体 験 談
さくやさんの場合 (開腹手術)
手術を行ったのは、今から3年半前の2000年の2月、24歳の時でした。
異変が始まったのは手術の5日前です。
会社での会議中に気が付きました。
やたらと耳が聞こえづらいのです。
これでは仕事にも差し支えると思って、早退して耳鼻科に行きました。
でも、特にこれといった異常もなく、突発性難聴と診断されました。
薬ももらいましたが、あまり効果はありませんでした。
この突発性難聴は術後も2、3ヶ月間に渡って続きましたが、始まった時と同じく唐突に終わりました。
原因は今でも不明です。
が、その後腸に細菌が入り込んで下痢と嘔吐に心底苦しんだときに1度発現しました。
どうやら、私にとっての危険信号だったらしいです。
ただ本当に治療が必要な部分を知らせることには全く役にたっていない方法で危険を知らせるのは、体の持ち主と同じでひねくれてるからなのかでしょうか…(苦笑)
そして、下腹部の痛みは土曜日の夕方、買い物中から始まりました。
ただ、それ程激しい痛みでもなく、丁度生理の予定日が近かったので生理痛かと思ったのですが、それとも違うような痛みで、
「今まで経験したことない嫌な感じのする痛みだな」
くらいにしかその時には思いませんでした。
買い物から帰って、食事はとったものの痛みは引かず、着替えて布団に横になっていました。
たまにうとうとしていたのですが、ますます痛みは増すばかり。
トイレへいっても激しい排尿痛までありました。
これはもうどうしようもないと判断したのは既に日付が変わる頃でした。
救急車を呼んで(携帯しかなかったので、つながった場所が私の住む地域の管轄の消防署ではなく、別の所だったので、しばし待たされることになりましたが)、さて支度をしようとすると動いただけで激痛が。
当時の私は一人暮らしでした。
なんとか着替えて、財布と保険証を持って、戸締まりをして待つこと10分位。救急車が到着。
救急隊員の方が家に来る前に、家を出て鍵を閉めて、救急車へと歩いて移動しました。
(本当は激痛をこらえるのに精一杯だったので、ストレッチャーに乗せてもらいたかったのですが、アパートの2階で狭い外階段しかなく、おまけに私は標準体重をかなり超えていましたので、救急隊員の方に苦労して運んで頂くのも申し訳ないと思ったので、自分で移動しました。
この話をすると大抵笑われるか、呆れられます。人間、最後は気力でどうにかなるものですよね 笑)
病院への搬送中は、本当に苦しかったです。
それまでじっと横になっていたので分からなかったのですが、振動がお腹に響くんです。
猛烈な吐き気と下腹部痛を我慢すること15分程。病院に到着。
すぐに当直の医者にみてもらったのですが、少し触られるだけで吐き気と痛みで涙目になる始末。
既に深夜1時。
当直医はろくに検査もせず、場所が下腹部なので、消化器系か婦人科系か判断できない、とりあえず入院するか帰るか判断してくれと言われました。
(多分、当直医の担当が内科でも産婦人科でもなかったのでしょうが、今思えば乱暴な判断ですよね)
帰っても薬ももらってない以上痛みが治まるわけもなく、既に痛み始めて6時間以上たっているのに痛みは増すばかりで、おまけに一人暮らしじゃいざという時に誰にも助けてもらえないと思った私は、入院することを選択しました。
救急車を呼ぶ前に実家には電話で病院へ行くことを話していたので、この時点で心配した母親から携帯に電話がはいり、入院することを告げるととにかく朝一番の飛行機でこちらにくると言いました。
この日の関東地方の天候は予報では雪。
四国から来る飛行機が飛ぶかどうかは不明でした。
この時もまだそれ程大事とは思ってなかった私は、母親がわざわざ来るという言葉の方に驚き、 なんとか自分で頑張れると返事をしたのですが、
「入院するなら世話をする人が絶対必要!」
という母親の意見に押し切られる格好でその時は電話を切りました。
自分の意見を押し通して断っていたらと思うと、今でもちょっと怖くなりますが…。
その後、看護婦さん達にストレッチャーで運ばれたのはどうやら内科入院患者さん達の部屋のようでした。
そこで、しばらく寝かされていたのですが、激痛のために当然眠れるはずもなく、ひたすら我慢していました。
そのうち、また看護婦さん達に呼ばれ、車椅子に乗せられて移動することに。
どうやら産婦人科の担当医に連絡がついたらしく、これから診察してもらうことになりました。
深夜、激痛と寒さで震えながら移動した病院の真っ暗な長く続く廊下は今でも鮮明に思い出します。
そこで初めて受けることになった婦人科の検査。
あの独特の診察用の椅子を見た時には目眩がしました。
周りには担当医の他に2、3人の看護婦さんがいて、膣の中で指が移動する度に吐き気と激痛のため、のたうちまわる私を押さえつけていました。
診察を終えた途端に吐き気は限界を超えて手近にあった洗面台で泣きながらひとしきり吐いた後、診断結果も何も告げられずに婦人科の入院患者用の個室に移動して休むように言われました。
痛み止めの注射をしてもらって、点滴をうけたのですが、痛みは相変わらず。
トイレに行きたくても、すぐ足元に用意してもらった簡易トイレに移動するのでさえ苦労しました。
なんとか起きあがり、激しい排尿痛を我慢しながらトイレを済ましました。
痛みが限界になって、ナースコールで看護婦さんを呼んで痛み止めの座薬を追加してもらい、なんとか明け方にうとうとしたように思います。
朝、看護婦さんに言われたことは
「手術のために毛をそりますね」
という言葉でした。
「手術なんて聞いてない、診断結果も何も知らない」
と言うと、
「あれ?先生言い忘れたのかな」
との答え。
おい、それはちょっと待て!と盛大につっこみをいれたのは言うまでもありません。
痛いので心の中で、ですが。
それから暫くして担当医が現れ、両方の卵巣がかなり腫れていて、通常は親指程の大きさであるはずの卵巣が握り拳大くらいになっている、という説明で、今日は日曜日で本来手術はできないが月曜日まで延ばすこともできないくらい状況は悪い、即刻昼すぎには手術を行うと言われました。
手術同意書に家族のサインが必要とかで、とにかく母親の到着を待ちました。
雪は幸い降らなかったのですが、強風のため飛行機が若干遅れ、母親が病院に到着したのは、お昼前でした。
携帯をもっていなかった母親へ私から連絡をいれることもできず、いきなり手術することになったと聞かされて呆然としていました。
とにもかくにも同意書にサインし、手術が始まったのはそれから間もなくで、私が手術すると聞かされてからわずか2、3時間しかなかったと思います。
心の準備なんてする時間もありませんでした。
背中を丸めて脊椎にめちゃくちゃ痛い麻酔注射をうって(3本位うったと思います)、手術が始まりました。
ですが、私は全身麻酔ではなく、局部麻酔だったのです。
なので、手術中の担当医の話も全て聞えましたし、血を機械で吸い取る音や縫い合わせる糸で内臓が引っ張られる感覚もありました。
「癒着が酷い」
「卵巣の腫れも酷い」
などという言葉を聞きながらの手術というのは、はっきり言ってあまりいい気分のするものではありません。
酷いといわれても私自身が望んで起こした症状というわけでもありませんし、この手術台を上からみたら内臓を開いたまさにまな板の上の鯉状態なんだろうなと想像しただけでゾッとしました。
手術中はとにかく腰が痛かったです。
多分手術用のベッドが硬かったせいなのだと思います。
仰向けで手術を受けているわけですから腰をもんでもらおうにもどうにもならず、最後はほとんど泣きが入っていたように思います。
手術の時間は母親によると2時間位だったそうです。
手術後に腹部を縫合したはずですが、そこまでの記憶はありません。
ただぼんやり思い出すのは、人の話し声がしたことと手がふっと暖かかくなったことです。
恐らく、病室に戻ってきた私の手を母が黙って握っていてくれたのでしょう。
目が覚めたのはその日の夕方でした。
翌日の朝、会社に病気のため休むことを連絡してもらうことと、入院に必要なものを用意してもらうことを母親に頼んで、その日は私の家に帰ってもらうことにしました。
翌日、母親が上司に電話した時にはちょっとした騒ぎになったようです。
当時、私は入社1年目で10月に本配属されたばかりでした。
配属された先の部署というのが、バグだらけの欠陥パッケージソフトウェアを販売して多数のクレームユーザーを抱えた会社でも悪名高い部署で、ろくに指導もされず事情も分からないままひっきりなしにかかってくるユーザーへのクレーム対応と果てのないシステム検収で連日帰りは終電に駆込むような生活をしていました。
私の場合はチョコレート嚢腫もあったので、恐らく会社のストレスだけが原因ではなくかなり以前から症状がすすんでいたと思うのですが、会社では新入社員に倒れるほど無茶をさせたと上司が非難されたようなのです。
会社から病院に連絡した時に「面会謝絶です」と言われたことも騒ぎに拍車をかけました。
復帰後に先輩にその時の様子を聞いて、私の方が驚いたくらいです。
でも、当時2000年問題もあって正月休みも取れませんでしたし、休日出勤も珍しくなかったので、強制とはいえ休みをとることは体力的には正直ホッとしたのですが、精神的には辛かったです。
仕事の都合も何もかもぶっちぎって休んでしまいましたし、私以上に不眠不休で働いている先輩方に迷惑をかけていることを思うと申し訳なかったからです。
食事がだされたのは、手術後2日目くらいだったと思います。
点滴で栄養補給はしていたかもしれないのですが、水を飲むことも禁止されていましたし、とにかくお腹が空いて胃が痛くなるくらいでした。
最初にだされた食事は重湯。
いくらお腹がすいていてもそれ程食べられるものでもありません。
(おまけに数日間重湯だけの食事が続きました)
ちなみに、フランス留学中に子宮筋腫で腹腔鏡手術を受けた友達の最初の食事はフランスパンにジャムとカフェオレだったそうです。
これもお国によって違うのでしょうね。さすがフランス。
でも、私はフランス語はおろか、英語もしゃべれないので、外国で手術を受けるなんて考えただけで倒れそうですが。(笑)
術後すぐに生理がはじまりました。
量はとても少なくて、4日位で終わったと思いますが、2、3日は動くのが辛かったので、トイレでナプキンを取りかえるのに苦労した覚えがあります。
傷はおへその下から15cmくらいあるでしょうか。
皮下脂肪の厚い私は「縫合してもくっつきにくいから」という理由で、まるで魚の骨のような形状の縫合をされていました。(泣)
傷を初めて見たときは、かなりショックでした。
今はそれ程目立ちませんが、よく見れば縫合時の針の跡が残っています。
傷口を押さえたガーゼを安定させるために貼るテープも人によってかぶれたりするので、何種類かを貼ってチェックするパッチテストを行う病院もあるみたいなのですが、私の場合は皮膚が弱いにも関わらず何のチェックもされず、同じ部分にテープを張られつづけた結果、かぶれて水ぶくれができるまでになってしまいました。
今でもうっすらその水ぶくれがあった場所には跡が残っています。
結局、私の場合は「両側とも子宮内膜症および右卵巣破裂」と診断されました。
それも癒着が酷い4期でした。
独身で子供もいないことを配慮され、両側とも卵巣は削っただけで保存してもらえました。
病理検査にまわすため、私自身は取り除いた患部を見ることはできませんでしたが、母は見せられたそうです。
退院直前に抜糸をして、丁度2週間で退院しました。
私の家から交通事情のよくない国立病院に運ばれてしまったので、毎日自転車で通う母親は大変でした。
術後も約半年に渡って生理を止めるために、月に1回やたらと痛くて料金の高い注射を打たなければならなかった(薬剤名は忘れてしまいました)のですが、交通事情の悪さに会社の近くの総合病院に転院したくらいです。
この注射をうつと、体感温度が確実に何度か上がります。
夏まで続いたので、スーツを着て客先に行かなければならなかったことも多かった私は、汗のための化粧くずれに悩まされました。
先ほど書いた通り、仕事が気になっていた私は退院後12日で職場復帰しました。
が、3日でダウンしました。
自分では大丈夫と判断して復帰したのですが、開腹手術は想像以上に体力を削り、普通の生活は負担がかかりました。
通勤は、朝は始発駅だったので座れるのですが、帰りはラッシュにもまれて立っているのがやっとでしたし、会社でも自分の席から3m先にあるプリンタまでの往復をするだけで足がふらつきました。
結局更に2週間お休みをもらい、(手術してから数えると1月半お休みをもらいました)復帰してからも1週間朝、夕1時間短縮してもらって様子をみさせてもらいました。
私の場合は場合だけに社内全部に知れ渡ってしまったので、復帰後関係ない部署の方からも労わってもらい、手術や病気に関して嫌な思いをすることはありませんでした。
また、私を直接指導する立場にあった女性の先輩も婦人科系の病気で苦しんでいたので、とても親身になって相談にのってもらえたり、仕事を手伝ってもらえたりして本当に助かりました。
最後に私から一言助言をするとすると、とにかく生理が始まったら特に異常は自覚してなくても1度は婦人科の検査を受けるべきだということです。
私自身、生理は順調だと思っていました。
半月以上生理が遅れたこともなく、きっちり1週間で終わり、量も特筆して多いとも少ないともいえず、生理痛はありましたが、鎮痛剤を飲めば我慢できないわけでもありませんでした。
周りの友人達の方がよっぽど生理痛に苦しんでいたくらいです。
手術前の11月の健康診断でも判定はAだったんです。
それでも卵巣が破裂する程症状が進行するまで、婦人科の検査をすることもなかった私には自覚症状がありませんでした。
ただ、私自身にも少し人と違うことがあるとすると、やたらと痛みに鈍い体質だったようなのです。
歯医者が
「麻酔なしでここまで削ると普通の人なら悲鳴をあげる」
という程の治療でも、私は全然平気ですし、今回卵巣が破裂した際も、担当医からは
「普通の人なら気絶する。悪ければ破裂したショックで死亡する人もいる。歩くなんて信じられない」
と言われ、状況を知る看護婦さんからはやたらと
「本当に痛かったでしょう。一人暮しで心細かったのにすごいね」
等と涙ぐまれるほど感心されました。
痛かったのは事実ですが、卵巣が破裂したなどと私自身知りませんでしたし、一人暮らしだから自分でなんとかしなければという危機感から動けたとも言えるのですが、それ程切羽詰った状況だとは私は思っていなかったので、周りの人からこう言われることが不思議でした。
歯医者の時には都合がいいと思っていたのですが、私の体質は異常に気付くのが遅れる以上、大変危険です。
ですが、精密検査を受ける機会や大きな病気になることでもなければ、痛みに鈍いかどうかは自分でも本当に分からないのが現実だと思います。
生理痛も鎮痛剤程度で治まるのが、本当に軽いせいなのか、痛みに鈍感なせいなのか判断はできないと思います。
婦人科の診察は屈辱すら感じる辛いものですが、それでもとにかく受けてもらいたいと思います。
異常がなければそれでよし、異常が見つかっても早ければ早いほど最終的には自分にとって利益になります。
病気になってしまったことも、大きな手術傷を作ってしまったことも、この病気が原因でもしかしたら子供が作れなくなってしまったかもしれなくても、誰かに責められるようなことはしてないと私は胸をはって言えます。
それでも、時として傷を見て悲しく、辛く、悔しくなることがあります。
そして、病気を理由に心ない人達によって傷つけられることもこれから先もきっとあるでしょう。
一人でも多くの人が私と同じ思いをすることがありませんように。
心からそう思います。
異変が始まったのは手術の5日前です。
会社での会議中に気が付きました。
やたらと耳が聞こえづらいのです。
これでは仕事にも差し支えると思って、早退して耳鼻科に行きました。
でも、特にこれといった異常もなく、突発性難聴と診断されました。
薬ももらいましたが、あまり効果はありませんでした。
この突発性難聴は術後も2、3ヶ月間に渡って続きましたが、始まった時と同じく唐突に終わりました。
原因は今でも不明です。
が、その後腸に細菌が入り込んで下痢と嘔吐に心底苦しんだときに1度発現しました。
どうやら、私にとっての危険信号だったらしいです。
ただ本当に治療が必要な部分を知らせることには全く役にたっていない方法で危険を知らせるのは、体の持ち主と同じでひねくれてるからなのかでしょうか…(苦笑)
そして、下腹部の痛みは土曜日の夕方、買い物中から始まりました。
ただ、それ程激しい痛みでもなく、丁度生理の予定日が近かったので生理痛かと思ったのですが、それとも違うような痛みで、
「今まで経験したことない嫌な感じのする痛みだな」
くらいにしかその時には思いませんでした。
買い物から帰って、食事はとったものの痛みは引かず、着替えて布団に横になっていました。
たまにうとうとしていたのですが、ますます痛みは増すばかり。
トイレへいっても激しい排尿痛までありました。
これはもうどうしようもないと判断したのは既に日付が変わる頃でした。
救急車を呼んで(携帯しかなかったので、つながった場所が私の住む地域の管轄の消防署ではなく、別の所だったので、しばし待たされることになりましたが)、さて支度をしようとすると動いただけで激痛が。
当時の私は一人暮らしでした。
なんとか着替えて、財布と保険証を持って、戸締まりをして待つこと10分位。救急車が到着。
救急隊員の方が家に来る前に、家を出て鍵を閉めて、救急車へと歩いて移動しました。
(本当は激痛をこらえるのに精一杯だったので、ストレッチャーに乗せてもらいたかったのですが、アパートの2階で狭い外階段しかなく、おまけに私は標準体重をかなり超えていましたので、救急隊員の方に苦労して運んで頂くのも申し訳ないと思ったので、自分で移動しました。
この話をすると大抵笑われるか、呆れられます。人間、最後は気力でどうにかなるものですよね 笑)
病院への搬送中は、本当に苦しかったです。
それまでじっと横になっていたので分からなかったのですが、振動がお腹に響くんです。
猛烈な吐き気と下腹部痛を我慢すること15分程。病院に到着。
すぐに当直の医者にみてもらったのですが、少し触られるだけで吐き気と痛みで涙目になる始末。
既に深夜1時。
当直医はろくに検査もせず、場所が下腹部なので、消化器系か婦人科系か判断できない、とりあえず入院するか帰るか判断してくれと言われました。
(多分、当直医の担当が内科でも産婦人科でもなかったのでしょうが、今思えば乱暴な判断ですよね)
帰っても薬ももらってない以上痛みが治まるわけもなく、既に痛み始めて6時間以上たっているのに痛みは増すばかりで、おまけに一人暮らしじゃいざという時に誰にも助けてもらえないと思った私は、入院することを選択しました。
救急車を呼ぶ前に実家には電話で病院へ行くことを話していたので、この時点で心配した母親から携帯に電話がはいり、入院することを告げるととにかく朝一番の飛行機でこちらにくると言いました。
この日の関東地方の天候は予報では雪。
四国から来る飛行機が飛ぶかどうかは不明でした。
この時もまだそれ程大事とは思ってなかった私は、母親がわざわざ来るという言葉の方に驚き、 なんとか自分で頑張れると返事をしたのですが、
「入院するなら世話をする人が絶対必要!」
という母親の意見に押し切られる格好でその時は電話を切りました。
自分の意見を押し通して断っていたらと思うと、今でもちょっと怖くなりますが…。
その後、看護婦さん達にストレッチャーで運ばれたのはどうやら内科入院患者さん達の部屋のようでした。
そこで、しばらく寝かされていたのですが、激痛のために当然眠れるはずもなく、ひたすら我慢していました。
そのうち、また看護婦さん達に呼ばれ、車椅子に乗せられて移動することに。
どうやら産婦人科の担当医に連絡がついたらしく、これから診察してもらうことになりました。
深夜、激痛と寒さで震えながら移動した病院の真っ暗な長く続く廊下は今でも鮮明に思い出します。
そこで初めて受けることになった婦人科の検査。
あの独特の診察用の椅子を見た時には目眩がしました。
周りには担当医の他に2、3人の看護婦さんがいて、膣の中で指が移動する度に吐き気と激痛のため、のたうちまわる私を押さえつけていました。
診察を終えた途端に吐き気は限界を超えて手近にあった洗面台で泣きながらひとしきり吐いた後、診断結果も何も告げられずに婦人科の入院患者用の個室に移動して休むように言われました。
痛み止めの注射をしてもらって、点滴をうけたのですが、痛みは相変わらず。
トイレに行きたくても、すぐ足元に用意してもらった簡易トイレに移動するのでさえ苦労しました。
なんとか起きあがり、激しい排尿痛を我慢しながらトイレを済ましました。
痛みが限界になって、ナースコールで看護婦さんを呼んで痛み止めの座薬を追加してもらい、なんとか明け方にうとうとしたように思います。
朝、看護婦さんに言われたことは
「手術のために毛をそりますね」
という言葉でした。
「手術なんて聞いてない、診断結果も何も知らない」
と言うと、
「あれ?先生言い忘れたのかな」
との答え。
おい、それはちょっと待て!と盛大につっこみをいれたのは言うまでもありません。
痛いので心の中で、ですが。
それから暫くして担当医が現れ、両方の卵巣がかなり腫れていて、通常は親指程の大きさであるはずの卵巣が握り拳大くらいになっている、という説明で、今日は日曜日で本来手術はできないが月曜日まで延ばすこともできないくらい状況は悪い、即刻昼すぎには手術を行うと言われました。
手術同意書に家族のサインが必要とかで、とにかく母親の到着を待ちました。
雪は幸い降らなかったのですが、強風のため飛行機が若干遅れ、母親が病院に到着したのは、お昼前でした。
携帯をもっていなかった母親へ私から連絡をいれることもできず、いきなり手術することになったと聞かされて呆然としていました。
とにもかくにも同意書にサインし、手術が始まったのはそれから間もなくで、私が手術すると聞かされてからわずか2、3時間しかなかったと思います。
心の準備なんてする時間もありませんでした。
背中を丸めて脊椎にめちゃくちゃ痛い麻酔注射をうって(3本位うったと思います)、手術が始まりました。
ですが、私は全身麻酔ではなく、局部麻酔だったのです。
なので、手術中の担当医の話も全て聞えましたし、血を機械で吸い取る音や縫い合わせる糸で内臓が引っ張られる感覚もありました。
「癒着が酷い」
「卵巣の腫れも酷い」
などという言葉を聞きながらの手術というのは、はっきり言ってあまりいい気分のするものではありません。
酷いといわれても私自身が望んで起こした症状というわけでもありませんし、この手術台を上からみたら内臓を開いたまさにまな板の上の鯉状態なんだろうなと想像しただけでゾッとしました。
手術中はとにかく腰が痛かったです。
多分手術用のベッドが硬かったせいなのだと思います。
仰向けで手術を受けているわけですから腰をもんでもらおうにもどうにもならず、最後はほとんど泣きが入っていたように思います。
手術の時間は母親によると2時間位だったそうです。
手術後に腹部を縫合したはずですが、そこまでの記憶はありません。
ただぼんやり思い出すのは、人の話し声がしたことと手がふっと暖かかくなったことです。
恐らく、病室に戻ってきた私の手を母が黙って握っていてくれたのでしょう。
目が覚めたのはその日の夕方でした。
翌日の朝、会社に病気のため休むことを連絡してもらうことと、入院に必要なものを用意してもらうことを母親に頼んで、その日は私の家に帰ってもらうことにしました。
翌日、母親が上司に電話した時にはちょっとした騒ぎになったようです。
当時、私は入社1年目で10月に本配属されたばかりでした。
配属された先の部署というのが、バグだらけの欠陥パッケージソフトウェアを販売して多数のクレームユーザーを抱えた会社でも悪名高い部署で、ろくに指導もされず事情も分からないままひっきりなしにかかってくるユーザーへのクレーム対応と果てのないシステム検収で連日帰りは終電に駆込むような生活をしていました。
私の場合はチョコレート嚢腫もあったので、恐らく会社のストレスだけが原因ではなくかなり以前から症状がすすんでいたと思うのですが、会社では新入社員に倒れるほど無茶をさせたと上司が非難されたようなのです。
会社から病院に連絡した時に「面会謝絶です」と言われたことも騒ぎに拍車をかけました。
復帰後に先輩にその時の様子を聞いて、私の方が驚いたくらいです。
でも、当時2000年問題もあって正月休みも取れませんでしたし、休日出勤も珍しくなかったので、強制とはいえ休みをとることは体力的には正直ホッとしたのですが、精神的には辛かったです。
仕事の都合も何もかもぶっちぎって休んでしまいましたし、私以上に不眠不休で働いている先輩方に迷惑をかけていることを思うと申し訳なかったからです。
食事がだされたのは、手術後2日目くらいだったと思います。
点滴で栄養補給はしていたかもしれないのですが、水を飲むことも禁止されていましたし、とにかくお腹が空いて胃が痛くなるくらいでした。
最初にだされた食事は重湯。
いくらお腹がすいていてもそれ程食べられるものでもありません。
(おまけに数日間重湯だけの食事が続きました)
ちなみに、フランス留学中に子宮筋腫で腹腔鏡手術を受けた友達の最初の食事はフランスパンにジャムとカフェオレだったそうです。
これもお国によって違うのでしょうね。さすがフランス。
でも、私はフランス語はおろか、英語もしゃべれないので、外国で手術を受けるなんて考えただけで倒れそうですが。(笑)
術後すぐに生理がはじまりました。
量はとても少なくて、4日位で終わったと思いますが、2、3日は動くのが辛かったので、トイレでナプキンを取りかえるのに苦労した覚えがあります。
傷はおへその下から15cmくらいあるでしょうか。
皮下脂肪の厚い私は「縫合してもくっつきにくいから」という理由で、まるで魚の骨のような形状の縫合をされていました。(泣)
傷を初めて見たときは、かなりショックでした。
今はそれ程目立ちませんが、よく見れば縫合時の針の跡が残っています。
傷口を押さえたガーゼを安定させるために貼るテープも人によってかぶれたりするので、何種類かを貼ってチェックするパッチテストを行う病院もあるみたいなのですが、私の場合は皮膚が弱いにも関わらず何のチェックもされず、同じ部分にテープを張られつづけた結果、かぶれて水ぶくれができるまでになってしまいました。
今でもうっすらその水ぶくれがあった場所には跡が残っています。
結局、私の場合は「両側とも子宮内膜症および右卵巣破裂」と診断されました。
それも癒着が酷い4期でした。
独身で子供もいないことを配慮され、両側とも卵巣は削っただけで保存してもらえました。
病理検査にまわすため、私自身は取り除いた患部を見ることはできませんでしたが、母は見せられたそうです。
退院直前に抜糸をして、丁度2週間で退院しました。
私の家から交通事情のよくない国立病院に運ばれてしまったので、毎日自転車で通う母親は大変でした。
術後も約半年に渡って生理を止めるために、月に1回やたらと痛くて料金の高い注射を打たなければならなかった(薬剤名は忘れてしまいました)のですが、交通事情の悪さに会社の近くの総合病院に転院したくらいです。
この注射をうつと、体感温度が確実に何度か上がります。
夏まで続いたので、スーツを着て客先に行かなければならなかったことも多かった私は、汗のための化粧くずれに悩まされました。
先ほど書いた通り、仕事が気になっていた私は退院後12日で職場復帰しました。
が、3日でダウンしました。
自分では大丈夫と判断して復帰したのですが、開腹手術は想像以上に体力を削り、普通の生活は負担がかかりました。
通勤は、朝は始発駅だったので座れるのですが、帰りはラッシュにもまれて立っているのがやっとでしたし、会社でも自分の席から3m先にあるプリンタまでの往復をするだけで足がふらつきました。
結局更に2週間お休みをもらい、(手術してから数えると1月半お休みをもらいました)復帰してからも1週間朝、夕1時間短縮してもらって様子をみさせてもらいました。
私の場合は場合だけに社内全部に知れ渡ってしまったので、復帰後関係ない部署の方からも労わってもらい、手術や病気に関して嫌な思いをすることはありませんでした。
また、私を直接指導する立場にあった女性の先輩も婦人科系の病気で苦しんでいたので、とても親身になって相談にのってもらえたり、仕事を手伝ってもらえたりして本当に助かりました。
最後に私から一言助言をするとすると、とにかく生理が始まったら特に異常は自覚してなくても1度は婦人科の検査を受けるべきだということです。
私自身、生理は順調だと思っていました。
半月以上生理が遅れたこともなく、きっちり1週間で終わり、量も特筆して多いとも少ないともいえず、生理痛はありましたが、鎮痛剤を飲めば我慢できないわけでもありませんでした。
周りの友人達の方がよっぽど生理痛に苦しんでいたくらいです。
手術前の11月の健康診断でも判定はAだったんです。
それでも卵巣が破裂する程症状が進行するまで、婦人科の検査をすることもなかった私には自覚症状がありませんでした。
ただ、私自身にも少し人と違うことがあるとすると、やたらと痛みに鈍い体質だったようなのです。
歯医者が
「麻酔なしでここまで削ると普通の人なら悲鳴をあげる」
という程の治療でも、私は全然平気ですし、今回卵巣が破裂した際も、担当医からは
「普通の人なら気絶する。悪ければ破裂したショックで死亡する人もいる。歩くなんて信じられない」
と言われ、状況を知る看護婦さんからはやたらと
「本当に痛かったでしょう。一人暮しで心細かったのにすごいね」
等と涙ぐまれるほど感心されました。
痛かったのは事実ですが、卵巣が破裂したなどと私自身知りませんでしたし、一人暮らしだから自分でなんとかしなければという危機感から動けたとも言えるのですが、それ程切羽詰った状況だとは私は思っていなかったので、周りの人からこう言われることが不思議でした。
歯医者の時には都合がいいと思っていたのですが、私の体質は異常に気付くのが遅れる以上、大変危険です。
ですが、精密検査を受ける機会や大きな病気になることでもなければ、痛みに鈍いかどうかは自分でも本当に分からないのが現実だと思います。
生理痛も鎮痛剤程度で治まるのが、本当に軽いせいなのか、痛みに鈍感なせいなのか判断はできないと思います。
婦人科の診察は屈辱すら感じる辛いものですが、それでもとにかく受けてもらいたいと思います。
異常がなければそれでよし、異常が見つかっても早ければ早いほど最終的には自分にとって利益になります。
病気になってしまったことも、大きな手術傷を作ってしまったことも、この病気が原因でもしかしたら子供が作れなくなってしまったかもしれなくても、誰かに責められるようなことはしてないと私は胸をはって言えます。
それでも、時として傷を見て悲しく、辛く、悔しくなることがあります。
そして、病気を理由に心ない人達によって傷つけられることもこれから先もきっとあるでしょう。
一人でも多くの人が私と同じ思いをすることがありませんように。
心からそう思います。
2003年掲載