お好み様

心の風景

 その当時、俺は自他共に認める可愛気のない子供だった。
 俺を取り巻く環境や、俺自身の性格から「人生」というものを悟り切っており、その辺のエリートサラリーマンよりも強かに生きる術を身につけていた。
 日々の怠惰な生活に嫌気がさし、自分で自分を持て余しはじめた頃、俺はそいつと出会った。

 城崎 翠(きのさき すい) に。

 その日も俺は、校舎裏の人目につかない日溜まりで、一人寝転んでいた。
 ちょっとねじ曲がった奴なら煙草でも吸うところだが、俺は生憎それの害というものについてよく心得ていたし、そんな馬鹿げたことで人生を投げ出したくもなかったので、ひたすら寝こけていた。
 授業日数はきっちり計算の上でのサボリで、学力もそこそこ、何事にも穏便に、引っかからぬ程度に要領よくやっている。学校側の評価としては、「可も不可もなく」といったところだろう。
 本来なら、どこぞヘシケこみたい所なのだが、家の都合で俺の顔はご町内に知れ渡っている。
 結局、一人落ち着いていられる場所は学校しかないわけで、そんな自分の行動を考えてふと思う。

 子供にとっての逃げ場は、家でも教師でもなく、「学校」という場所なのだ、と。
 家と教師と友達と、それぞれの前でそれぞれの顔を持つ子供。
 三つの仮面の中に、本当の自分は在るのだろうか。

「……俺ってバカ」
 こんな風にしか物事を見られないから、可愛気がないんだ。
 呟きと共に寝返りを打った時、微かに枯れ草を踏む音がした。
 こんな処に授業中……と思いきや、腕時計はすでに放課後を指している。
「あちゃ。寝過ぎたか」
 まあ、しょうがない。
 俺は軽く伸びをしながら、音のした方に目を向けた。
 灌木の合間から見える、柔らかそうな黒髪。
 着ている黒い制服から見て、男子生徒であることは間違いない。
「?」
 そいつはひたすら、じーっ、と上を見上げている。
 校舎の裏手にあるここには、草木と校舎の壁しか見えないはずだが。
 一体、何をそんなに熱中するほど、見るものがあるというのだろう。
 その時、わさわさと灌木を泳いでくる人物があった。
 こっちは見た記憶のある顔だ。俺と、同学年の。
「翠!」
 彼はひたすら上を見続ける人物に声をかけた。
「ゆきちゃん」
 ようやく視線を元に戻す。見ているこつちが、首が痛くなる。
「ったく、どこに行ったかと思えばっ。今日は役員会だろ? 行くよ!」
「ゆきちゃん、ゆきちゃん」
 腕をむんずと掴まれ、引っ張られながら、翠と呼ばれた生徒が呼びにきた友人を引き止める。
「なに?」
「見て見て!」
 翠は今まで自分が見ていたものを指差した。
「あれえ?」
 友人はきょとん、として次いで「わあ」と驚く。
「すごいなあ。気付かなかった」
「きれい」
 翠はにこにこと笑って、友人の腕に擦り寄る。
「うん、綺麗だ」
「きれい」
 しばらく二人して見上げる。そして気がすんだのか、翠が友人を引っ張った。
「うん、そうだな。会議遅れちまう。また見に来ような」
「うんっ」
 そうして二人は、校舎の中へと走っていった。
 残された俺は、茫然として成り行きを見ていた。
「……何々だ」
 綺麗、を連発していた翠の笑顔。
 邪心のなさそうな、汚れなき魂を人間にしたら、あんなのだろうか。
「アホくさ。頭が足らねえようにも見えたぞ」
 差別用語に引っ掛かるかな、と思いながら立ち上がる。
 帰りざま、ふと翠のように上を見上げた。
 そこには。
「へえ…………」
 ずっとここを溜り場にしていた割に、全く気付かなかった。
 校舎の屋上からニメートル程に渡って、銅で出来たレリーフが飾ってあったのである。
 おそらく何年か前の卒業生によるものだろう。絵的には然したる画風もないが、それが傾きかけた太陽に照らされ、きらきらと反射している。
「きれい」
 と翠は言った。
 思ったことを素直に表現できる。俺にはとうの昔に忘れてしまったやり方だ。
 ほんの少し、羨ましく思えた。



「お友達から電話よ」
 という母の声に、俺は受話器を取った。
 応対してみると、なんと相手の名は大河内 礼(おおこうち ゆき)といい、今日の放課後見かけた友人の名だった。
「同じクラスだったのか。どうりで」
『え? なに?』
「いや、別に」
 自分のクラスの人間すら判別つかないとは、情けない。
 簡単な学校からの連賂を受け、会話が終わる頃、俺はつい衝動に駆られた。
「あの、お前さ、翠って奴……」
『翠? また何かやったか?』
 また?
『あいつ目ぇ離すとすぐ何かやらかすんだよな。綺麗な顔して毒舌だから』
「……そうなのか?」
『あれ? そのことじゃないの?』
「……何でもないんだ」
 納得しかねている大河内を無理矢理説き伏せて、俺は受話器を置いた。
 毒舌?
 とてもそうには見えなかったが。
 しかしそれは、翌日になって翠も同じクラスだったという事実と共に、彼の本性も知ることとなった。

「きらい」
「……だから、あの、なあ」
「ヤなもんはヤ。話は終わった。んじゃね」
 くるっと身を翻して教室に戻る。相手は慌ててその腕を掴んだ。
「会うだけでもいいじゃねえか」
「もう、会った。その時にも散々話して終わったの!」
「だけど三沢さんは……」
「……っせえんだよ、すっこんでろこの鳥アタマ! 自分でどうこう出来ねえからって手下使うなんざサイテーだ! 自分のことぐらい、自分でケジメやがれ!」
 一瞬、教室中がしーんとなる。
「そう伝えとけ」
 ふんっ、と鼻息も荒く、翠はそいつの手を振り解き、自分の席に戻った。
 啖呵を切られた相手はしばらく唖然と立ち尽くしたあと、はっ、と我に返って渋々引き下がった。
「……やるう」
 俺の感動が全員にも伝わったのか、次の瞬間、クラス中がわっと騒ぎ出した。
「すげえじゃん、城崎!」
「す・いだよ、たくちゃん。おれ、名字で呼ばれるの嫌い」
「あ、悪かった、翠」
「今のヤツ、この辺仕切ってる三沢の子分だろ? 何だってのよ、翠」
 わらわらと人が集まる。
 結構人気あるんだ。
 俺がその様子を見ていると、肩を叩く奴があった。
「大河内、だっけ」
「礼でいいよ。自分のクラスメートくらい、覚えていて欲しいな、風和 清夜(かざわ せいや)君。ま、滅多に教室にいた例しがないから仕方ないか。今日はどうしたの? 珍しくいるじゃん」
 ほっとけ、と呟きながら、俺は話題の人物を指す。
「翠に興味ある?」
「ただのお天気ヤローかと思ってたもんで」
 つい、先程までは。
「ついでにただの秀才でもあるけどね」
 礼はため息をつきつつ、翠は学内でも常にトップにいるほどの頭脳の持ち主だと教えてくれた。
「……見えん」
「だろうね」
 外見に騙されちゃいけないよ。あんたと同じ。
 礼はそう言って、話の輪の中に加わっていった。
「いちいちうるさい奴だな」
 俺は自分の髪をくしゃくしゃと掻き回した。

「でええっ! おつきあいー?!」
「ちょっとニュアンスが違うみたい」
 翠の回りがどよどよとざわめく。
「そっ、それで翠ちゃん、どう返事したの?」
 興味津々といった趣で、一人の女子が尋ねる。
「あいつ、きれいじゃないからイヤだって言った」
 ぷんっ、とむくれて翠は答える。まるで小学生と同じだ。
「三沢がねえ。まあ、お前美人だもんな」
 男にしておくのは惜しいぜ、と何人かの男子が笑う。翠はますますふくれる。
「春乃ちゃんの方がずっときれいだよ」
「ああー?」
 いくつかの疑問の声が上がる。名指しされた女子は、慌てて首を横に振った。確かに、ぱっと見て美人とは思えない。どちらかというと、可愛い、という感じだ。
「春乃ちゃん、きれいだよ。だっていつも教室に花、飾ってるでしょ。あれ、春乃ちゃんの家の?」
「し、知ってたの?!」
「そういやいつも花があるな。誰かなと思ってたけど……お前だったのか」
「春乃ちゃんねえ、花を生けながら歌、歌うの。すっごいきれい」
「翠くんっ!」
「私も知ってる。春乃って、凄くきれいなソプラノ出すのよ」
「へえ? じゃ、今度の合唱コンクールはもらったな♪」
「ば-か。お前のダミ声に消されて、せっかくの歌声も消えちまわあ」
 なんだとー! という声と笑い声が沸く。
 翠って奴はよく見てるんだな、と思わず感心してしまった。悪く言えば、どこを見てるか判らない。あの銅板画にしてみても。
 ロが悪いクセに、必ず回りに誰かがいる。

「あいつは物事をずばっ、とはっきり言うからな。たとえ自分の欠点を言われても、腹が立つのは本当の事だからだし、言われて気付くことが出来て良かった、というのが大体のパターンかな。
 それでも怒りが納まらない奴は、最初から直そうとしてない証拠だからね」
 不思議に思って尋ねたところ、小等部の頃からの付き合いという礼は、そう答えた。
「翠の場合、嫌味とか何か、含まれた言い回しじゃないんだよ。誰に対しても同じように対応するから、誰も根に持たない。物事の本質しか言わないから」
 反対に言えば、遠回しな言い方が出来ないんだよな、と礼は笑った。だからいつまでも付き合っていられるんだ、とも。
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ。あ、これも-らい♪」
 そう言って礼は俺の手の中のスナックを頬張った。

「また来たのか……」
 俺は欠伸をこらえながら呟いた。
 いつもの俺のサボリ場所のすぐ隣に、翠は座って上を見上げていた。
 キラキラキラキラ。
 光の反射は翠の瞳の中にも映る。
 あ、何か違うものを見つけたらしい。上を向く角度が次第に大きくなっていく。
 どんどん、上を見る。
 見続けて……。
「あきゃっ」
 ころんつ。
 翠は後へと転がった。
「……馬鹿」
 思わず呟く。
 翠はしばらく唸りながら、ぱたばたと体についた草を払う。
 ふと、手を止めて地面の草をぽんぽん叩くと、今度は自分から転がった。
「お-お-、満足そうに」
 どうやら寝て見上げた方が楽なことに気付いたらしい。
 満面に喜びをたたえて、翠は空を見た。

 一筋の飛行機雲。
 俺と翠は、ほんの少し離れたところで、同じものを見つめている。
 俺は静かに日を閉じた。
 そしてすぐ気付く。
 人の気配。
「おわっ?!」
 日を開けて飛び込んできたのは、翠の整った顔だった。
「なっ、なななっ」
 翠は慌てふためく俺を、じーっ、と見てから、不意に「にこっ」と笑った。
「……え-と」
 戸惑う俺を尻目に、翠は俺の横に寝転がる。
「気持ちいいねえ」
「……あ、ああ」
 取り敢えず、返事をする。
「寝ちゃう」
「おい」
「あ」
 寝たまま、俺の方に手を伸ばす。
「きれい」
 俺はバッ、と身を離した。
 翠はキョトンとして身を起こす。
「せーちゃん、嫌いなの?」
「……俺の家の事知ってたら、嫌いになるだろうよ」
「きれいなのに」
「あのな、お前」
 翠は気にせず俺の髪に触れてくる。
「光に透き通ってきれい」
 そう言うと、俺の金色の髪を鷲掴みにした。
「ててっ。あのな、お前、人の話を……」
「お前じゃなくて翠だよ、清夜」
 わしゃわしゃと撫でて(どうやら本人は綺麗に直しているつもりらしい)翠は笑った。
「……変な奴」
「よく言われる」
 にこにこ笑う。俺はため息をついて、されるままにしていた。
「知ってた? 銅板画」
「お恥ずかしながら、お前……じゃなくて、翠が騒ぐまで気付かなかった」
「きれい、ね?」
「そうだな」
 俺と翠は、もう一度あの絵を見上げる。
「翠、市倉の何が『きれい』だったんだ?」
「春乃ちゃん? 全部だよ。
 毎朝、花を生けてるのもきれい。歌を歌ってくれるのもきれい。
 あの絵がきらきらしてるのも。飛行機雲が真っ青な空に描かれてるのも。
 木漏れ日、虹、水槽の中のビー玉、草に埋もれた石像、鳥の声、川の音、皆の笑顔。
 全部、きれい」
「よくわからん」
「俺にもわかんないよ」
 そう言って笑う。
 とにかくきれいだと思うから言葉にするだけだ、と言った翠が、俺には何故かとても大切なもののように感じられた。

「あああーっ、いたーっ!」
 がさがさと礼が草木を掻き分けてやってきた。
「探したんだぞ、翠っ」
「ごめんね、ゆきちゃん。どーしたの?」
 翠の言葉に、はっ、として礼は背筋を伸ばす。
「三沢のヤローが何をトチ狂ったか、お前を探しまくってんだよ!」
「ちゃんと伝えてくんなかったのかなあ」
「いいから、ほら、早く帰ろう。こんなとこにグズグズしてたら……」
「……礼、見つかってる」
「でえっ?」
 ちょいちょい、と後を指差してやる。
 そこには、いかにも不良やってます、といった感じの厳つい男が立っていた。
「尾けられてた」
 あちゃー、と顔を覆う。
「ありがとよ、大河内」
「いーえ、とおんでもございませんですわっ」
 ヤケクソに返事をする。結構、肝が座ってるじゃないか。
「城崎、もう一度聞く。俺の傘下に入らんか?」
「やだって言った」
 ベーっ、と舌を出して翠は答えた。
「何度も言わせるなよな、三沢重明」
「俺はお前を気に入ってるんだ。できるだけ痛い目に合わせたくないんだよ」
「三沢重明、しつこいってば」
「何が気に入らない?!」
「三沢重明、きれいじゃないもん」
「そりゃまあ、きれいっつー面はしてねえよな」
 俺はぽそっと呟く。礼がつられて笑いそうになるのを慌てて止めた。
「三沢重明はせっかく強いカを持ってるのに、それをきれいじゃない方にしか使わないじゃないか。
 俺、見たよ、下の学年の子が泣かされてるの。嬉しい時とか哀しい時とかの涙ってきれいだけど、憎しみの涙ってきれいじゃない。人から憎まれるのがわかってて、どうしてそんなことするの? 面白半分に人を泣かせて楽しい?
 カに物を言わせて人を従えさせるなんて最低だよ。それじゃ誰かさんの恐怖政治と同じだ」
 そこまで一気に言うと、翠は深く息をついて、一言。

「俺、そういうの、大嫌い」

 三沢重明は(あ、翠が連呼するんでつい)、明らかに動揺してよろめいた。
 ここまではっきりと、この不良生徒に言う人間はまずいないだろう。体はでかいわ、腕は強そうだわ、判っててわざわざ喧嘩を売る奴もおるまい。
 しかし翠は怯えもせずにキッ、と三沢を睨み付けた。
「先生とかPTAの人たちとかって、家庭環境がどーの、回りの友達がこーのって言うけど、結局それって、他でもない自分自身に負けたんだよ」
 思わず自分の胸を押さえる。
「参ったな」
「風和?」
 訝しむ礼に、俺は苦笑した。
 翠の言葉は、俺自身にも向けられてるも同じだ。
「三沢重明、友達いないだろう」
「……悪かったな」
 ぽそっ、と呟く。さすがの番長も、翠には勝てないらしい。
「だから、俺がその一番目になってやる」
「は?」
 意味が飲み込めず、呆気にとられる。
「俺が、初めの友達になるよ。手下でも使い走りでもない、ちゃんとした友達」
 ね、と翠はとことこと大柄な三沢に近付き、その手を取る。
「俺と今から友達、ね。カに任せて喧嘩しないこと。あ、売られた喧嘩は買っても良いけど」
「翠……」
 がっくりうなだれる礼。翠、一言多いぞ。
「約束♪」
「城崎……」
 信じられないものを見たような気がする。
 三沢は真っ赤になって、狼狽えていた。
「……人類皆兄弟か?」
「翠にとっちゃ、自分の気に良けりゃ、何だっていいんだよ」
 俺と礼の会話は数年後に再び確認させられることになるが、取り敢えず今はさて置き。
「友達になったんだから、翠って呼んでよ。俺も重明って呼ぶから」
「やけに名前に固執するんだな」
 俺はつくづく呆れて、翠に言った。
「だって仲が良い人に名字で呼ばれるのって、きらいなんだよ。他人行儀みたいでさ」
「仲良くなった覚えはないぞ」
 俺の言葉に、翠は笑顔で答えた。
「さっき一緒にきれいって言ってくれたじゃないか」
 よくわからない。
 それでも翠は、こう答えるのだろう。

 言葉にしないと、判るものも判らなくなっちゃうんだよ、と。



「嫌いな人はねー、名前全部呼ぶの」
 学校帰り、暇だ何だと言って、結局俺の家に押し掛けてきた翠は、開口一番そう言った。
「だって頭から下まで呼ばれると、腹が立つでしょ」
「……お前、ワザと煽ってたのか」
 なんてアブナイ奴。
「だけど俺、知らなかったぞ」
 部屋の窓から見える景色を指して、礼が言った。
「清夜ん家がお寺さんだったなんて」
 実は、これが俺のひねていた原因である。
 父は坊主、母はアメリカ人の悪霊払い。この金髪は母親譲りだ。寺の息子が金髪だということはご町内ではあまりにも有名で、ガキの頃はよくいじめられた。
 そのうちどうすればいいのか判るようになって、いじめられればバレないように倍にして返すやり方を覚え、今では立派な世渡り上手になってしまっていた。
「でもいいなあ。お母さん美人で」
 礼がのほほんと言う。
「お前なあ」
「いいんだよ、せ-ちゃん。ゆきちゃんが俺にくっついてるのって、半分はそれが目的なんだから」
「あ?」
「翠の側って、女の子が結溝いるんだよねー」
 こ、こいつ……。俺は呆れて礼を見た。
「世の中使えるものは使わなくっちゃ。所詮、環境なんて自分がそこに存在してから、改めてくっついてくるものなんだから」
 翠はあっさりそう言うと、菓子皿に手を伸ばした。
「なるほどな……」
 俺は翠の言葉に苦笑する。

 どうしてこいつは、こんな大切な事をさり気なく言えるのだろうか。
 見ることができるのに、見ようとしなかった世界が改めて感じられたような気がする。
 翠、お前が側にいる限り、俺は何度でもやり直せる気がするよ。

 あとで聞いたところによると、なんと俺と翠との仲は、幼稚園にまで遡るという。
 記憶にない、と言うと翠は、
「だってその頃は、さすがの俺も大人しかった(?)し。でも、同じ教室にきれーなお日様色(幼い頃は、今よりもっと色が薄かったのだ)の髪の子がいて、すごく嬉しかったもんで、結構、うしろちょろちょろおっかけ回してたんだよ」
 思い出した。
「あのでっかい目ぇした、一見女の子のよーに見えた、いつもへらへら笑ってた奴!」
 好奇の視線の中で、唯一、邪気のない笑顔を向けていた瞳。
「へらへらしてないよう」
 ぶーたれる翠に、礼がヘーっと驚いた。

「ところでさ」
 唐突に翠が顔を上げる。
「ねえ、今度みんなで塔野の原、行こ♪」
 翠の提案に、礼が首を捻る。
「なんもないぜ、あそこ」
「螢がね、きれいなの」
「……翠、いつの話だ、それは」
 因みに今は、冬も迫った北風吹く秋である。
「来年♪」
 翠は何を気に止めることなく、にこやかに言った。

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