲われ胃液や唾液を吐いていました。口が気持ち悪くなると、うがいをさせてもらっていました。
 術後すぐはすこし寒気がありましたがこの頃は寒気はありませんでしたが、気分は悪かったので氷枕をもらいました。これはよく効き吐き気も落ち着き少し楽になりました。
 手術当日ということで、術後は1時間おきに看護婦さんが様子を見に来てくれました。

明け方
 おそらく4時ぐらいだと思いますが、氷枕が効かなくなり吐き気がピークに達しました。
 寝ているとどうしても気持ち悪く、傷も心配でしたが、寝ているのが嫌で嫌で自力で起き上がりました。
 これはとても痛かったです。おそらく3センチ切った下腹が一番痛かったのだと思います。
 起き上がった瞬間は、全身麻酔のせいで頭がぐるんぐるんとして、吐き気が襲い私が「オエッ」としていると看護婦さんが受け皿をくれました。
 この時おそらく胃液を出したと思いますが、これで吐き気はおさまりました。
 看護婦さんに寝ていると吐き気がするので起きていたいと伝えるをベットをすこし上げてもらいました。
 そしてうとうとして朝を迎えました。

9月28日【術後1日目】
 朝起きてすぐに水を飲みました。人口呼吸器のせいで喉がとても痛く、水を飲んだあとのど飴を舐めました。
 これがどうも胃に刺激を与えたらしくこの後しばらく胃がとても痛みました。
 午前中に一度主治医が様子を見に来てくれました。その後回診があり傷口のシートを変えていました。
 透明なシートを貼られましたが結局これは抜糸まで貼ったままで消毒は一度もしませんでした。
 麻酔科の先生も来てくれて脊髄に注射を打ったときの話を聞きましたが、全然痛がってなかったとのこと。
 そして手術は1時間45分だったことも教えてもらいました。
 お昼に5分粥が出ましが、お粥がもともと苦手なのでおかずや味噌汁を少しだけ食べました。
 夜ご飯は7分粥でしたが、お粥もおかずも食べませんでした。
 昼過ぎがらは尿管を外してもらい少しずつ病棟を歩いていました。
 しかし尿意が戻らず、寝るまでに結局2回、内診室で尿管をまたつけて尿を出してもらいました。

9月29日【術後2日目】
 自分で排尿したかったので朝起きてすぐに自販機でコーヒーを買いに行き一気に飲み干しました。
 看護婦さんから出た尿を計るように言われましたが、計ろうとすると強迫観念にかられ全く出ませんでした。
 この日の昼近くになっても結局、尿意がもどらず先生は脊髄の痛み止めを外すと言いました。
 痛み止めなので外したくないと言うと、もし痛みが出たら飲み薬を出すと言われ、 背中の薬は外されました。この日もちょこちょこ病棟を歩いていました。
 少しずつ尿は出るようになりましたが出終わると膀胱がしぼむように痛かったです。
 この痛みはだんだん回数ごとに和らぎましたが退院するまで続きました。
 計った尿を用紙に自分で記録するのですが、私は計らずに用紙にはだいたいこれぐらいだろうと適当に書いていました。
 傷口の痛みはたいしてないものの、ベットが狭いからなのか肩こりがひどくなり電子レンジ用の湯たんぽやシップなどをもらいました。
 この肩こりは2~3日続きとても辛かったです。

9月29日【術後3日目】
 この日の夜にようやく点滴が外れました。結局12本打ちました。
 これで右手も開放されてすごくうれしかったです。
 この頃、回診の先生があまりにも私が睡眠不足のためまた誘導剤を出してくれました。
 まわりのいびきがすごく毎日ほとんど寝てなかったので助かりました。量を調整しながら退院まで飲んで眠りについていました。

10月1日【術後4日目】
 この日に主治医の先生から手術の話をしてもらいました。
 内膜症としては軽度で癒着は左の嚢腫の部分の1ケ所だけで、他には癒着はなく、子宮のまわりにも病巣もほとんどなかったこと、癒着の部分には体内に溶けるシートを張ったこと、左の卵巣はほとんど残ったこと、右の卵巣は異常がなかったことを聞きました。
 私は、軽度と聞き「正直このタイミングに手術に踏み切ってよかったのかと考えてしまいました」と言いましたが、先生は「左の卵巣をほとんど残せたのでこの時期でよかったと思う。もちろんこれぐらいだと手術はぜずにという人も多いけど。」と、言ってました。それから今後の治療は予定では注射を半年間打ってさらに病巣を叩くとのことでしたが、 先生はひとまず様子見で行こうとのこと。私が打ちたいのであれば打てばいいけど打たなくてもいいとのこと。
 私もできれば打ちたくはなかったので一安心しました。

10月2日【術後5日目】
 前日に階段を登り降りしたせいで足が筋肉痛になりました。入院してからたいして動いてなかったので体力が落ちていることを実感しました。
 この日からなるべくエレベーターは使わず、階段を使い売店に行くようになりました。

10月3日【術後6日目】
 無事に抜糸が終わり、明日の退院が決まりました。傷口は目立つといか目立たないというかこんなもんかなぁという感じでした。
 私はホッチキスのようなもので止めてあると思っていたので術後に黒い糸を見たときに正直「えっ縫ったの‥傷が目立つかも」と思っていました。
 抜糸はたいして痛みもなくその後はガーゼを貼られました。

10月4日【術後7日目】
 主治医に傷口を見てもらい「帰ろう」とのお言葉を頂き無事退院しました。
 自宅に帰って荷物を整理していると少しだるくなり体力が落ちていることを痛感しました。

 その後、10日程自宅静養して10月15日から職場復帰しました。

 余談になりますが‥これは手術中にわかったことですが私の子宮が奇形だったのです。
 卵管の検査では右は通っていませんでした。(左は通っていました。)
 右に副角子宮があるそうです。手術中に最初は気にならなかったそうですが手術を進めていくうちに「あれ?」と先生は思ったそうです。
 ですので、普通の人より子宮の中が狭いかもしれませんし、流産、早産、逆子、帝王切開の可能性があるそうです。
 内膜症でなのにさらに子宮奇形まで見つかり術後はなんとも言えない複雑な気持ちになりました。
 今もその気持ちは正直続いています。先生にも内膜症よりもショックとも伝えました。
 内膜症は完治しないけど奇形はもっとどうすることもできないのです。
 将来妊娠しても素直に喜ぶことはできないと思います。ちゃんと産んでこの手に抱くまでは心から喜ぶことはできないと思います。
 だけど、先生は妊娠はできると言ってくれたのでいつかの未来を信じて希望を捨てずにいたいとは思っています。
2007.00.00 00:00 | 固定リンク | 体験談

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