プロローグ
「手を引きなさい!」
凛とした声が、辺りに響く。
「あのなあ、あんた。ここはもう、お国の許可も取って……」
「許可が何です? あなた方は、限りある大事な資源を破壊してしまおうというのでしょう!」
白いマントに模した装束が風に揺れる。マントの中は、輝かんばかりの金髪と、深い緑の瞳を持つ、清楚という言葉がぴったりとはまりそうな、24、5歳くらいの女性だった。
「そうだ! 帰れ! 帰れ!」
その女性の後ろ手で、大声が上がる。
ざっと見て、4、50人。老若男女を問わず、それぞれが旗やプラカードを持ち、盛んに彼ら……土木工事の関係者を追い立てようとしている。
そして、白装束の女性は、反対運動のリーダーであるようだった。
プラカードには「工事反対!」「自然を守れ!」の文字が描かれている。
「去りなさい!」
再び女が声を上げた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
第一章 晴雨
慌ただしい喧噪の中、その光景を見た次の瞬間、俺は全ての物音から隔離されていた。
時は6時間目終了後。移動教室から何だかんだで一番ラストに出てきた毎度お馴染み悪友トリオを引き連れて、差し掛かった場所は中庭を見通せる渡り廊下から少し外れた木陰。そこには顔馴染みの奴と、知らない女生徒が何やら話し込んでいた。
「あら、あら、あら」
明るい性格で男子からも女子からも好かれる、悪友トリオの一人、鈴木かおりが丸っこい目を益々丸くして、同じく悪友トリオの双璧、田沢晃と清水祐介の腕を握る。
しばらくしてその男子生徒は、相手の女生徒が何か言ってるにも関わらず、スタスタと歩き出し、俺達の居る渡り廊下へ向かってきた。
そしてその時初めて俺達が見ていたのに気付いたらしく、「居たのか」と素っ気なく言った。
「い、居たのかって、お前……」
俺は呆然として奴を見る。
滅茶苦茶モテるのは知ってたけど……。
「んでっ。告られてたんだろ?」
見るからにカルそーな清水が、奴を突っつく。
「かわいー子だったな。今日辺り、放課後デートか?」
「そりゃまー、引く手数多だろーしねえ?」
田沢が眼鏡を掛け直しながら、しみじみと頷く。
しかし、二人の予想に反して、答えは素っ気ないものだった。
「断った」
「「もったいねー!」」
二人で叫ぶな、情けない。
俺はがっくり肩を落としながら頷いた。
「そーゆー奴だ、こいつは。この前も下級生がクッキー作ってきたんだけど、ぜーんぶ俺にくれちまいやがんの」
自分で作った方が美味いとか言っちゃって。
「さっきだって、何て言って断ったか分かるか? 『君に興味ないから』だぜ? てめえは女の子の敵だ!」
びしぃっ! と指差しながら叫ぶ俺に、「行儀悪いからやめろ」と言って俺の手をぺしっと叩く。
すると、今まで黙って聞いていた鈴木が、突然声を上げた。
「そおよねっ! 樹瀬君には、祁斗院君とゆー、大事な人がいるものねっ!」
両手をお祈りするように組んで、目をうるうるさせている鈴木に向かって、しげみが明後日の方を向きながら俺に言った。
「とおる、これ、何とかしてくれ」
……出来るものなら、とっくにしてる。
俺の名前は、祁斗院竜(きとういん とおる)。そして相棒の樹瀬龍(むらせ しげみ)。共に現在17歳。
俺達は母方の従兄弟同士で、幼い頃、俺は母親をしげみは両親をいっぺんに亡くした。唯一の生き残りである俺の父、雅(まさる)がしげみを引き取り、それから十年以上、俺達は兄弟同然に暮らしている。
尤も、家事一般における我が家の実権は、高校三年生のしげみが握っていると言っても過言ではない。俺も雅も、経済観念が非常に乏しいらしく、しげみがいなかったら、今頃二人揃って飢え死にしていた事と思う。しげみが見るに見かねて家事や家計に手を出し始めたのが、小学校に上がるかどうかの頃だったんだから、雅の無頓着さが推し量れようってなもんだ。
だから俺達はしげみに頭が上がらない。でもって、俺がしげみにべったりなモンだから、血の繋がった兄弟よりも仲が良いと言われ、変な憶測が飛び交う。
でも俺がしげみにひっついているのは、そんな単純な理由だけじゃないのだ。
俺達は、他人に言えない秘密を抱えている。
「ああ、嬉しいわ、私っ!」
相変わらず両手を組んだまま、目に星を浮かべて鈴木は言った。
「日に一度、こうして祁斗院君と樹瀬君が並んでいるところを見るのが、私の喜びっ!」
変な喜び。
「かおり、そんなんだから、樹瀬は俺達のクラスを避けて通るんだぜ?」
「あら、あっちゃんてば妬いてるの?」
「誰がだ」
「『あっちゃん』?」
聞き慣れない言葉を耳にして、しげみが首を傾げる。
「ああ。鈴木と田沢は幼なじみの家がお隣さんなんだと。で、清水は小等部二年からのご学友」
「へえ?」
少し驚いたように、しげみは三人を見た。
「でもね、祐ちゃんってば私に『祐ちゃん』って呼ばせてくれないの。私が『祐ちゃん』って呼ぶと、祐ちゃんってば怒るのよ。酷いと思わない?」
「こらこらこら。今何回言ったと思ってんだ?」
「これで5回目よ、祐ちゃん」
ナーイス観察力。
頭を抱えだしたしげみの背中を押しながら、俺はみんなを促す。
「さ、さあ。もう授業終わったんだし、早く帰ろうぜ!」
「どっか遊んでく?」
さっさと立ち直った清水が、遊んでとばかりにまとわりつく。それに対し、しげみがあっさりと答えた。
「買い物」
「どこ?」
何を期待しているのか、目をきらきらさせて清水が尋ねる。……流石幼なじみ。
「夕飯の材料買いに、西大通の商店街」
しげみの返事は、清水はおろか田沢までもコケさせた。
しかし鈴木は少しもめげずに、明るく言い放つ。
「樹瀬君、今日はグリーンハウスでキャベツが特売日よ!」
「じゃあ、今晩はロールキャベツに決定」
「ロールキャベツ、作れるの?」
「挽肉をキャベツに巻いたら終わりだから、楽。大量に作り置きして冷凍しておけば、何日か保つし。普通のに飽きたら、カレー粉入れると結構いける」
「なるほどっ。今度私もやってみよう。他に何か工夫出来る事、ない?」
いきなり料理教室になったその場で、残された男三人が少し離れた場所で顔を見合わせる。
「『かっこいー樹瀬君』がこんなんだと、女子は何故気が付かんのだ」
好きになる女の子の殆どが、しげみが好きだと言って振られているので、少々やさぐれモードが入った清水がグチる。
「……つか、それ以前の問題では。祁斗院、何か言う事ないのか?」
田沢が呆れたような口調で俺に言う。
「や。俺、しげみに逆らったら生きてけないし」
「……駄目だ、こいつら」
二人が大きく肩を落とした。
最後のロールキャベツを平らげ、俺はしげみからお茶を受け取る。
「ごっつぉーさん」
「ホントによく食うなあ。ま、作る側にしてみれば、嬉しい限りだが」
そう言うとしげみは、キャベツと一緒に買ってきたプラムを剥いて、皿に盛った。
「で、うちの放蕩親父から連絡あった?」
「ぜーんぜん。オレ、今日、名川教授に所在聞かれたぞ」
「上司にも連絡してないのか?」
やれやれと肩を竦める。
行く先を一週間に一度の割合でひょこひょこ変えてくれやがるので、何かしら連絡先を伝えろとあれだけ言い含めておいたのに。
「とうとう、面倒になっちまいやがったな、あんにゃろ」
確か一番新しく連絡が入ったのは、三週間前。
「研究所に問い合わせれば、流石に分かると思うけどね」
「分からなくちゃ、困る」
いっその事、GPSでも付けさせるか。
「せめてモバイルPCくらい、持ってくれないかなあ」
「電話も通じない辺境に居たんじゃ、あんまり意味無いと思うぞ?」
「衛星回線という便利なものが普及してんだよ」
「あ、そっか。便利な世の中になったねえ……って、何で子供が保護者の心配しなけりゃならねえんだ」
俺の父、雅は考古学者である。一定の組織に所属しないので、遺跡調査の声が掛かるとひょいひょい出掛けてしまう。分野も多岐に渡り、専門的な突っ込んだ知識は専門家に遙か遠く及ばないものの、雑多な知識量がべらぼうに多いので何かと重宝されるらしく、あちこちから誘われている。
一応、俺達の学舎である羽条学園の大学部に教授として籍を置いてはいるのだが、こんな調子なので、まともに講義をしているのか定かでない。
殆ど外国にいて、一年の半分以上はろくに顔も見られない。このだだっ広い屋敷に三人が揃う事は非常に珍しいという有様。
片親どころか保護者の立場にある者までいないってのに、俺達二人、よくもまあグレずに育ったもんだ。
「困ったな。夏休みに片付けて欲しいものがあるのに」
少し長めの淡い色をした髪を後ろでまとめ、しげみは立ち上がって茶碗を洗い始めた。
しげみには異国の血が混じっているらしく、先祖帰りを起こしている。淡い茶色がかった髪、光の反射で時々蒼く光る瞳。端正な顔立ちは、気高くすらある。
「……モテるのは分かる。うん、俺が見ても、お前って綺麗だもんな」
俺はプラムにかぶりつきながら一人納得する。
「はあ? 何言ってんの。とおるだってラブレター、人並みじゃないほど貰ってるじゃないか」
「んにゃ、食い物」
「あ、そう」
「だからさっ!」
俺はシンクに居るしげみの背後から空いた果物皿を渡し、そのまましげみの背中にへばり付く。
「あーゆー言い方はないと思うワケ」
「どーゆーの?」
水で洗剤を洗い流しながら、俺に聞く。
「『付き合って下さい』に対して、『興味ないから』ってヤツ!」
「事実だし」
「でも女の子にしてみれば、傷つくでしょー!」
「下手に遠回しにして期待持たせたら、もっと可哀相だろうが。そう言うお前こそ、どう断ってんだよ?」
「……俺の場合、あんまりそういう感じで申し込まれた事、ない」
「へ?」
きょとんとして首だけ振り向いて俺の顔を覗き込む。
……あんまり言いたくないんですケド。
「あー……。『いつぞやの試合はとっても素敵でしたー』とか、『今度どれこれを作ってきますから、是非食べて下さい』とか、そういうのばっかり。直裁的に『私だけの恋人になって』みたいなのって、一度もない」
「……それって、ファンレターって言わんか?」
「そうとも言う」
「……ペットか」
「言うなよーっ」
よよよ、としげみにしがみつく。
そりゃ、清水みたいに切羽詰まってる事もないけどさあ。
「でも半分は自分達にも非があるかなーって」
「何で?」
「俺、『樹瀬先輩といつまでも仲良くして下さい』とゆー手紙、貰った事あるし。何か、しげみ以外の人間は認めないような事、書いてあった。そんなに俺達って態度、変?」
「………………そういやオレもあったような……」
嫌な事思い出させやがって、としげみが憤る。
「大体それって、鈴木の所為じゃないのか? オレ達、そんなにべったりくっついてないだろ。……今はともかく」
俺を背後霊のようにまとわりつかせたしげみが、苦笑しながら言う。
「あー、煽ってるわ、確かに。無意味なくらいに」
行事毎に俺達のツーショットを撮っては、友人達と騒いでいる。実害がある訳じゃないし、基本的に鈴木はやって良い事と悪い事をちゃんと分かって遊んでいる事を知ってるから、仕方ねえなあと言いながら、好きなようにさせてはいるけど。
「田沢と清水に何とかさせろよ」
「やー、田沢は委員長なんてやってはいるけど、基本的に面白ければ何でも良し、な性格だし、清水は論外」
「何だかなあ」
苦笑していたしげみが、その時ふと、宙を仰いだ。
「……あついな」
「へ? あ、ゴメン!」
へばり付いていたしげみの背中から、慌てて離れる。
「いや、違う。そうじゃなくて、空気が……」
7月の初めとはいえ夕立があったせいか、今は冷房を入れなくても良いくらいの気温だ。
「しげみ……?」
「……どこかに、炎を感じる」
「!」
しげみは目を閉じ、懸命に何かを掴もうとする。
「見つけた。西の陳列部屋……!」
俺はしげみの声を聞くと同時に、ダイニングを飛び出した。
「げげっ」
そこは火の海……とまでは、幸い行ってなかったが、部屋の隅の方にちらほら火の手が見える。
まだ燃え出したばかり、といった様子だ。
「しげみ、水!」
「ほい」
ぽん、と手渡されたのは、庭の水撒き用のシャワー付きホース。
「……どっから?」
「そこの窓の下、庭用の水道あるだろ」
「あ、そだっけ」
いかん。自分の家の配置を忘れとる。
庭の草木に水をやるが如く、手元のスイッチを捻って放水する。最大出力にすると、火はすぐに消し止められ、俺達はほっとして焦げ後を見た。
「棚には燃え移ってないな」
「良かったー! 親父に怒鳴りつけられちまうよ」
伸びたホースを巻き取りながら、俺は胸を撫で下ろした。
「下手に広いのも考え物だ」
「だよなあ。大体、普段は二人しかいないのに。空間の無駄遣いだな」
「発掘品も学校に預けちまえば、管理が楽なのになあ」
「でもあいつ、思い立つと突然調べ始めるからな。真夜中の2時過ぎに、懐中電灯片手にここに居られた時にゃ、マジで腰抜かしたさ」
雅は一つの事に集中し出すと、周りの事が見えなくなるのだ。部屋の電気を付ける事すら思いつかないのが、その証拠だ。
「……だな。真夜中にいきなり来られたら、セキュリティもたまらん」
「つか、学校に住み込みそうで、そっちの方がヤダ」
「……うん」
二人でため息をつく。とんでもない保護者を持ってしまった。
実は我が祁斗院家は、有形文化財の保護指定候補に挙がった事もある、由緒正しい洋館だったりする。結局審査基準にはまらなかったとかで枠から外されたんだが、それなりに歴史的価値のある建築物なのだそうだ。
因みに由緒正しいのは家だけであって、雅は由緒も何もない、ごく普通の庶民だ。その庶民の雅が、何故こんな大層な屋敷に住んでいるかというと、雅の恩師に当たる人から全財産の贈与を受けた為だ。財産と言っても、その殆どが古代のガラクタばかりで……。つまり、それが雅の現在を示す、根元とも言える。
恩師だったその人は死ぬまで家族に恵まれず、同じく身寄りの無かった雅が、その後を引き継いだ形で現在に至る。
家は洋館仕立てで、元は華族の物だったらしい。二階建てで、一階に大きな部屋が3つ、それにキッチンと控えの間。ここは元々壁があって仕切られていたが、邪魔だったのか取っ払ってしまっていて、キッチンと続きの部屋になっている。俺達はここにテーブルを置いて、食事場所にしている。本来はこの隣の大部屋が、食事する為の専用の部屋になるらしい。今は見る影もなく、だだっ広い空間に、でーんと大型テレビが鎮座在した、娯楽室に成り果てているけど。
そして二階に同型の個室が6つ。うち2つが俺としげみの部屋で、それから庭に面して離れが1つ。ここが雅の部屋。
で、計12部屋。大部屋の内のもう1室が、この発掘品の陳列室に当てられ、残りの1室が物置と化している。
だってどう考えても、三人以上にならないんだから、無駄に余ってしょうがない。雅が再婚でもして、兄弟が増えるならともかく、そんな様子、欠片もないしなあ。
二階の余った4部屋は、大掃除の時しか開けない。一応、各部屋に来客用のベッドとか入ってはいるんだが、何しろ前世紀の遺物といっても過言ではないような代物である。
何が凄いって、天蓋が付いてるようなベッドだぞ?
「絶対、寝転がった途端、根本から折れる」
というのが、俺としげみの所見である。
因みに俺達のベッドは、この家に来た時に専門の業者が処置を施してくれてあるので、あと50年は使えるというお墨付きだ。
しかし、とにかく広い。
何せ元華族サマのものだから、その広さも半端じゃない。マンションの3LDK暮らしの友人が、「ウチが全部入る」と俺の部屋を見て絶句したんだから、その様子が分かってもらえるだろう。
部屋が広くて羨ましい?
家が大きくて格好良い?
庭があって素敵?
だが、考えてみてくれ。
この家にいるのは、俺としげみと(ごくたまに)雅の三人なのだ。
あれやこれやと世話をしてくれる母親などいないのだ。
何度か家政婦を雇おうとしたのだが、あまりにも規模が普通の豪邸と違いすぎて、家を見るなり逃げ帰られた。
今でこそ長年の経験で、しげみは家事のプロフェッショナル(本人は嫌がってる)となっているが、それまでここは、ある種の無法地帯だったのだ。
幼稚園児に「お掃除しよう」と言われる大人がどこにいる?
自分の受け持ちゼミ生に、バイト代出して掃除させる教師がどこにいるっ!
この家に来て間もない頃はどうしようもなかったが、小学校に上がる頃にはしげみは一通りの手の付け方を覚え、また俺と雅への指示の出し方も身につけた。
「……人間、分相応が一番だよな」
「うん……」
盛大にため息をつくと、しげみは巻き取ったホースを俺から受け取り、その足で窓枠を跨いだ。
「……そっから来たの?」
「楽だろ、この方が。オレは外から壁の様子確認するから、とおるは中の様子、見てくれ」
「ああ。下手すると壁、崩れるかな?」
「古い家だからねえ」
昔の家ほど支柱が太く丈夫で、数多く打たれている。だからすぐさま家が倒壊する危険はないが、木材で出来た壁は、非常に燃えやすく脆い。
「ああ、真っ黒。完全に炭化しちまってるなあ」
この分だと、やはり火元は外、か。
「とおる!」
「やっぱそっちが出火元かー?」
窓から顔を出すと、焼け焦げた壁の前で、しげみがしゃがみ込んでいた。
くそっ。放火か。
それにしても、わざわざこの広大な庭を横切って?
家とすぐ側を通る道路との間には低木が植えられており、6メートルほどの距離がある。
人が通りかかれば、丸見えだ。
ましてや、俺達がここに住んでもう十年以上経つ。ご近所で知らない人はいない。それは裏を返せば、見知らぬ者の存在は返って目立つという事だ。
「取り敢えず、警察に連絡……」
「とおる」
「あ?」
しげみが唖然とした表情で俺を見る。
「なした?」
「この壁……」
黒く煤けた壁を指差して、しげみは奇怪な事を言った。
「火がついて……すぐかどうかは分からないけど、一度、外側から水を被ってる」
「へ?」
首都圏とはいえ、結構な田舎にある俺達の家は、普段の虫の声が聞こえる代わりに、パトカーの赤い光に包まれた。
「これだけの家だからねえ。旧家だし。誰かが遊んでた花火の火が飛んだとも言えんしな、この距離じゃ」
30代くらいの警官が、壁を見ながら言う。
「全く火の気のない部屋ですからね。間違いなく放火でしょう。
君達……は、元気そうだね。発掘品の方は、大丈夫だったかい? とおる、しげみ」
それに答える若い警官が、俺達に声を掛けた。
「お陰サンで、無傷だよ」
「夕立に助けられたかも」
心配げに首を傾げる若い警官は、実はご近所のおにーさんだ。
小さい頃からの、顔馴染み。
「ああ、湿ってたから火が広がるのが遅かったのか」
「敬一さん、しばらくこの辺、パトロールお願い出来ないかな?」
「うん、もちろん。確か他にも苦情が出てましたよね、先輩」
先輩と呼ばれたさっきの警官が振り向く。
「ああ。下着ドロだな。夜間巡回、ちょろちょろしてやっから、安心しろ。それにこういうのは繰り返す可能性が高い。すぐに捕まえてやるさ」
「おお、頼もしーい」
二人でぱちぱち拍手をすると「任せとけ」とばかりに胸を張る。
なーんか、どっかの警部を思い出すなあ、このノリ。
「なな。その代わりと言っちゃーなんだが、発掘品、見せてくんねえ?」
警官の割には、結構がらっぱちな人である。
「先輩、もう夜遅いですよ! この子達は明日も学校、あるんだから」
「いや、いつでも良いんだが」
「興味あるんだ? 巡回の時にでも寄ったら良いよ。親父がいれば、懇切丁寧に説明してくれるんだけどねえ」
「先生、またどこか行っちゃったの?」
実は敬一は、雅の教え子でもあったりする。一般教養科目の歴史講義で教えてたらしい。
「そう。もう、音信不通になって、三週間」
「え? 大丈夫なの?」
「最終手段の切り札は残ってるから」
変わらないねえ、と敬一が苦笑した。
それから何人かの刑事と消防官、鑑識がわらわらと仕事を終えて立ち去り、大型テレビが置かれている部屋に落ち着いたのは、時計の針が11時を過ぎた頃だった。
「刑事に度胸があるって言われた」
しげみが差し出すお茶を受け取りながら、俺は苦笑した。
「普通の学生は、あーゆー職業の人達に囲まれたら、少しは緊張するもんな」
「敬一さんが居た、って事もあるけど」
「慣れってコワイねえ」
げらげら笑いながら、お茶請けに持ってきたせんべいに手を出す。
「で、しげみ。もっかい説明して」
クッションを抱えるようにして寝そべる。
「つまり、あの火は確かに誰かが……理由は知らんが、ちゃんと石油を撒いて、新聞紙か何かに火を付けて、陳列部屋の外側の壁を燃やしていたものなワケ」
現場を自分の目で確かめていたしげみは、鑑識の言葉よりもはっきりとその様子を理解している。
「ご苦労なこった。低木とはいえ、1メートルを超すざんばらな茨の垣根を飛び越え、殆ど手入れをしてない荒れ放題のつつじを横切り、雑草だらけの庭を渡って、ね」
茨は痛かったろうなあ。ありゃもう、棘だらけだから。しかも今の時期なら、草木の間は虫で一杯。
俺はヤブ蚊と奮闘する犯人を想像して、吹き出してしまった。
「つつじと言えば、向井さんとこのじーさまが、赤いのが欲しいって言ってたな」
「どうせ手入れしてねーんだ。無駄に枯らすより、じいさんにあげた方が良いんじゃね? 茨も山下さんとこのおばちゃんが欲しがってたし」
「伸び放題だもんなあ。草むしりもしないと、うちはジャングルになっちまう。現代から取り残される前に、何とかせにゃ」
「今度の休みに、がーっとやっつけちまうか」
「そうだな。……って、話がズレたな。つまり」
しげみはお茶を一口すすり、再び口を開く。
「一度は確かに、その火はこの家を焼き尽くそうと、勢い盛んに燃えてた訳だ。ところが、その時どこからともなく魔の手が伸びてきた」
「俺達にとっちゃ、救いの神、か」
「そゆ事」
しげみは新しくお茶を注いで、また話し出す。
「犯人はきっと火が燃え出したのを確認してから去ったんだろう。しかしその後、いきなり水が被せられた。でも一度くらいじゃ火なんて早々消えやしないから、多分それは何度かやろうとしたんじゃないかと思う。もしくは、時間がなかったか」
「何で仮定法なんだ?」
5枚目のせんべいに手を伸ばしつつ、しげみに聞く。
「オレが気付いちまったからさ」
「あ?」
しげみはクッションを何個か重ねて、それに寄りかかった。
「オレが火の気配を察して、とおるがそこへ行った。もしもオレが気付かなければ、その火は自然消滅していたはずだ」
「わざわざ、余所ん家の火事騒ぎを抑えてくれたってワケ? 何でまた」
俺は目をまん丸にして呆れ果てる。
「だけど水の跡は、焦げ跡より2メートルも上から掛かってたんだ。相当な量である事には変わりない。警察は、オレ達がやったと思ってるけど」
しかも、壁のすぐ下の地面には、一滴も残さずに。
「……怪談かよ」
俺は7枚目のせんべいを口に放り込んだ。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
放火犯が見つからないまま、一週間が過ぎようとしていた。
夏は何かと変質者が出やすいから、というのを理由にパトロールが続行されたお陰で、近所の連続下着ドロが捕まった他は、平穏無事に過ごしている。
あと十日余りで夏休みに入るというある休日。
悪友トリオのうち二人の田沢と清水が遊びに来た。
「へえ。ボヤで済んだのって、コレか」
田沢が焦げ跡を見て声を上げる。
「でもよく分かったな、火事って事。この部屋とまるきり反対側の部屋にいたんだろ?」
この家は玄関を中心に、左右対称の作りになっている。
東端からキッチンとダイニング、テレビの置いてある居間があり、玄関を挟んで西側に物置と化している大部屋と、問題の通称「陳列部屋」という大部屋、という並びになってる。この陳列部屋の向かいに、離れへ続く廊下がある。
雅は離れを生活拠点にしているので、西の大部屋が発掘品保管室になってるのは都合が良いのだ。
普通なら離れを保管室にするところだが、恩師が居た頃、世話になっていた部屋がそこだったので、使い勝手が良いという理由でそのままになっている。
「ここからキッチンだと、無茶苦茶離れてるよなあ?」
「そりゃしげみは料理に関しちゃ、うるせーもん。焦げ臭いのがばっちり分かったんでしょ」
「オレは犬か」
いつの間にか、しげみが入り口に立っていた。
「犬はどっちかってーと、祁斗院の方でないかい?」
清水が笑いながら言う。シツレーな。
「それじゃ今度から、飯の時にはベルを鳴らすようにしよう」
「俺はパブロフの犬か」
しげみが用意したお茶の為、みんなで居間に移る。
「そういや今日はかおり、来れなくて悔しがってたなあ」
田沢が意地悪そうに笑う。
「私服姿の二人なんて、滅多に見られないもんな」
「珍獣のように言うな」
「羽条は制服自体そんなに規制してないから、結構みんなラフな格好してくるけど、お前等あんまりそういう事しないもんな」
羽条学園高等部の制服は、制服というより「基本服」と言った方が正しい。ワイシャツにネクタイ、ジャケットスーツというのが基本だが、特にワイシャツはあくまで「基本」であって、実際はTシャツだろうが何だろうが、構いはしないのだ。もちろん、全身自分好みのコーディネートでも全く問題なく、制服着用の義務があるのは、入学式、卒業式、始業式、終業式などの式典関係に限られる。
しかし、親のすね囓ってるような高校生……一部を除いて大多数の生徒に、毎日お洒落出来るような金がある訳がない。
なので必然的に制服着用が多くなる。
朝っぱらからコーディネートしてる時間があったら、一分でも多く寝とるわー! というのが大きな理由だ。
また、男子の制服は袖口や襟元など、ちょっとした飾りが付いている程度だが、女子の制服は彼女達に言わせると、「すんごく可愛い」のだそうだ。上着は男子とそう変わらないが、スカートの襞とかが凄く凝っている。俺は全くよく分からないけど、一枚布のスカートじゃ無い事は確かだ。「巻きスカート」とかいうのに近い作りらしい。夏と冬でも、変わってくる。
そしてこの制服を着たいが為に、羽条を受験する者も多くいると聞く。
それに制服というのは、学校の看板でもある。それなりに優秀なレベルを持つと言われる羽条学園は、近隣の少年少女の憧れの的だ。
私服と制服では、ナンパ率が段違いだ、と誰かが言ってたなあ。
俺達は幼等部から世話になってるから、あんまり実感ないんだけど。
「だって、めんどくさい」
実はこれが、生徒全員の本音だと俺は思う。
「毎日私服なんて着られてみろ。洗濯だって大変なんだぞ」
「……樹瀬、それは主婦の発言…………」
「幼等部から制服があって、どれだけ助かってる事か。自分達で洗濯出来るようになってくれば後は問題ないけど、それまでずっと伯父さんがやってたんだぞ? あの人にコーディネートなんて期待出来るか」
「期待する方が無謀だと思う」
間髪入れずに答える俺に、しげみもうんうんと頷いた。
「で、その鈴木は、今日はどうしたんだ?」
「今日は女の子同士で、水着買いに街までお買い物」
相変わらず、性別問わず人気者だ。
「うん……。鈴木は嫌いじゃない。それどころか、女子にしてはあっさりしていて付き合いやすいし……。でもなあ」
しげみはばかでかいため息をついて、クッキーに手を付ける。
「アレさえなけりゃあなあ」
「俺もどーしよーもない不安を感じてるんだ」
田沢が腕を組んで唸る。
「それもこれも、お前等がモテるのが悪い!」
「どこからそういう発想が出てくるんだ、清水」
「この間、こいつフラレたんだ。『私、好きな人達が居るの』って」
「……『達』?」
俺は嫌な予感を感じつつ、疑問を投げ掛ける。
「お前等の事に決まってるじゃねーか」
田沢はあっさりと答えて下さった。そこへ清水が口を挟む。
「祁斗院と樹瀬が居るお陰で、ガッコの半分以上の女の子に手が出せないんだぞ! 何とかしろっ」
「あ、今の聞き捨てならない。お菓子没収」
しげみが冷たく茶菓子の入った皿を取り上げる。
すると清水が泣きついた。
「きゃーっ! 樹瀬くんってばっ! そのクッキー、とおっても美味しいのにっ。流石、村瀬サマのお手製っ!」
「これ、既製品」
「あ、あらあ?」
「しげみ、返して。清水はどうでも良いけど、俺の腹が泣く」
苦笑しつつ、しげみが皿を戻す。
「いーんだい、いーんだい。ゆーすけくんは、このくらいじゃ挫けないもんねっ」
ぢゅるるるるっ、という擬声語が当てはまりそうな勢いでジュースを飲み干して、清水が開き直る。
「目指せ、女千人斬り!」
「あー、あー、勝手に頑張ったんさい」
俺達は三人してそっぽを向いた。
夕方、田沢と清水を送りがてら夕飯の材料を買いに行ったしげみが、一時間後に返ってきた時、俺は一種の恐怖に襲われた。
「おかえりー。米研いで炊飯器のスイッチ入れた……」
「………………」
どさっとネギやら肉やら入った買い物袋を、テーブルの上に無言で置く。
「し、しげみ?」
「……ンのヤロ」
いかん。完全に目が据わっとる。
するとしげみは袋から一つのビニール袋を取り出し、俺に見せる。
中には、ぐちゃぐちゃに潰れた豆腐。
「闇討ち仕掛けてきやがった」
「なにっ!」
俺は驚いてしげみを見る。見る限りじゃ怪我は無さそうだが、「誰だ、そいつはっ」と憤る俺は、しげみが発した次の台詞にへなへなと崩れ落ちた。
「せっかく冷や奴にしようと思ってたのに!」
「………………あのなあ」
喧嘩を売られた事よりも、豆腐が潰れた事の方が大事らしい。
「お前は無事なんだろ? なら良いじゃないか」
「豆腐……」
「だーっ! じゃ、じゃあ、今日は麻婆豆腐にしよう! 暑い時は辛い物食べると新陳代謝に良い、って中国四千年の歴史が言ってたぞ!」
「……まあ、それも良いか」
ほっ。変なトコにプライド掛けてらっしゃる。
夕飯を作り始めたしげみの後ろ姿を見て、俺はテーブルに突っ伏すと、しげみがぼそっと呟いた。
「素人じゃなかった」
「!」
がばっと身を起こし、しげみを見つめる。
「憶えてるか?」
卵を溶きながら、しげみが振り向く。
「怪奇蛇男」
「ああ。やけにしつこくて残忍で、得意技が鞭だったとゆー、変態ヤロー」
俺はけろっと言ってから、ハッとする。
「死んだはずだ」
「ああ。オレも顔をはっきりと見た訳じゃないから、確かじゃない。けど……」
しげみはじっと俺を見た。
「手口が似てたんだ」
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
翌日。
恐怖の期末考査の結果を見て、喜怒哀楽の群衆の中、俺自身がそいつと直に相対する事になった。
「あ~……………………………………………………」
人通りの少ない公園の裏側。公園と言っても、子供達が遊ぶような場所ではなくて、針葉樹林が乱立し、時には孫を連れた老人の散歩やジョギングのカップル、ピクニック気分で軽食を食べるグループなんかもいる、森林公園に近いような所だ。
しげみは先生の用事とかで、俺は先に家路についたところだった。
時間にして午後3時。そろそろ夏本番の風が、まとわりついてくる季節。
その時。
「……お礼にお伺いした」
俺の行く手を阻むかのように、光を反射させた頭が、俺の目を射た。
「サ○プ○ザ○野の兄弟か何かか? ならお礼はサインで良いや。出来たら可愛いアイドルでも紹介してくれりゃ良いんだけど」
「随分だねえ、ダークドラゴン」
「!」
男は手を後ろに持っていくと、掴んできた物を目の前に掲げた。
「あの世からわざわざ出向いてきてやったよ」
シュンッ!
俺の右頬を風が斬る。
「ブラッド・スネーク……」
俺は素早く身構える。
……何故だ?
「そりゃ、こんな遠い極東まで、ご苦労なこった」
「何。君を想う故に、ね」
……こいつは俺の手で……。
ヒュンッ!
俺を狙って打ち出される鞭をスレスレで避け、俺は考える。
「ほらほら、どうしました?」
黒いサングラスの中で、残忍なものが光る。
殺したはずなのにっ!
「くっ!」
俺は地面を転がりながら、小石を拾う。
起き上がりざま、そいつを指弾の要領で弾き出す。
「つっ!」
奴の左頬に、赤い線が走った。
「幽霊じゃねえって訳か」
「よくも……!」
ギュウンッ バチィッ!
「げ」
鞭の風を切る音の中に、嫌な音が混じる。
その瞬間、とっさに避けた俺の足下に火花が散った。
「電流流しやがったな」
げげーっ。冗談じゃない!
「と?」
背中に堅い感触。
いつの間にか、大木の元まで追いつめられていた。
「くそっ」
「ふふ。もう後がありませんね」
サングラスの奥で、ニヤリと嗤う。
「君の相棒の時は人が多くて失敗したが、今日はそうはいかない。これで最後だ。ダークドラゴン!」
ビシュウッ!!
電気鞭は大きく弧を描いて俺に迫る。
その瞬間!
「何っ!」
「俺を誰だと思ってやがる」
鞭よりも高く跳び上がり、俺は真上の枝を掴む。
「力が自慢のとおるクンだぜ!」
掴んだ枝を、そのまま空中で背負い投げ。
大木は俺を真っ二つにするはずだった鞭で、綺麗に切り取られている。
つまり。
「ひいいっ!」
丈7メートルはあろうかという大木は、俺に背負い投げされ、見事鞭男の頭上へ……。
「とは、いかなんだか」
何せここは森林公園。
数歩も行かないウチに、同じくらいの大きさの木がごろごろ。
俺が振り回した木は、上の方で他の木に寄りかかった状態で止まってしまった。