体 験 談
みはるさんの場合 (予備知識なしで緊急手術)
★2003年9月21日(日)の昼は過ぎていました。
あちこちに買い物に行っていて車で走っていたのですが、急に腹痛があり、駐車場に車を止めてしばらく休憩し一眠りしたものの痛みが取れず、夕方になって何とか家まで帰りました。
遊び歩いているから病気になるんだと父親に怒られながら、父親の運転で救急病院まで乗せて行ってもらいました。
その2ヶ月くらい前にも急な腹痛のため同じ病院に行き、便秘と診断されたので、今回もそうだろうと家族の誰もが思っていました。
前回は1時間以上待たされましたが、幸いにも患者が少なかったので、今回は10分位で呼ばれ、早く帰れると家族の誰もが思ったものの、内科の診察で「生理はいつきましたか?」と聞かれました。
その後に、
「急にお腹が痛くなるなんて事は内科ではほとんどないから、産婦人科ではないかと思いまして…」
と言われ、エコーをする事に。
その結果、卵巣が腫れているとの事で産婦人科に連絡。
たまたま産婦人科の先生がいたので診察をし、卵巣茎捻転の疑い、チョコレート嚢腫、と診断され、
「2時間後に手術します。卵巣茎捻転を起こしていた場合は、卵巣を取ります」
と言われました。
「卵巣は2つあるから、1つ取っても、もう1つ残っているので、子供が全く出来ないわけではないですから…」と言われたものの、ものすごくショックでした。
小さい頃から子供が好きで、保母の資格を持っているくらいで。
実際には子供が好きなだけではできる仕事でないので、仕事をした経験はないものの…。
お医者さんがいなくなった後、一粒の涙がこぼれました。
看護婦さんの一人に見られてしまいました。恥ずかしかったです。
手術に関しては、痛みをとってくれるのなら何してもかまわない状態でしたので、何の抵抗もなかったです。
まな板の上の鯉とは、この事だと思いました。
両親もさすがにびっくりしていました。
その後、検査のため車椅子で移動し、点滴も始まって、着々と手術に向けての準備が始まりました。
父親が、私が献血をしていると言ったらしく、担当医より、いつ頃だったのか確認を受けました。
1年以内なら血液が残っているから、もしもの時は他人の血液を輸血するより、自分の血液のほうが体に負担をかけないと説明を受けましたが、私自身、献血の方は最近していませんでした。
この時に、献血はしておいた方が良かったと、後悔しました。
その後、軽く麻酔を点滴に入れられ、意識が朦朧としている中、手術の承諾書と、念のために輸血の承諾書に署名しました。
その後、あまりの痛さに鎮痛剤を打って下さいと看護婦さんにお願いし、担当医より許可が下り、痛み止めの注射をしてもらいました。
時間になり、手術用のベッドに看護婦さんや麻酔科の男の先生などの助けで何とか移動し、全身麻酔のマスクをかけられ、息が出来ない!と思った所までは記憶にあるものの、その後は人の声がして、目が覚めたら手術が終わって、病室のベッドの上でした。
酸素マスクをはめていました。
その日、母親に借りた一万円は使わなかったので、返すから財布から抜いて欲しい事、当時、職業訓練校に行っていたので、休む連絡をして欲しい事、バッグに明日の昼ごはん用のパンが入っているので食べてね、など伝えると、そのまま寝てしまいました。
その後の夜中3時、看護婦さんの見回りで目が覚めました。
眠りが浅いせいか、30分ごとの見回りのたび、目が覚めていました。
看護婦さんは気の毒そうにしていましたが、私としては、看護婦さんが見回りに来るのが楽しみになっていました。
酸素マスクがうっとうしかったので取って欲しいと言ったのですが、
「体の負担を軽くするために、7時まではして下さい」と言われたので、そういう役目をしているなら、しておかければ…と思い直しました。
時間が来て酸素マスクが取れた時は、こんな体験はそうそう出来るものではないんだから…と、 名残惜しかったです。
★次の日、母親に「手術の終わった後に言った事を覚えている?」と聞かれ、思い出せないでいると、母親は呆れていました…。
母親に聞いて思い出しましたけど、人間って気にしている事が、こういう時に言葉として出るんだな…と思いました。
緊急入院と言う事で急患の病棟に入っていたので、産婦人科の病棟が空き次第、病室を移動しますとの事。
「今は空いていないので、それまではここにいて下さい」と言われました。
でも1時間もしないうちに、病室が空きましたので移動しますと、ベッドごと移動…。
キャスターが付いていて、ベッドに荷物やカルテも乗せられ、私と一緒に寝ていました(笑)。
4人部屋で、すでに2人の方が入っていました。
部屋はすごく綺麗で、トイレと洗面所がついていました。
ロッカーもありましたが、使いませんでした。
テレビ、冷蔵庫も1人1台。1日いくらか、料金が取られていました。
ご飯は夕食からで、朝・昼はご飯が出ませんでした。
点滴は1日中。
トイレも、初めはそのまま用が足せるようにお腹に管が入っていましたが、昼過ぎから歩いて行って下さいと言われました。
動く事で腸が活動して、おならが出るので。
しばらくは、トイレとベッドの往復でした。
夕食は五部粥が出ましたけど、お粥の大嫌いな私は、お粥を食べた事で逆に食欲がなくなり、ほとんど残していました。(作ってくれた人、本当にごめんなさい。)
手術して出血があるのは当然という事で、鉄分の補給のために点滴を止めて、鉄分の薬を注射されました。確か2、3日あったと思います。
手の甲に点滴をしていてかなり腫れてて、ものすごく痛かったです。
看護婦さんにその後何回か「痛いんですけど…」と言ったのですが、血管にきちんと入っているので、手を動かさないからだ…という事で、多少動かして下さい、と言われました。
担当医も夕方に様子を見に来てくれました。
テレビは暇で見ていたものの、お笑いの番組は笑うとお腹が痛くて、見るのを遠慮してました。
咳も出来なくて…。
★入院3日目。
朝食・昼食は全粥に変わりましたが、もちろん、ほとんど食べられませんでした…。
夕食は、久しぶりのご飯という事で、3分の2くらい食べました。
ご飯がおいしい事…。
同じ部屋の人とも仲良くなりました。
1人は、原因不明の貧血、栄養失調。
婦人科と内科のどちらからしく…。
見た目、栄養失調には見えなかったです。
もう1人は、妊娠4ヶ月の人で、出血があり、絶対安静との事。
産科の病室が空いてなくて、婦人科病棟に。
子供がお見舞いに来ると、すごく賑やかになっていました。
朝からようやく病室を出て、携帯が使える待合室で、携帯のチェック。
メル友や、友達からのメールが溜まっていて、入院していて、メールが出来なかった事のお詫びの返事を送っていました。
病室から出て、病院内を散歩。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ていました。
暇さえあれば、赤ちゃんを見に行っていました。
親には、病室にいない時は必ずここにいる、と言われました。
祭日と言う事で、メールを見て、友達がお見舞いに来てくれました。
ケンタッキーフライドチキンを持って。
入院前には食べたいと思っていたけど、さすがに食べられなくて、親に取りに来てもらいました。
友達に「この間、他の友達のお見舞いに行った時に、持っていったら喜ばれたから持ってきたんだけど…。ごめんね」と謝られて、返って申し訳なかったです。
友達はその後、自宅に帰ってから母親に、「花にすれば良かったのに…」と言われたそうです。
とは言うものの、友達と話をしてすごく楽しかったです。
友達とは良いもんだと、ありがたさを感じました。
食欲は、旺盛。ほとんど残さずに食べていました。
とは言うものの、お腹が痛くて歩き回っていました。
運動すれば、腸が活動するのを信じて。
ガスも便も全く出ないので、看護婦さんに言って座薬を入れてもらいました。
30分位でトイレに行って、痛みも取れました。
普通、下剤を飲んで腸を空っぽにしてから手術するはずが、緊急手術のため、そのまま手術をした事が原因だったみたいです。
その後は、順調にトイレに行ってました。(汚い話ですみません。)
点滴は取れたのですが、手がかなり腫れていて…。
手の甲からひじの近くまで腫れてました。
点滴は化膿止めで、30分位のものがありました。
すごく楽でしたけど、看護婦さんに「こんなに腫れて、なんで言わなかったの?」と言われました。「痛いでしょうに…」と。
言ったんですけど…この人に言えばよかった…と、後悔。
病状を担当医から、両親に説明。
本人には後日説明する、という事だったようです。
「宇多田ひかると同じ病気なんだっ」と、母親から聞き、そうなんだ!と。
とは言うものの、「宇多田ひかるも病気していたの?」って言う感じでした。
★4日目。
点滴も終わって、退院が近くなってきたのを感じました。
担当医も来て、「明日、抜糸の予定ですから」と。
こんなに早く抜糸しても大丈夫なの?と不安に思った私でした。
1人、明日手術と言う人が入ってきて、ベッドがすべて埋まりました。
他は特に変わった事なし。
体調も問題ありませんでした。
★5日目。
予定通り、抜糸。
念願だったお風呂も、許可が出ました。
ただ、傷口を保護する透明のテープをしなくてはならないので、お風呂に入る前には看護婦さんに言って下さい、との事。
同じ病室のお腹に赤ちゃんのいる人が、お風呂の予約を私の分までして下さいました。
その日の夕方、退院の許可が出たものの、急に言われても…という事で、次の日の昼ごはん後に退院と言う事になりました。
産科の部屋が空いたので、1人、病室の移動があり、2人になったのもつかの間、すぐに2人、入ってきました。
1人は、私と別の人と話しているのがうるさかったらしく、旦那さんと2人でカーテンを閉めてしまい、その後、いつの間にかいなくなってしまいました。
他の部屋に移ったのか…。何の挨拶もなかったので分かりません。
もう1人の人は私より年下の人で、検査入院みたいでした。
その他は、変わりなし。
★6日目。退院の日。
赤ちゃんの見納めと言わんばかりに、入り浸っていました。
そのせいか、「どれがお子さんですか?」と、患者さんに間違われてしまいました(笑)。お腹が出ていないので。
話は逸れますが、看護実習で赤ちゃんの世話をしていた看護学生、赤ちゃんを扱う手がちょっと危なっかしかったです。
主治医から、病状についての説明と今後の治療についての説明がありました。
卵巣は無事でした、との事。ホッとしました。
今後の治療としては、注射で生理を止めるというもので、次の生理が始まってから注射をするとの事でした。
ただ、副作用として更年期障害の症状が出るので、本人次第、また、普通は半年間ですが、私の場合は3ヶ月でいいとの事。あまり長くすると、骨粗鬆症になる恐れがあるので。
宇多田ひかるさんは、治療を途中で辞めてしまいましたけど、どうしますか?と聞かれました。
即答できず、次の通院まで考えさせて下さいと、その場での答えは出しませんでした。
午後2時過ぎ、無事に退院。
同じ病室の人に挨拶。
「最初はベッドに寝て、私より重症だったのに…」と言われました。
産科に移った人にも挨拶。
最初に3人いた人とは、メールアドレスを交換しました。
家に帰ってからは自宅療養で、のんびりとしていました。
★10月1日、病院へ通院。
治療はとりあえずして、あまりに酷ければやめる、と言う事で決まりました。
生理はまだ来ていなかったものの、内診の結果、明日・明後日にも生理が来るとの事で、注射しました。
睡眠薬と鎮痛剤をもらいました。
その後、休んでいた職業訓練校に行き、診断書と欠席届を提出。
パソコン講習の方は出席日数が足らないので、修了書の方は出せません、との事。
残りの販売士の方は頑張って下さい、と言われました。
教科書は教室の方にあるので、授業が終わってから取りに行くつもりで、授業が終わるのを待ちました。
同じクラスの友達から、大丈夫?と心配して頂いて、嬉しかったです。忘れられていたらどうしようと思っていたので。
学校には、男性の生徒さんもいたので、盲腸という事になっていました。
その後、仲のいい友達には本当の病名を言いました。
学校には、10月3日より復帰する事も伝えました。
しばらくは、ワンピースやスカートでの通学になりました。
バスの乗り降りが結構大変で、降りる時に動きが遅いので、降りるの?と、運転手さんに言われた事もありました。
歩くのが遅く、友達に待ってと言う事もしばしば。
それでもいつしか、自然に普段の生活に戻って行きました。
★10月29日、2度目の通院。
注射をしました。
点滴をした手首が痛い事を伝えました。
湿布を貼って様子を見て下さいとの事。
近況報告もしました。
副作用は思ったほど酷くなく、次の予約を取って帰りました。
学校の休みの日にという事で、次の診察は11月28日になりました。
薬はこの間と同じものをもらって帰りました。
★11月10日、酷い腰痛。
学校の友達に良いマッサージのお店を紹介してもらい、マッサージをしてきました。
この時に、肩こりも酷いのでマッサージをしてもらったら、注射の痕もうっかりマッサージしてもらい…1時間後に出血。
次の日、病院に連絡、様子を見ましょうとの事。
もしかしたら、カプセル(注射により投薬されている薬)が壊れている恐れも…と言われ、血の気が少し引きました。
★11月28日、3度目の通院。
注射をして頭痛が酷く、夜寝られない事も多い事を報告。
今日で注射は終わり。
あと、この間の事は不正出血だろうとの事。
多分、しばらくは生理は来ないと言われました。
次の診察は、2月3日を予約。
薬をもらって帰りました。
★1月8日、痛み止めがなくなったので、予約なしに薬だけもらいに行きました。
東京に旅行に行く予定があったので、念のために…。
旅行中は何事もなく、無事に家に帰りました。
旅行先では近所に総合病院があったので、何かあったときはその病院を頼る事ができると、安心しました。
★2月3日、4度目の通院。
お腹が痛い事がある(酷くはないけど)など、近況報告。
生理前なのかもしれないという事で、薬をもらいました。
「なんで痛み止めがいるの?」と聞かれて、肩こりからの頭痛がと、以前より言っていた事を伝えると、「そうだったね」と言われました。
血液検査をして、結果が悪ければ電話しますとの事。
次の予約は4月19日にしました。
生理が2度ほど来たあとの様子をみたい、というお話でした。
★2月24日、注射後、初めての生理が来ました。
量は少なめで、さらさらとした感じ。
4日間位で終わりました。
そして現在に至ります。
病気の事については全然知識がなく、名前を聞いた事位しかなくて、どうやって調べようと考えていたところ、本屋で営業をやっている友達が、女性の医学辞典の販売があって、私にどうか、と勧めてくれました。
それだけでは足らなくて、もうちょっと詳しく知りたいと思い、インターネットで、「子宮内膜症」、「掲示板」で検索した所、ここに辿り着きました。
私だけじゃない事が分かって、頑張って病気に立ち向かう事ができました。
励ましの言葉もいただき、とても嬉しくて、ネットをすると必ず見るようになってます。
龍管理人さんに体験記を頼まれたとき、私みたいに、全然知識がなかった人に役立てればいいなと思い、引き受けました。
読みにくい点とかあるとは思いますが、その辺は、お許し下さい。
あちこちに買い物に行っていて車で走っていたのですが、急に腹痛があり、駐車場に車を止めてしばらく休憩し一眠りしたものの痛みが取れず、夕方になって何とか家まで帰りました。
遊び歩いているから病気になるんだと父親に怒られながら、父親の運転で救急病院まで乗せて行ってもらいました。
その2ヶ月くらい前にも急な腹痛のため同じ病院に行き、便秘と診断されたので、今回もそうだろうと家族の誰もが思っていました。
前回は1時間以上待たされましたが、幸いにも患者が少なかったので、今回は10分位で呼ばれ、早く帰れると家族の誰もが思ったものの、内科の診察で「生理はいつきましたか?」と聞かれました。
その後に、
「急にお腹が痛くなるなんて事は内科ではほとんどないから、産婦人科ではないかと思いまして…」
と言われ、エコーをする事に。
その結果、卵巣が腫れているとの事で産婦人科に連絡。
たまたま産婦人科の先生がいたので診察をし、卵巣茎捻転の疑い、チョコレート嚢腫、と診断され、
「2時間後に手術します。卵巣茎捻転を起こしていた場合は、卵巣を取ります」
と言われました。
「卵巣は2つあるから、1つ取っても、もう1つ残っているので、子供が全く出来ないわけではないですから…」と言われたものの、ものすごくショックでした。
小さい頃から子供が好きで、保母の資格を持っているくらいで。
実際には子供が好きなだけではできる仕事でないので、仕事をした経験はないものの…。
お医者さんがいなくなった後、一粒の涙がこぼれました。
看護婦さんの一人に見られてしまいました。恥ずかしかったです。
手術に関しては、痛みをとってくれるのなら何してもかまわない状態でしたので、何の抵抗もなかったです。
まな板の上の鯉とは、この事だと思いました。
両親もさすがにびっくりしていました。
その後、検査のため車椅子で移動し、点滴も始まって、着々と手術に向けての準備が始まりました。
父親が、私が献血をしていると言ったらしく、担当医より、いつ頃だったのか確認を受けました。
1年以内なら血液が残っているから、もしもの時は他人の血液を輸血するより、自分の血液のほうが体に負担をかけないと説明を受けましたが、私自身、献血の方は最近していませんでした。
この時に、献血はしておいた方が良かったと、後悔しました。
その後、軽く麻酔を点滴に入れられ、意識が朦朧としている中、手術の承諾書と、念のために輸血の承諾書に署名しました。
その後、あまりの痛さに鎮痛剤を打って下さいと看護婦さんにお願いし、担当医より許可が下り、痛み止めの注射をしてもらいました。
時間になり、手術用のベッドに看護婦さんや麻酔科の男の先生などの助けで何とか移動し、全身麻酔のマスクをかけられ、息が出来ない!と思った所までは記憶にあるものの、その後は人の声がして、目が覚めたら手術が終わって、病室のベッドの上でした。
酸素マスクをはめていました。
その日、母親に借りた一万円は使わなかったので、返すから財布から抜いて欲しい事、当時、職業訓練校に行っていたので、休む連絡をして欲しい事、バッグに明日の昼ごはん用のパンが入っているので食べてね、など伝えると、そのまま寝てしまいました。
その後の夜中3時、看護婦さんの見回りで目が覚めました。
眠りが浅いせいか、30分ごとの見回りのたび、目が覚めていました。
看護婦さんは気の毒そうにしていましたが、私としては、看護婦さんが見回りに来るのが楽しみになっていました。
酸素マスクがうっとうしかったので取って欲しいと言ったのですが、
「体の負担を軽くするために、7時まではして下さい」と言われたので、そういう役目をしているなら、しておかければ…と思い直しました。
時間が来て酸素マスクが取れた時は、こんな体験はそうそう出来るものではないんだから…と、 名残惜しかったです。
★次の日、母親に「手術の終わった後に言った事を覚えている?」と聞かれ、思い出せないでいると、母親は呆れていました…。
母親に聞いて思い出しましたけど、人間って気にしている事が、こういう時に言葉として出るんだな…と思いました。
緊急入院と言う事で急患の病棟に入っていたので、産婦人科の病棟が空き次第、病室を移動しますとの事。
「今は空いていないので、それまではここにいて下さい」と言われました。
でも1時間もしないうちに、病室が空きましたので移動しますと、ベッドごと移動…。
キャスターが付いていて、ベッドに荷物やカルテも乗せられ、私と一緒に寝ていました(笑)。
4人部屋で、すでに2人の方が入っていました。
部屋はすごく綺麗で、トイレと洗面所がついていました。
ロッカーもありましたが、使いませんでした。
テレビ、冷蔵庫も1人1台。1日いくらか、料金が取られていました。
ご飯は夕食からで、朝・昼はご飯が出ませんでした。
点滴は1日中。
トイレも、初めはそのまま用が足せるようにお腹に管が入っていましたが、昼過ぎから歩いて行って下さいと言われました。
動く事で腸が活動して、おならが出るので。
しばらくは、トイレとベッドの往復でした。
夕食は五部粥が出ましたけど、お粥の大嫌いな私は、お粥を食べた事で逆に食欲がなくなり、ほとんど残していました。(作ってくれた人、本当にごめんなさい。)
手術して出血があるのは当然という事で、鉄分の補給のために点滴を止めて、鉄分の薬を注射されました。確か2、3日あったと思います。
手の甲に点滴をしていてかなり腫れてて、ものすごく痛かったです。
看護婦さんにその後何回か「痛いんですけど…」と言ったのですが、血管にきちんと入っているので、手を動かさないからだ…という事で、多少動かして下さい、と言われました。
担当医も夕方に様子を見に来てくれました。
テレビは暇で見ていたものの、お笑いの番組は笑うとお腹が痛くて、見るのを遠慮してました。
咳も出来なくて…。
★入院3日目。
朝食・昼食は全粥に変わりましたが、もちろん、ほとんど食べられませんでした…。
夕食は、久しぶりのご飯という事で、3分の2くらい食べました。
ご飯がおいしい事…。
同じ部屋の人とも仲良くなりました。
1人は、原因不明の貧血、栄養失調。
婦人科と内科のどちらからしく…。
見た目、栄養失調には見えなかったです。
もう1人は、妊娠4ヶ月の人で、出血があり、絶対安静との事。
産科の病室が空いてなくて、婦人科病棟に。
子供がお見舞いに来ると、すごく賑やかになっていました。
朝からようやく病室を出て、携帯が使える待合室で、携帯のチェック。
メル友や、友達からのメールが溜まっていて、入院していて、メールが出来なかった事のお詫びの返事を送っていました。
病室から出て、病院内を散歩。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ていました。
暇さえあれば、赤ちゃんを見に行っていました。
親には、病室にいない時は必ずここにいる、と言われました。
祭日と言う事で、メールを見て、友達がお見舞いに来てくれました。
ケンタッキーフライドチキンを持って。
入院前には食べたいと思っていたけど、さすがに食べられなくて、親に取りに来てもらいました。
友達に「この間、他の友達のお見舞いに行った時に、持っていったら喜ばれたから持ってきたんだけど…。ごめんね」と謝られて、返って申し訳なかったです。
友達はその後、自宅に帰ってから母親に、「花にすれば良かったのに…」と言われたそうです。
とは言うものの、友達と話をしてすごく楽しかったです。
友達とは良いもんだと、ありがたさを感じました。
食欲は、旺盛。ほとんど残さずに食べていました。
とは言うものの、お腹が痛くて歩き回っていました。
運動すれば、腸が活動するのを信じて。
ガスも便も全く出ないので、看護婦さんに言って座薬を入れてもらいました。
30分位でトイレに行って、痛みも取れました。
普通、下剤を飲んで腸を空っぽにしてから手術するはずが、緊急手術のため、そのまま手術をした事が原因だったみたいです。
その後は、順調にトイレに行ってました。(汚い話ですみません。)
点滴は取れたのですが、手がかなり腫れていて…。
手の甲からひじの近くまで腫れてました。
点滴は化膿止めで、30分位のものがありました。
すごく楽でしたけど、看護婦さんに「こんなに腫れて、なんで言わなかったの?」と言われました。「痛いでしょうに…」と。
言ったんですけど…この人に言えばよかった…と、後悔。
病状を担当医から、両親に説明。
本人には後日説明する、という事だったようです。
「宇多田ひかると同じ病気なんだっ」と、母親から聞き、そうなんだ!と。
とは言うものの、「宇多田ひかるも病気していたの?」って言う感じでした。
★4日目。
点滴も終わって、退院が近くなってきたのを感じました。
担当医も来て、「明日、抜糸の予定ですから」と。
こんなに早く抜糸しても大丈夫なの?と不安に思った私でした。
1人、明日手術と言う人が入ってきて、ベッドがすべて埋まりました。
他は特に変わった事なし。
体調も問題ありませんでした。
★5日目。
予定通り、抜糸。
念願だったお風呂も、許可が出ました。
ただ、傷口を保護する透明のテープをしなくてはならないので、お風呂に入る前には看護婦さんに言って下さい、との事。
同じ病室のお腹に赤ちゃんのいる人が、お風呂の予約を私の分までして下さいました。
その日の夕方、退院の許可が出たものの、急に言われても…という事で、次の日の昼ごはん後に退院と言う事になりました。
産科の部屋が空いたので、1人、病室の移動があり、2人になったのもつかの間、すぐに2人、入ってきました。
1人は、私と別の人と話しているのがうるさかったらしく、旦那さんと2人でカーテンを閉めてしまい、その後、いつの間にかいなくなってしまいました。
他の部屋に移ったのか…。何の挨拶もなかったので分かりません。
もう1人の人は私より年下の人で、検査入院みたいでした。
その他は、変わりなし。
★6日目。退院の日。
赤ちゃんの見納めと言わんばかりに、入り浸っていました。
そのせいか、「どれがお子さんですか?」と、患者さんに間違われてしまいました(笑)。お腹が出ていないので。
話は逸れますが、看護実習で赤ちゃんの世話をしていた看護学生、赤ちゃんを扱う手がちょっと危なっかしかったです。
主治医から、病状についての説明と今後の治療についての説明がありました。
卵巣は無事でした、との事。ホッとしました。
今後の治療としては、注射で生理を止めるというもので、次の生理が始まってから注射をするとの事でした。
ただ、副作用として更年期障害の症状が出るので、本人次第、また、普通は半年間ですが、私の場合は3ヶ月でいいとの事。あまり長くすると、骨粗鬆症になる恐れがあるので。
宇多田ひかるさんは、治療を途中で辞めてしまいましたけど、どうしますか?と聞かれました。
即答できず、次の通院まで考えさせて下さいと、その場での答えは出しませんでした。
午後2時過ぎ、無事に退院。
同じ病室の人に挨拶。
「最初はベッドに寝て、私より重症だったのに…」と言われました。
産科に移った人にも挨拶。
最初に3人いた人とは、メールアドレスを交換しました。
家に帰ってからは自宅療養で、のんびりとしていました。
★10月1日、病院へ通院。
治療はとりあえずして、あまりに酷ければやめる、と言う事で決まりました。
生理はまだ来ていなかったものの、内診の結果、明日・明後日にも生理が来るとの事で、注射しました。
睡眠薬と鎮痛剤をもらいました。
その後、休んでいた職業訓練校に行き、診断書と欠席届を提出。
パソコン講習の方は出席日数が足らないので、修了書の方は出せません、との事。
残りの販売士の方は頑張って下さい、と言われました。
教科書は教室の方にあるので、授業が終わってから取りに行くつもりで、授業が終わるのを待ちました。
同じクラスの友達から、大丈夫?と心配して頂いて、嬉しかったです。忘れられていたらどうしようと思っていたので。
学校には、男性の生徒さんもいたので、盲腸という事になっていました。
その後、仲のいい友達には本当の病名を言いました。
学校には、10月3日より復帰する事も伝えました。
しばらくは、ワンピースやスカートでの通学になりました。
バスの乗り降りが結構大変で、降りる時に動きが遅いので、降りるの?と、運転手さんに言われた事もありました。
歩くのが遅く、友達に待ってと言う事もしばしば。
それでもいつしか、自然に普段の生活に戻って行きました。
★10月29日、2度目の通院。
注射をしました。
点滴をした手首が痛い事を伝えました。
湿布を貼って様子を見て下さいとの事。
近況報告もしました。
副作用は思ったほど酷くなく、次の予約を取って帰りました。
学校の休みの日にという事で、次の診察は11月28日になりました。
薬はこの間と同じものをもらって帰りました。
★11月10日、酷い腰痛。
学校の友達に良いマッサージのお店を紹介してもらい、マッサージをしてきました。
この時に、肩こりも酷いのでマッサージをしてもらったら、注射の痕もうっかりマッサージしてもらい…1時間後に出血。
次の日、病院に連絡、様子を見ましょうとの事。
もしかしたら、カプセル(注射により投薬されている薬)が壊れている恐れも…と言われ、血の気が少し引きました。
★11月28日、3度目の通院。
注射をして頭痛が酷く、夜寝られない事も多い事を報告。
今日で注射は終わり。
あと、この間の事は不正出血だろうとの事。
多分、しばらくは生理は来ないと言われました。
次の診察は、2月3日を予約。
薬をもらって帰りました。
★1月8日、痛み止めがなくなったので、予約なしに薬だけもらいに行きました。
東京に旅行に行く予定があったので、念のために…。
旅行中は何事もなく、無事に家に帰りました。
旅行先では近所に総合病院があったので、何かあったときはその病院を頼る事ができると、安心しました。
★2月3日、4度目の通院。
お腹が痛い事がある(酷くはないけど)など、近況報告。
生理前なのかもしれないという事で、薬をもらいました。
「なんで痛み止めがいるの?」と聞かれて、肩こりからの頭痛がと、以前より言っていた事を伝えると、「そうだったね」と言われました。
血液検査をして、結果が悪ければ電話しますとの事。
次の予約は4月19日にしました。
生理が2度ほど来たあとの様子をみたい、というお話でした。
★2月24日、注射後、初めての生理が来ました。
量は少なめで、さらさらとした感じ。
4日間位で終わりました。
そして現在に至ります。
病気の事については全然知識がなく、名前を聞いた事位しかなくて、どうやって調べようと考えていたところ、本屋で営業をやっている友達が、女性の医学辞典の販売があって、私にどうか、と勧めてくれました。
それだけでは足らなくて、もうちょっと詳しく知りたいと思い、インターネットで、「子宮内膜症」、「掲示板」で検索した所、ここに辿り着きました。
私だけじゃない事が分かって、頑張って病気に立ち向かう事ができました。
励ましの言葉もいただき、とても嬉しくて、ネットをすると必ず見るようになってます。
龍管理人さんに体験記を頼まれたとき、私みたいに、全然知識がなかった人に役立てればいいなと思い、引き受けました。
読みにくい点とかあるとは思いますが、その辺は、お許し下さい。
2003年掲載